現実にはありえない設定にひきこまれる訳は?(東洋経済オンライン編集部撮影)

堤真一(57歳)と毎田暖乃(10歳)がお似合い。父娘役ではなく夫婦役で。そんなことはにわかに信じられない。だがほんとう。じつにお似合いなのだ。金曜ドラマ「妻、小学生になる。」(金曜夜10時〜 TBS系 以下「つましょー」)の“妻が小学生”設定にこんな荒唐無稽なストーリーはいかがなものかと眉をひそめた人は多かったと思う。ところがふたを開けて見たら……おもしろい。それどころか、今期、いちばんの傑作といっても過言ではなく、SNSはにぎわい、見逃し配信の人気も高い。

(※ここから先は一部ネタバレを含みますので、これから初めてご覧になる予定のある方はご注意ください)

2月25日放送の第6回のラストでは、夫・圭介(堤真一)の年下だけど上司の守屋(森田望智)に告白されたところを妻・貴恵(毎田暖乃)が目撃。ぎろりとにらむと夫はあたふた。大人と子役によるこんな場面はともすれば茶番になりそうなところだが、真剣にどうなるの〜と次回が気になって仕方なかった。

毎田暖乃と堤真一の二人三脚の大勝利

それもこれも妻(石田ゆり子)が憑依した小学生を演じる毎田暖乃の貫禄の妻演技と、夫役の堤真一の渾身の愛妻家演技。彼らの二人三脚の大勝利である。東洋経済オンラインにドラマ賞があったら毎田と堤に最優秀演技賞を差し上げたい。

世帯視聴率はさほど高いわけではないにもかかわらず、「つましょー」がなぜ傑作足りえるか。それについて論じる前に「つましょー」未見のかたに向けて設定をざっとさらっておく。

妻・貴恵(石田)を亡くして10年、いまだに亡き妻を忘れることができず、自分の人生に身が入らない夫・圭介(堤)とひとり娘・麻衣(蒔田彩珠)のもとに現れたのは小学生・白石万理華(毎田)に生まれ変わった貴恵だった。番組公式サイトに掲載された「はじめに」では“生まれ変わり”と書いてある。

だが、物語が進むにつれて貴恵=万理華ではなく、万理華の人格や記憶は別にありながら、なんらかの形で貴恵の人格や記憶で占領されているのではないかとわかってくる。万理華の母・千嘉(吉田羊)は娘が見知らぬ(一応級友の親ということになっている)中年男・圭介と親しげにしていることをいぶかしむ。

原作は村田梛融による人気漫画。絵だったら妻が小学生に生まれ変わった状況に不自然さを感じさせることなく済むだろうが生身の人間が演じることはなかなか難しい。ところが、圭介にとっては妻だが千嘉にとっては娘というちぐはぐな認識で混乱を極めるエピソードも実写ながらナチュラルだ。第6回では圭介が「お母さん」(義母の意味)「お母さん」と連呼して千嘉を辟易させるが、圭介のそのぶしつけさがほほ笑ましさぎりぎりのところを保っていた。

圭介はかなり天然キャラ。だからこそドラマの序盤では他人の娘を妻と認識してつきまとって周囲の人たちからやばい人物と警戒されもする。はたからは圭介の万理華への親しみの込め方は独特の趣味嗜好をもった人物あるいは犯罪を企てている人物のように思える。視聴者的にも序盤は若干、どう鑑賞していいか戸惑ったものだが、あっという間にその躊躇は払拭された。

大人っぽく、小学生にまったく見えない毎田暖乃

なぜ、中年男性と小学生が夫婦役でもお似合いかというと、前述したように毎田暖乃がひれ伏すほどに大人っぽく、小学生にまったく見えないからだ。小学生の役なのに小学生に見えないのもどうかと思うが、黙って立っていれば小学生。でも動く姿は見事に石田ゆり子。石田演じる貴恵の生前の仕草や口調を完コピしている。

逆に、毎田が演じることで石田が演じる貴恵の、さばさばした雰囲気が強調される。石田にはふんわりした雰囲気があるけれど、貴恵はクールで頭の回転がよくて物事の処理にテキパキしている。いささか頼りないところのある圭介の背中を押していくしっかり者の貴恵のキャラクターを毎田がみごとすぎるほど演じている。

