現在はセールスフォース・ドットコムに務める松下さん。DeNAでは捕手としてプレーし、引退後はブルペン捕手も経験した【写真:本人提供】

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連載「Restart――戦力外通告からの再出発」第6回、松下一郎氏が転職成功するまで

 日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、戦力外通告を受けて現役生活に終止符を打ち、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。

 そんな彼らのセカンドキャリアに注目し、第二の人生で奮闘する球界OBにスポットライトを当てる「THE ANSWER」の連載「Restart――戦力外通告からの再出発」。第6回は横浜DeNAベイスターズを退団後、世界No.1の顧客管理(CRM)ツールを提供する「セールスフォース・ドットコム」(以下、セールスフォース)に務める33歳・松下一郎さん。

 2010年の育成ドラフト1位で入団し、戦力外通告を受けて14年からDeNAのブルペン捕手に。その後、転職活動を経て17年から同社の営業を担当している。米経済誌「フォーブス」による「世界で最も革新的な企業100社」ランキングにおいて第1位を受賞したこともある外資系IT企業。入社に至るまでの経緯と、転職で改めて感じた野球で得たものについて語ってもらった。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

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「セールスフォースのことは転職サイトで知りました。カラフルで明るい雰囲気のオフィスがバッと画面に出てきたので『何の会社だろう? CRMって何?』と思い、調べていったことがきっかけですね」

 同社の第一印象をこう語る松下さん。主に中堅中小企業の経営者を相手に、経営課題をITを活用して解決する様々な提案をすることが現在の仕事だ。今年で入社5年目。社内制度では既に3度昇進している。

 米国に本社を持つセールスフォースは、日本の従業員数も21年1月時点で2700人を超えるなど急成長中。「フォーブス」が選ぶ「世界で最も革新的な企業100社」で第1位となるなど、多数のアワード受賞を誇るIT企業だ。

 勤務先は東京・丸の内だったが、コロナ禍の影響により昨年4月からフルリモートに変更。1日に3〜4件、月計算だと約60件もの打ち合わせをこなしている。

「だいたい午前9時からお客さんとのミーティングが始まるのですが、リモートで移動時間がなくなったこともあって、10時59分に終わったら次の打ち合わせが11時から始まることもあり……結構慌ただしく仕事をしています(笑)」

 捕手として10年の育成ドラフト1位でDeNAに入団した松下さんは、現役引退後にブルペンキャッチャーを3年間経験。その後、転職活動の末にセールスフォースに入社した。

 プロでは2、3年目に左ひざのじん帯を断裂。13年シーズン限りで戦力外通告を受けた。2度目の断裂後、球団には手術を受けさせてもらっていただけに「もう1年チャンスがあると思っていた」が叶わず。呼び出された球団事務所の一室にしばらく残り、一人泣いた。

 当時はリハビリ中だったため、12球団の編成担当らの前で実力を披露するトライアウトは受験できず、他球団からの入団オファーが来ることも現実的ではなかった。1週間悩み、DeNAから打診されていた裏方業への転身を決めた。

「元々、プロになれなかったような自分を獲得してくれた。充実した3年間でしたし、(戦力外と)言われた瞬間はショックだったけれど、求められていることならやろうと思いました」

やりがいあるブルペンキャッチャーを辞めた理由「広い世界で活躍したい」

「自分は本来、プロになれる実力はない」

 高校入学の頃から、松下さんは悟っていた。大学選びの基準も「就職に強く、英語が学べるところ」。一般的な学生と何ら変わりなかった。

 関西外国語大の短期大学部に入学し、後に4年制へ編入した。野球部では主将を務めたが、1日の練習時間は2〜4時間ほど。強豪校のように、指導者がつきっきりで指導する環境ではない。選手でメニューを考え、自主性を重んじるチームだった。

 およそ3年半の間、マクドナルドで22時から深夜2時までアルバイトもしていたし、大学生らしい遊びに勉強も楽しんだ。過ごした時間の全てを野球に捧げていたわけではない。ただ、メリハリをつけ、自分で課題を見つけて練習する環境が松下さんには合っていた。

 4年春には阪神学生野球リーグで打率.341をマークするなど急成長。プロ入りのきっかけは、後に広島に入団する西原圭大(現ニチダイ)とバッテリーを組んだこと。西原の視察に訪れたDeNAスカウトの目にたまたま留まり、育成で獲得を検討していることが伝えられた。

 ただ、指名される保証はない。だからドラフト直前まで、就職活動に力を注いだ。当時異例のスピード上場を果たしていた、中古車販売などを手掛ける「ガリバー」から内定を得て、内定式にも参加している。

「合同説明会も行きましたし、当時は商社やMRに興味を持っていました。受けたのは全部で20〜30社だと思います。プロ入りの場合も考えて、内定書には『ドラフトにかかった場合は、入団を優先する』との文言を付け足してもらいました」

 結果的に指名を受け、内定は辞退。飛び込んだプロ野球界での日々は充実していたが、楽しかった思い出はほとんど残っていない。最初に圧倒されたのは、2月の春季キャンプだ。

「2日目くらいで感じたのですが、例えば(現DeNA監督の)三浦大輔さんはこの練習を10年以上やっている。化け物だと思いましたね。僕は公立高校出身で、大学でも1日中野球のことを考えることがなかった。環境の違いに一番驚きましたね」

