オリンピック招致の際は、「コンパクト五輪」と言われていたはずですが……(写真:ジャバ/PIXTA)

連日のメダルラッシュで「オリンピック、始まってみると開催してよかった」という声も少なくない。一方で、そもそも東京オリンピックに期待されていた「コンパクト」「復興」などの理念は忘れられているように見える。

そもそも日本人はどのようなオリンピックを期待していたのだろうか? その期待は実現されたのだろうか? 人情に注目して人間行動を分析した『義理と人情の経済学』を執筆した山村英司氏が、約5000人対象の全国調査で、東京オリンピックに関する意識を分析した。

そもそもコンパクト五輪だったはず

東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」。東京オリンピック招致時の猪瀬直樹都知事の言葉である。大会組織委員会によれば開催経費は総額1兆6,640億円で、招致段階の見積もり額7,340億円の約2倍以上に膨張した。夏のオリンピックで過去最大規模の経費である。


緊急事態宣言下、一寸先も見えぬ状況で、8年前に決定した「金がかかる」オリンピックが開催された。日本で78%の人が2021年の開催に反対しているだけでなく、イギリスで66%、IOCのバッハ会長の母国であるドイツで63%、世界平均で57%の人が反対していた(※1)。意見や立場の違いはあるが、ほとんどの人は違和感や不満を持っていた。平時ならば考えることもなかった疑問が湧く。

「そもそも、なぜオリンピックをやる必要があるのか?オリンピックの意義とは何か?」

たとえば、「多くの人に希望や勇気、感動を与える」ならば、メジャーリーグの大谷翔平選手の大活躍に触れるだけで十分であろう。世界のメジャーなプロスポーツは巨額の金銭が動く、ビジネスであり市場経済の原理が働く。

アスリートの活躍に引き寄せられる人々は、意識せずともコストと引き換えにプロスポーツを観戦する。そのスポーツの魅力がなくなっていくと、ファンは減少していき市場は縮小しスポンサー企業は離れていく。需要と供給、コストと便益の比較によって、自由な意思決定のもとでプロスポーツは存在する。市場経済では「希望や勇気、感動」は、誰に押し付けられるものでもない。

オリンピックの経済効果を検証した経済研究は数多く存在する。大半の分析では過剰投資のため長期的には経済にマイナス効果をもたらすことが示されている。例えば、1998年に開催された長野オリンピック開催は多額の負債を残した。これを返済するために10年以上もかかった(※2)。

大会組織委員会参与の夏野剛氏は無観客開催を求める世論について、「クソなピアノの発表会なんかどうでもいいでしょ、オリンピックに比べれば。一緒にするアホな国民感情に今年選挙があるから乗らざるをえない」と述べた。散見される「国民間違い」説を平易に簡潔に表現している。確かに商業的な価値からすればそのとおりである。

しかし、オリンピックは単なる商業的メガイベントではない。規模が大きすぎて、私企業が単体で開催することは不可能なのだ。そこで、予算は税金から強制的に徴収される。スポーツに関心がない人も、金を払わされるのである。だからこそスポーツの「感動」以外に、オリンピックに正当性を持たせる理念が重要である。

日本人が東京オリンピックに求めていたもの

実際に人々は東京オリンピックに何を求めていたのだろうか? 筆者はこの問について、2016年に独自に収集した約5000人のアンケート調査のデータを用いて検証した。まず下記の意見への賛否をきいた。

「東京オリンピックへの支出を極力小さくすべきである」


結果は66%が賛成であり、特に大賛成が36%に達する。一方、反対はわずか6%にすぎない。東京オリンピック招致時の「金のかからないオリンピック」は、民意を反映したものであったのだ。アンケートでは別に下記の3つの質問をしている(回答の選択肢は5段階)。

「政府は災害対策を強化すべきである」

「政府は女性が働く環境において十分に能力を発揮し、活躍できる社会を作るべきである」

「政府は環境問題への対策に力を入れるべきである」

東京オリンピックには「東日本大震災からの復興」を発信するという趣旨があった。さらに女性の参画を促し、多様な視点を取り入れる方針であった。環境問題も持続可能な社会実現の重要性が高まる現在、非常に重要なトピックである。いずれも、新時代のオリンピックの方向性と密接に関連する質問である。これらの質問についても、6割以上の人が賛成している。

