犬と秋の高野山。季節が変化しても、変わらないありがたさ
ペットの柴犬の写真をツイッターに投稿し続け、その自然体のかわいさが人気となっている@inu_10kg。ESSEonlineでは、飼い主で写真家の北田瑞絵さんが、「犬」と家族の日々をつづっていきます。第41回は、犬とともに訪ねた秋の高野山について。
犬と見た秋の高野山。季節は変わっても決して変わらないこと
犬越しの車窓から葉が赤く染まった木を見つければ、30歳になっても指を差して喜んでしまう。11月初旬、高野山に行ってきた。
運転をしている母と助手席の妹が踊るようにおしゃべりを続けて、後部座席では子犬の体格とは違い膝に乗せるにはやや大きな犬が、私の太ももに乗り上げてきては流れる景色に興味津々とにぎやかな道中だった。
もともと妹と犬と行く予定だったが、早朝から降っていた雨で柿の収穫ができなくなり母も同行できた。農家のお休みは天気次第である。秋冬と収穫出荷で忙しい母は「秋の高野山なんて何十年ぶりやろう」と声を弾ませていた。
傘を持ってきたものの、高野山の奥の院に到着した頃にはすっかり雨が上がっていた。
紅葉の見頃には少し早かったが、雨に濡れた木々はより色鮮やかに感じられる。
奥の院は弘法大師御廟の手前の御廟の橋までは犬も入れるし、広々としているので、犬と一緒に参拝している方も多い。高野山の所在地は標高約800メートル、空気が澄んでいて気持ちがいい。
過去に奥の院で格好いい大型犬と出会ったことがある。それまで見たことがなかった犬種だったので調べようとするも一切手がかりがない。仕方なく犬を見た印象から「エジプトっぽい 大きい犬」と調べると、なんとすぐさまヒットした! 是非検索してみてほしいのだが、私が見た犬は“ファラオ・ハウンド”という犬種だった。
しかもエジプトっぽいとかなり抽象的な印象を抱いたが本当にエジプトにゆかりがある犬らしい。エジプトみを感じるかどうか気になるのでよかったら調べてみてほしい。
●妹と弘法大師御廟を参拝
母と犬には待っていてもらって、妹と弘法大師御廟を参拝してきた。そして奥の院の御供所で御朱印をいただきました。以前から関心があった御朱印集めを始めました!
犬をあまり遠くに行かせられないが、和歌山や関西でも行ける範囲であれば犬と参拝して、御朱印集めができたらいいな。犬と一緒に出来るなにかを始めたかったというのもある。
みんなで合流して、ひと気のない場所で一休みしていた。すると妹が「ワー! あそこ見て見て! すごい!」と空に向かって手を伸ばした。
手を伸ばした上空は緑から黄。そして赤へ変遷している紅葉のグラデーションがあまりに鮮やかで、母も「あら〜」と歓声を上げた。
それから妹が近くに落ちていた木の棒を拾えば、「ヘイヘイ待ってました〜!」と言わんばかりに犬が勢いよく飛びついた。犬にしてみれば花より団子、紅葉よりいい感じの木の棒である。
妹が木の棒を投げては犬がくわえて戻ってきてはまた妹が投げる。どこであってもいい感じの木の棒があればホームグラウンドのようになるのだなぁ。
それから11月中旬、撮影の仕事から久しぶりに東京へ行ってきた。優秀なフォトグラファーが東京に大勢いるなか、和歌山の山奥から呼んでもらえるのはほんまに心底有難い。この辺りは楽しくも慌ただしい日が続き、あらためて私は精神面をとことん犬に支えられているのを実感した。
どんな朝も犬は迎えてくれる。私が大失態を犯そうが褒められようがボロを着ようが洒落込もうが、ひとしく迎えてくれる。成績も見た目もなんでもいい、いつ何時も変わらない眼差しを向けてくれる。その公平さに救われている。
まぁそうは言っても、いるだけでいい存在ではないのと思う。犬には犬の尺度や態度があるのだろう。だから関係をおろそかにしないよう、来年もよく散歩して、よく遊び、よく食べてよく寝て、よく暮らしていこう。それが犬と私の結ぼれになって、すこやかな生活にも繋がるのだから。