 野球漬けのハードな生活で、気付かぬうちに体に異変も出た。3月、大学の卒業式に備えて散髪に行くと、頭に1センチ四方の脱毛部分が2つ見つかった。円形脱毛症だった。

「グラウンドに行くまでに、嗚咽するような感覚になる時期もありました。技術的に劣っていたところがあって、追いつくのに苦労して。周りから見ると『何で出来ないの?』と思われるところもありましたから」

 1軍出場は果たせなかったが、成長を求め続ける日々は充実していた。そんな現役生活に終止符を打ち、14年から裏方になった。人に喜んでもらうことが好きな性格。やりがいがあり、自分に合っている仕事だと思えた。ただ、さらに成長を感じられる場所に惹かれる気持ちもあった。「野球界に限らず広い世界で活躍していたい」。ふと40歳になった自分を想像した時、そう思った。

「20代後半なら、どの業界でもチャレンジして失敗できると思ったんです」

 不動産業界に勤めていた小林太志氏らOBに話を聞く中で、ITとアスリートを組み合わせれば10年後も必要な人材になれるのではないかと、漠然と考えた。チームの予定がない日は転職サイトを眺めるようになり、セールスフォースに興味を持ったのは16年のことだった。

「会社の雰囲気、ビジョンはもちろん好きなんですけれど、経営者の方々と会話ができる仕事はなかなかないですし、彼らに対して提案できる。業種業態も関係なく、横にも縦にも奥にも広いと感じました」

殴り書き2ページで分かった“野球+キャッチャー”という人間性

 大学時代に就職活動を経験していたとはいえ、プロ野球界一筋の身で全く畑違いのIT企業に移るのが簡単でないことは、想像に難くない。「いかにベイスターズの6年間を魅力的に伝えるか」。対策の上でリクルーターとの1次面接に臨んだが、まだ浅かった。自分には入社して何ができ、何がやりたいのか……まともに答えられない質問もあった。

 2次面接に進んだものの、このままでは採用されないのは明らかだった。救われたのは、キャリアと人間性を評価してもらえていた採用担当がいたことだ。

「『ちゃんと自分の強みと弱みを3つくらいあげて、それについて話せるようにしてきて』とサポートいただいて。ノート見開き2ページくらい殴り書きしましたね。自分はなぜこんな性格なのか、何が弱みなのか……全部出しました」

 ペンを握り、自分と向かい合った時間で分かったのは“野球+キャッチャー”で成り立っている人間だということ。実力が足らないと感じていたにも関わらずNPBに飛び込んだチャレンジ精神、小学3年生から捕手を務め「どうすればチームが勝てるか」を考え続けて養われた責任感の強さ。ビジネスでも力にできることはたくさんあった。

「お客さんと話す時や、チームでプロジェクトをまとめて進めていく時に活かせると話しました。『勝ったら投手のおかげ、負けたら私のせい』という捕手のマインドでいることをアピールしたのですが、2次面接の面接官には『あのワードで決めた』と評価していただきました」

 商社、不動産など5社の面接を受け、第1希望のセールスフォースに内定が決まったのが8月。17年1月に入社し、現在に至る。

 シビアなプロ野球界。球団から離れ、別の仕事を探すケースは確実に生じる。NPBでもセカンドキャリアに関するサポートを強化しており、松下さんは昨年の講師を務めている。充実した第二の人生を歩んでいる野球選手に感じる、共通点を尋ねてみた。

「自ら行動して野球界の外にいる人に会っていることだと思います。全然繋がりがなくても、知人経由で話を聞きに来てくれた人もいます。縁も生まれるし、踏ん切りもつくので、やっぱり行動することは大事。

 セールスフォースだって、当初の僕には『何ができるんだ』という話。入社してからタイピングを始めたのは僕が初めてなんじゃないかと思うくらい。それでも受けるという行動が大事な気がします。自分は野球しかやってこなかったから、できないんじゃないかというマインドは全く必要ない」

 球界から離れた元選手の1人として、成果を出し続けることでアスリートの価値向上に貢献したい思いもある。当面の目標は営業の成績を出し続けること。その先も見据えている。

「なるべく早くマネージャーになりたいな、とは思っています。チームや人が成功することに喜びを感じますし、私がマネージャーになると何がいいかというと、このようなインタビューでも説得力がもう一段違ってくると思うんです。

 チームを持って外部への発信をもっとしていきたいし、(元アスリートなどで)チャレンジしたい人を自分のチームで受け入れるということもできるかもしれない」

 あの日、ノートに殴り書きして得た答え。17年間の捕手人生で培った責任感は、受け止める力にも繋がってくる。今は成長を求め、ただ邁進する。自分のチームを持ち、まとめ上げる将来に向かって。

■松下一郎 / Matsushita Ichiro

 1988年7月19日生まれ。兵庫・神戸市出身。小学3年で野球を始めて以降は捕手一筋。六甲アイランド高時代、3年夏は兵庫大会3回戦敗退。関西外国語大・短期大学部に進学後、4年制に編入。3年春から正捕手となり、4年春はリーグ打率.341を記録した。10年の育成ドラフト1位でDeNA入団。2年目終盤、2軍の試合でクロスプレー時に左ひざのじん帯を断裂。翌年も復帰目前に再断裂し、13年シーズン限りで戦力外通告を受けた。14年からDeNAのブルペンキャッチャーを3年間務め、17年1月にセールスフォース入社。インサイドセールスを担当し、既に3度昇格している。現役時代の身長・体重は173センチ、78キロ。右投右打。(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)