筆者は「災害対策」「女性参画」「環境問題」への見解が、どの程度「金のかからない」オリンピックへの支持度合いに関連するかを分析した。分析結果から次のことが明らかになった。

災害対策強化を求める程度が1ポイント上昇(5ポイント中)すると、オリンピック支出縮小への支持程度が約1.5ポイント上昇(5ポイント中)する。また「女性参画」や「環境問題」を重視する傾向がある人ほど、オリンピック支出縮小を支持する傾向がみられる。以上のことから、当初の東京オリンピックの理念は、民意に沿うものであったといえる。

膨らむ費用と理念の変質

しかし、時間の経過とともに明らかになったのは、競技場の新設等にかかる費用の膨張である。これは、東京オリンピックに限った現象ではない。1960年以降のオリンピック大会の総費用は、平均して予定額の2.7倍となる(※3)。費用がいくら高くても企業と違って政府は倒産しない。費用を抑える動機がないから支出は自然と増えていく。

費用ばかりでなく、理念の変質もあった。新型コロナによって、「東日本大震災からの復興」の看板は「パンデミックに人類が打ち勝った証し」にかけ替えられた。その看板も下ろさざるをえない状況に至ったことは周知のとおりである。

ジェンダー平等ランキングで、対象156カ国中、日本は120位(世界経済フォーラム)に甘んじている。東京オリンピックで「女性参画」をアピールすることで、汚名を返上することができたかもしれない。このように夢想するとき、森喜朗氏が思わず発してしまった言葉が蘇る。「女性理事を選ぶってのは、文科省がうるさく言うんです。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」。

式典の責任者であった「電通」出身の佐々木宏氏が女性タレントの容姿を侮辱する演出案を提出したことにより辞任に追い込まれた。開会式の作曲を担当した小山田氏が学生時代に障がい者に犯罪的な「いじめ」をしていたことが問題化した。障がい者スポーツの祭典「パラリンピック」は一体化して開催される。最終的に開会式の4日前に小山田氏の辞任と、担当した開会式楽曲の冒頭4分間を使用しないことになった。

開会式の制作チームの小林賢太郎氏は、芸人時代に「ホロコースト」をコントで扱ったことが問題視され解任された。理念に反する人物の起用を問題視しなかった組織委員会も、謝罪する事態に至った。一連の騒動は、国内のみならず海外メディアからも批判された。

開会式の企画制作の人選を主導したのは、広告代理店と言われる(※4)。たしかに、商業主義のために肥大化したメガイベントを成功させるためには、広告代理店のノウハウが必要不可欠である。

しかし、広告代理店の行動原理やビジネス常識と、オリンピックに求められる理念や国際常識の乖離は非常に大きい。式典に関わる主要人物が問題を起こし去っていったことは必然であった。

経済学では、新型コロナのように人流が増えたときに感染が拡大し周囲へ悪影響を与えることを負の外部性という。個々人が自己責任で自由に意思決定をする市場経済ではこの問題を解決できないために、「市場の失敗」が発生する。これを補正するために政府がワクチン供給などによって集団免疫を作る。

一方で政府にはコスト感覚が欠如しているために、予算の無駄遣いをする。「40年前のオリンピック施設」を利用するはずが、いつの間にか新たに競技場が建設されることになった。しかも、当初は過大な費用がかかるデザインが採用された。世論の批判がなければ、そのまま建設されていたはずだ。

企業と違って政府は市場経済の圧力をうけないために支出が増大し「政府の失敗」をもたらす。パンデミック下で、商業主義から発生する「市場の失敗」と政府の独善から発生する「政府の失敗」の掛け算で、莫大な損失を国民は負うことになる。

さらに厄介なのは、「政府」以上に独占的な権力が存在することである。オリンピックの開催都市契約の契約解除を記した66条では、「IOCは本大会を中止する権利を有する」とある。スポーツ法の早川吉尚立教大学教授によれば、オリンピック開催が中止を日本が切り出せば、IOCが債務不履行として賠償を求める可能性が大きい(※5)。

つまり、中止になれば莫大な賠償金を日本が負担しなければならない。そして、その負担は結局のところ国民の血税から支出されることになる。これを回避するには、日本側はオリンピックを開催するよりほかはない。ホスト国は「不平等契約」をIOCとの間に結ぶことが条件づけられている。