人気の子役はたいていしっかりした演技をするもので、愛くるしさと健気さを過不足なく発揮する。その演じる技術はそれこそ大人顔負けで、こましゃくれたふうにはならないように徹底されている。毎田の場合、「つましょー」では大人びた演技をしないとならないが、それが嫌味になっていない。子どもが無理して大人っぽく振る舞うのではなく、大人の記憶と体験をもったうえで子どもの肉体を動かしているという、実に難しいところに挑んでいる。背筋をすっと伸ばし、真摯にその課題に打ち込んでいる毎田の姿がじつにすがすがしい。

毎田暖乃がすごい子役として注目されたきっかけは“朝ドラ”こと連続テレビ小説「おちょやん」(2020年度後期)だった。毎田は主人公・千代(杉咲花)の子ども時代を担当し、第1回から登場した。貧しい家で育ち、お風呂に入れず髪の毛にシラミがいるような生活ながら、たくましく日々を過ごしている。酒飲みで働かない父(トータス松本)にも臆することなく強い態度に出るヒロインを鮮烈に演じた毎田。きりっと切れ上がった目尻が印象的で、ただの乱暴者ではなく、物事をすごく深く考えているように見えた。

毎田暖乃の迫真の演技に視聴者はくぎ付け

「おちょやん」での毎田の忘れられない場面は、父が後妻(宮澤エマ)を迎える代わりに千代を奉公に出すとき哀しみを跳ね返し「捨てられたんやない」「うちがあんたらを捨てたんや」とたんかを切る別れの場面。毎田の迫真の表情に視聴者はくぎ付け。毎田暖乃天才伝説のはじまりである。千代の幼少時代は2週間(10回)だったが毎田は確かな爪痕を残した。

また、ドラマ終盤では別の役(後妻の孫で千代の姪で養女になる少女)で登場すると千代の子役のときとはまるで違う行儀のいい人物になっていて、その演じ分けが見事とこれまた注目を浴びた。

視聴者を圧倒した毎田の鮮やかな演じ分けは「つましょー」でさらにアップデートされている。寝ている娘に布団をかける仕草は娘を慈しむ母親そのもので、千嘉と“母親同士”として接するときには逆に千嘉のほうが子どものように見えるほどである。

毎田がこれほど大人に見えるためには、周囲のバックアップも大きい。彼女の相手をする堤真一、吉田羊という名優が、懸命に貴恵を演じている毎田に本気で向き合っている真剣勝負の空気がこの荒唐無稽なドラマに真実味を与えている。彼らの目の先にほんとうに貴恵がいるように見えるのだ。

例えば、堤真一と石田ゆり子で夫婦愛のドラマを作ったら上等すぎて落ち着いたものになるだろう。小学生の姿をした妻と中年の夫が懸命にお互いを大切にし合うからこそふたりの愛情や信頼関係がいっそう麗しく見えるし、娘とうまく接することのできなかった母が、カラダは娘でも心は自分よりも年上の女性と向き合うことで、静かに内省していく。当人に直接触れることができないもどかしさのなかで愛が際立っていくのである。

大切な人を亡くし、残った者の気持ち

「もし妻が小学生になったら?」的なライトなコメディーかと思わせながら「つましょー」はじつはとても切実なものを抱えている。大切な人を亡くしながらこの世に生き残った者の気持ちである。

貴恵を亡くしてから生きる気力をなくし10年間も過ごしてきた圭介と麻衣。彼らが心配で成仏しきれない貴恵。その思いの強さが小学生に転生するという奇跡を生むというなんとも切ない話なのだ。圭介と娘の麻衣のみならず、圭介に思いを寄せる守屋にも大切な家族への思いがある。

また、圭介たちの行きつけの寺カフェのマスターであり僧侶(柳家喬太郎)には霊が視える。この世の人たちに聞こえない言葉を聞くことができる。死者との邂逅。生まれ変わりの希求。子どもへの不器用な感情……人間が生きている限り切り離すことのできない、愛する人の幸福を願いながらずっと一緒にいたいひたむきな思いは、子どものカラダの中に大人の心が入っているというありえない状況を決して白けさせてしまわないように緊張感を途切れさすことなく演じ続ける俳優たちの本気度と重なる。細くもろい糸をつかむような切実さが「つましょー」の本質として私たちの胸を打つのだ。

(木俣 冬 : コラムニスト)