【赤木智弘の眼光紙背】洋画業界はもっとがんばりましょう - 赤木智弘
※この記事は2008年08月28日にBLOGOSで公開されたものです
どうも最近、映画業界が洋画の興行成績が上がらないことの言い訳として「若者が字幕を読めない」という、当てこすりを行っているようである。産経の記事(*1)によれば、字幕の文字を読みきれない若者が増えたことから、文字数を減らしたり漢字を減らしたりしているようである。
その一方で、字幕を読む必要のない吹替え版への需要は高まっているらしい。
字幕離れについては、CGや派手なアクションの増加により、画面全体の情報量が増え、とても字幕の文字を追っていられないということがある。
昔の恋愛映画のように、画面いっぱいに男優の顔が写り、女性を口説き、女優がそれをさっとかわすような展開であれば、観客は「男が映っている、女が映っている」程度の認識でよかったし、字幕だけを見ていても画面でなにが起こっているかは明白だったので、字幕を注視していれば十分であった。
しかし今の映画は、中心の役者だけではなく、画面の隅々まで演出できるようになり、観客は画面に注視せざるを得なくなった。そうなると、字幕を目で追っている時間はなくなってしまう。
その一方で、吹替えであれば、画面を目で追いながら、かつ会話の内容も理解できて、合理的である。しかし、神戸新聞の少し古い記事(*2)によれば、吹替え版を作るには字幕版の十数倍の予算が必要なようで、洋画業界としては極力吹替え版への移行の流れは防ぎたいようだ。
では、若者の知識不足はどうか?
少なくとも産経の記事に関して、「ソ連って何ですか?」「ナチスって何ですか?」という感想は、単なるレアケースだろう。まだロシアがソ連だった時代にはきっと「ロシアってなんですか?」という質問が数件あったに違いない。
もう一つの可能性としては、映画をあまり見ない人対して、アメリカナイズされたソ連やナチスのイメージがうまく伝わってない可能性がある。
アメリカ映画が物語の前提とする「ソ連=悪」「ナチス=悪」という単純化されたイメージは、それを共有しない人間にとっては、違和感となって残る。それこそ冷戦時代を生きていない若者にとって「ソ連=悪」という前提はあまりしっくりと来ないのではないだろうか。それは時代の変化であり、決して否定されることではない。
最初に書いたように、これは典型的な当てこすりである。有史以来言われている「最近の若者は」という言葉が、単なる老人の愚痴から、社会全体の言い訳として通用するようになり、老人たちが自らの失敗をごまかすために、平気で若者を貶めることができるようになってしまった。
その結果、自らの失敗や現状からのズレを認め、根本原因を考えるという、ごく当たり前の努力をしなくなり、さらに傷口を広げるような仕事がまかり通るようになってしまっている。どこの業界に限らず、そのような態度を続けるかぎり、その業界の未来はない。
よく貧しい若者に対して「なんでも社会のせいにするな、努力しろ」と言う人がいるが、そういう言葉が金や力のない若者に投げつけられて、金も力のあるはずの「業界」に投げ掛けられないあたりが、まさに今の社会を象徴していると、私は考えている。
*1:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080510/tnr0805101825007-n1.htm
*2:http://www.kobe-np.co.jp/news_now/news2-372.html
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。