オリンピックの本来の趣旨に立ち返るべき

東京オリンピックを巡る騒動で明らかになったことがある。一旦、オリンピックを招致したならば、後戻りは許されないということである。そこには、民主主義も経済メカニズムも機能しない。東京オリンピックは「商業」オリンピックを招致することのリスクを明らかにした。山口香氏(元JOC理事)は次のように主張する。

「商業的に小さくなっても、オリンピックの趣旨に立ち返り持続可能性を模索すべき」(※6) 。

1964年、2021年と連続して東京オリンピックで聖火ランナーを務めた落語家の三遊亭小遊三師匠によれば「高校のときは粗末なトーチでこんなに立派じゃなかった」(※7) 。また、小遊三師匠は、今回のオリンピックは「プロ」が集結する大会であるのに対して、前回は「アマチュアによる素朴な」大会と感想を述べた(※8)。

オックスフォード大学のフライバーグ教授らの研究によれば、ロンドンオリンピック(2012年)と比べ、東京オリンピック(1964年)は53分の1の費用、商業主義の始まりとされるロサンゼルスオリンピック(1984年)でさえ20分の1の費用で開催可能だったのだ(※9) 。山口香氏の次の指摘は経済学的観点からみても、正鵠を射ている。

「オリンピックはマイナースポーツのためにあると、私は思っている。正直に言えば、サッカー、テニス、ゴルフにオリンピックは必須ではない。テニスなら全仏オープンやウィンブルドンがあり、そこで優勝するほうがよっぽど価値があるし、サッカーだってワールドカップがある。 でも、馬術やウエイトリフティングなど普段はそれほど注目されないスポーツにとって、オリンピックは多くの人に見てもらい、すべての選手がスターになれる4年に一度のチャンスになる」(※10)

今後のオリンピックの転換点に

オリンピックはアマチュアリズムへ回帰し、マイナースポーツのための大会へと変貌することが望ましい。それは、多種多様な人が参加して作り上げる相互理解のための祝祭である。

東京オリンピックは会期中に、東京で過去最高の一日5,000人を超える感染者を記録し感染爆発状態の状態に陥った。猛暑の中での競技で、体調を崩す選手や不満を訴える選手が続出した。「安心、安全」だったはずの大会は選手や一般人を危険にさらしている。しかし選手の要求を受け入れる形で、テニスの試合開始時間が変更された。

今後の大会では、アメリカのテレビ放送時間の関係で困難とされたオリンピックの日程なども改善されるかもしれない。一見、失敗したかに見える東京オリンピックは、今後のオリンピックの転換点になるかもしれない。そうなれば、東京オリンピックは歴史に名を刻み付ける意義ある大会となるだろう。

(※1)資料:Ipsos Survey。28カ国の19,510人に対し、5月21から6月4日にかけて調査。

(※2)Miyoshi, Koyo., Sasaki, Masaru. (2016)"The Long-Term Impact of the Nagano Winter Olympic Games on Economic and Labor Outcomes" Asian Economic Policy Review, 11:43-65.

(※3)Flyvbjerg, Bent, Alexander Budzier, and Daniel Lunn, 2020, "Regression to the Tail: Why the Olympics Blow
Up," Environment and Planning A: Economy and Space, published online September 15.

(※4)「「障がい者イジメ」小山田圭吾“一派”を抜擢したのは“渡辺直美”侮辱男だった」『週刊文春』2021年7月29日号。

(※5)「日本側から五輪中止を求めたら 法の専門家「賠償金ある」」『毎日新聞』2021年6月11日。

(※6)「NHKラジオ第一『マイあさ!』 インタビュー、2020年6月6日。

(※7)『報知新聞』2021年6月27日。

(※8)「NHKラジオ第一『マイあさ!』 インタビュー、2020年7月24日。

(※9)Flyvbjerg, Bent, Alexander Budzier, and Daniel Lunn, 2020, "Regression to the Tail: Why the Olympics Blow Up," Environment and Planning A: Economy and Space, published online September 15.

(※10)山口香JOC理事「今回の五輪は危険でアンフェア(不公平)なものになる」『Newsseek』2021年6月8日。