「JALのCA覚えてるよ!」 超マイナー特殊空港「モーゼス・レイク」 日本との深い関わり
アメリカ西海岸の片田舎にあるモーゼス・レイク空港。いまや定期便すら飛んでいない空港が、かつて日本と深いかかわりを持っていました。JALや三菱重工も多用した飛行場とは一体どんな場所なのでしょう。
かつて戦略爆撃機の拠点としても運用
世界屈指の航空機メーカー、ボーイング社が拠点とするアメリカ西海岸のワシントン州シアトル。ここから高速道路I-90で東へ向かうとカスケード山脈に差し掛かります。
ワシントン州は、この山脈を境に二つの異なる気候が存在するのが特徴です。シアトル側は、太平洋から流れ込む湿った大気がカスケード山脈にぶつかり雨を降らすため、雨が多いのに対し、山脈の東側は乾燥した晴れの日が多い地域となっています。
このようにカスケード山脈を隔ててガラリと雰囲気が変わるのですが、その山脈の峠を越えて州の中央を流れる大河、コロンビア川を渡ると広がる平原の真ん中にあるのがグラント郡国際空港、通称「モーゼス・レイク空港」です。日本人にはきわめてマイナーな空港ですが、実はとてもゆかりのある場所。いったいどのような形で日本に関係しているのか見てみます。
モーゼス・レイクに飛来したボーイング747、通称「ジャンボジェット」の初号機(ロジャー・ウィリアムズ所蔵)
モーゼス・レイク空港はもともと軍用飛行場として開設されました。空軍基地として1966(昭和41)年まで戦略爆撃機が配備されていたため、長さ4100mと3000mという2本のメイン滑走路がX状に配置された立派な飛行場であり、この長い滑走路を複数持つ点を活かして、スペースシャトルの予備着陸施設にも指定されていました。
1980年代以降は、誘導路の長い直線部分を活用する形で運用可能な滑走路の本数が増え、現在ではその数は大小5本にまで拡大しています。その一方、空軍が撤退した後は民間飛行場に転用されましたが、このような充実した飛行場設備と恵まれた気象条件に目を付けたのがJAL(日本航空)でした。
モーゼス・レイク出身者が語るJALの存在
高松大学で教鞭をとるロジャー・ウィリアムズ教授は、モーゼス・レイク出身です。彼は「町にとって1968(昭和43)年から長らく訓練所を設置していたJALの存在は大きかった。小学校在学中はいつも同じクラスにJAL職員の子供たちがいて一緒に勉強した。」と当時を振り返り語ってくれました。開設当初はコンベア880の訓練が行われ、のちにはボーイング747型機の訓練も行われています。
1970年代に入ると、JALはボーイング747型機を使用してモーゼス・レイク市内の小学校5年生を対象に毎年、体験搭乗を実施していました。このフライトには特別に日本からフライト・アテンダントを派遣し乗務させるほど、会社として力を入れていた催しでした。
地元小学生の体験搭乗の様子。このときは小学6年生が招かれたそう(ロジャー・ウィリアムズ所蔵)。
これについて前出のウィリアムズ教授は、「招待された小学生にとってJALのフライト・アテンダントは人気の的で、まるで映画スターのようだった。機内で配られた搭乗記念品にサインを求める生徒も多く、サインとともにハンコをもらった生徒もいた」と思い出を話してくれました。
ただ、そのJALも2009(平成21)年3月をもって訓練所を閉鎖。41年間の長きにわたるモーゼス・レイク空港での操縦訓練を終了します。
ただ、その後も日本との縁は続きます。2016(平成28)年から5年間にわたり、三菱重工(三菱航空機)製のリージョナルジェット機「スペースジェット(旧称MRJ)」が型式証明の取得を目指して各種試験飛行を同地で行っていました。
こうして見てみると、モーゼス・レイク空港(グラント郡国際空港)は日本人で知っている人は少ないものの、とてもなじみのある飛行場であることがわかるでしょう。
コンコルドやボーイング777Xが飛来したことも
なお、民間空港としてモーゼス・レイク空港を捉えた場合、2010(平成22)年に乗り入れる航空会社がすべて撤退してしまったため、現在、定期便は飛んでいません。しかし、長い滑走路と安定した天気を利用して飛行学校や軍用機をはじめ多くの航空会社の機体が訓練飛行を実施しています。冒頭に記したボーイング社も、工場があるシアトルから近く、天気が良いモーゼス・レイク空港で飛行試験をたびたび行ってきました。
過去には、このような“マイナー”空港が世界の注目を浴びたこともありました。1974(昭和49)年11月、超音速旅客機「コンコルド」が飛行試験のために飛来したのです。
地元小学生の体験搭乗の様子。このときは小学6年生が招かれたそう(ロジャー・ウィリアムズ所蔵)。
カスケード山脈の西側上空は、冬になると機体への着氷が著しいことから、地元のパイロットには悪名高い場所として知られていました。その気象条件を利用して「コンコルド」は除氷システムのテストを行うために来たというわけです。ちなみに、試験に使用されたコンコルド前量産型01号機は「ミス・モーゼス・レイク」と命名され、現在ではダックスフォード航空博物館で展示されています。
ほかにも、アメリカ空軍が運用した歴代の主力戦略爆撃機、B-47とB-52の1号機は初飛行でシアトルのボーイング・フィールドを離陸後、モーゼス・レイクに着陸しているほか、最近では最新型旅客機ボーイング777Xの試験飛行がモーゼス・レイクで行われています。もしかすると、その立地条件を活かして再び日系企業が使う日が来るかもしれません。