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 9月29日に自民党総裁選の投開票が行われ、岸田文雄氏が当選を果たした。有力候補と目された河野太郎氏は、党員党友票は集めるも、国会議員票では岸田氏、高市早苗氏に次ぐ3位となり、決選投票でも岸田氏に87票差を付けられ惨敗した。

 河野氏の敗因の1つとして、石破茂氏が応援に回ったためではと見る声が一部ネット上ではある。石破氏も河野氏に同じく、国民からの人気や知名度は一定数あるものの、国会議員内での評判はそれほど芳しくない。何より石破氏は、1993年に自民党を離党し、新進党の結党に参加した過去がある。そのため、古参の自民党議員の間には石破氏に対するアレルギーがある。

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 これにより、石破氏が全面的に支援に出ると、票が逃げて行く、いわば「貧乏神」「疫病神」のような現象が起こるとネットで揶揄されている。石破氏自身、2008年から断続的に4回総裁選に出馬しているが、全て破れている。

 石破氏は、2007年に第一次安倍晋三政権の退陣に伴い行われた総裁選では、福田康夫氏を支援。だが、福田内閣は約1年で退陣し、政治的な混乱を加速させた。この動きには安倍氏が不満を示していたともされる。

 また、2008年の総裁選では、石破氏は自ら出馬するも、5人中最下位の25票に留まっている。この選挙では、選挙を戦える顔として麻生太郎氏が選出されるも、自民党に対する逆風は止まらず、翌2009年の衆議院議員選挙で大敗し、下野してしまう。

 さらに、2009年の総裁選では、石破氏は谷垣禎一氏を支援し当選。だが、自民党は野党となっていたため、当然ながら総裁となっても総理大臣にはなれない。谷垣氏と言えば、バランス感覚に優れ、かねてから首相候補と目されてきた人物だが、ここぞという時に本領を発揮できなかった。

 こうして見ると、石破氏が支援する候補者たちのその後は、決して順風満帆ではないと言えそうだ。