【赤木智弘の眼光紙背】大分教員不正採用事件で、子供たちに伝えたいこと - 赤木智弘
※この記事は2008年07月24日にBLOGOSで公開されたものです
大分の教員不正採用の件が泥沼の様相を呈していっている。2007、8年度採用の教員については約半数に不正があったという話もあり、少なくとも10年以上前から、不正採用が完全に常態化していたようだ。
そして、このニュースに対する世間の反応は非常に厳しく、解雇は当然として、それまでに貰った給料を返還するべきだなどという声まである。
しかし、教職なんて、金を払ってまでやりたいと思うような仕事だろうか?
教職は他の仕事と比べれば、それほど待遇のよい仕事ではない。もちろん公務員なので安定性はあるものの「他人の子供の成長」に大きな役割を果たすというクリティカルな仕事であるがゆえに、社会からつつかれることも多い。また最近ではモンスターペアレントと呼ばれるが、まぁ昔から存在する無茶を言う親のような人たちもいる。そうした中で仕事をしていくのは、並大抵のことではないだろう。
だが、今回の事件が大分という地方であったことを考えると、やはり公務員というブランドの1つとして、教員は人気の職業なのだろう。
一部で景気は回復してきたとはいえ、決して楽観視できない状況の中で、「なんとしても子供を教員にしたい」という親の気持ちを考えれば、常態化していたという不正の横行もその気持ちはよく分かる。それこそ10年前ぐらいから不正が常態化していたというのであれば、それは不況の悪影響の1つであるともいえるだろう。
「不正をした人間が教員をしていては、子供に示しがつかない」という意見も根強い。
だが、私としては「不正はいけない」というよりも「不正があるのが世の中だ」と教える方が、よほど正しい教育であるように感じる。
就職ということに関して言うならば、それこそバブル崩壊後の不況と団塊ジュニア層というボリュームのなかで就職活動をせざるを得なかった人たちと、団塊世代の大量退職と好景気と、それまでの人材不足感が重なり、空前の買い手市場といわれる今の学生達の差は、それこそ不正ともいえるほどの不平等である。
しかし、教員採用試験は不正と言われ糾弾されるのに対して、就職氷河期世代の苦境に対してそうした声は上がらない。さらには親が貧乏なら大学に行けず、質の高い教育を受けることのできないペアレントクラシーの問題もあって、公務員採用を含むすべての就職採用が公平であったことなど、一度たりともないのだ。
そう考えると、「不正」というものの判断基準自体が決して公平に判断されているわけではないということに気付くことができる。
「そんな話はこじつけだ!」と思われるかもしれないが、世間というのはそういうふうにできているのである。
TVでは「不正はとんでもない」と口鉄砲を飛ばす庶民派気取りの司会者の息子2人が、彼が朝と昼の帯番組の司会を務める2つのテレビ局にそれぞれ入社したそうだ(*1)。不正だと断言するのもかわいそうだが、決してテレビ局が公正な判断をしたとはいえないだろう。
「不正は悪いこと」そう口にするのは簡単である。しかし「不正は悪」と切り捨てて終わるのではなく、こうした問題を糸口に、さらなる問題を考えていくこと。せっかく子供の身近で事件がおきたのなら、そういうことを大分の親達は子供に教えて欲しいと、私は思う。
*1:http://news.livedoor.com/article/detail/3728037/
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。