FC岐阜前社長 恩田聖敬 特別寄稿 2020

 FC岐阜の初めてのJ3への挑戦は6位に終わりました。ブラウブリッツ秋田の独走を許し、2枠昇格のうち実質1枠を巡る戦いになってしまいました。コロナ渦の中でも無観客試合以外は、スタジアムでFC岐阜の戦いぶりを観た者としては色々思うところはあります。

 
 様々なターニングポイントがあったように思います。しかし今回は、あえて今シーズン1年を振り返るのではなく、FC岐阜も含めたJリーグ全体への私が抱く『危機感』について書き記そうと思います。

 少し時計の針を戻します。2015年11月23日、シーズンホーム最終戦のセレモニーにて私はFC岐阜社長退任を発表しました。社長退任から5年の月日が過ぎました。当時の小学生の多くが中学生や高校生になっています。社長在任中によく私に声を掛けてくれた小学生たちがたくさんいました。また、岐阜県内の小学生を無料でスタジアムに招待する『夢パス』も、私が社長在任中にスタートしました。

 一方でFC岐阜は私が社長退任後、飛躍的な成長を遂げました。後援会、スポンサーも増えて、会社としての基盤も整備されてスタッフも増員されました。行政や経済界が岐阜県におけるFC岐阜のポジションをきちんと認識してくれた証だと思います。すばらしい成果です。

 しかし、私はふと思うのです。「私が社長在任中に小学生だった彼ら彼女らは、今現在もFC岐阜を応援してくれているのだろうか?」と。今でもスタジアムに足を運ぶと私を『社長!』と呼んでくださる方がいらっしゃいます。すごくありがたいことですが、その方々はみなさん大人です。中学生や高校生からお声掛けいただくことはありません。

 FC岐阜の普遍のスローガン『子どもたちに夢を!』を私は本当にやれたのかを、深く考えることがあります。FC岐阜は岐阜県民及び岐阜県にゆかりのある方々の活力源となり、地元の誇りとなるべく存在していると私は思っています。いわばFC岐阜の存在自体が地域活性につながります。

 地域活性の観点から考えると、FC岐阜への子どもたちの思いが最重要になります。なぜなら我々大人は将来子どもたちの創る岐阜県に住ませてもらうことになるからです。FC岐阜を通じて、故郷・岐阜県への思いが高まれば未来の岐阜県は安泰です。それが全国各地にJリーグのチームが存在する意味であり、スポーツの持つ力だと私は思います。

 だが、果たして全国のJリーグのチームは子どもたちのサポーターを増やせているのでしょうか?


Jリーグの百年構想について語った恩田聖敬

 これはJリーグ全体で検証すべき課題だと思います。私が小学生の時、娯楽と言えばプロ野球でした。地元球団である故・星野仙一氏率いる中日ドラゴンズの1988年の優勝は私の心を鷲掴みにしました。

 そして1993年Jリーグ開幕、今度は世の中がサッカーフィーバーに包まれます。加えてワールドカップ出場やなでしこジャパンの活躍により、サッカーは確実に日本の子どもたちに夢を与える存在となりました。

 しかし時代は急激に変化しました。子供たちの夢がYouTuberの時代が到来しました。スマホ一つであらゆる情報にアクセス出来て、そこには多種多様な娯楽が存在します。加えて新型コロナウイルスの影響で、スポーツをライブで観戦する機会も減っています。よしんば観戦出来たとしてもコロナ式応援が課され、スポーツの最大の魅力である『一体感』を感じづらい状況にあります。

 さらに言えば、今年はJリーガーも含めてアスリートの不祥事が相次ぎました。これでは子どもたちのスポーツ離れに拍車をかけるばかりです。サポーターの少子高齢化が進めばJリーグの掲げる『百年構想』も絵に描いた餅に終わります。多種多様な娯楽の中でサッカーの持つプライオリティは何か? それをどうやって伝えるか? 世のサッカー関係者が真剣に議論すべきだと思います。

 今の小学生が5年後、10年後、20年後もFC岐阜というチームを気にかけてもらうにはどうすればいいのか? もちろんチームの強さも必要不可欠な要素だと思います。しかし、それだけではないと私は思います。

 Jリーグのチームは必ずチーム名に地域名を背負っています。その意味をいかにして伝えるか? これは付け焼き刃で出来る仕事ではありません。クラブスタッフがビジョンを明確に共有して、「FC岐阜文化」が揺るぎないものになるには途方もない時間を要するかも知れません。しかし私は敢えてFC岐阜にそこにチャレンジしてみて欲しいと思います。

 1993年のJリーグ創生時、いわゆる「オリジナル10」と呼ばれる最初の10チーム、浦和レッズ、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド千葉(当時市原)、東京ヴェルディ(当時ヴェルディ川崎)、名古屋グランパス、清水エスパルス、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、横浜マリノス、横浜フリューゲルス(横浜2チームは合併して現在横浜F・マリノス)はずっしりと地域に根を生やしています。サッカー門外漢でも名前は聞いたことがあるはずです。

 数年前、J2で名古屋グランパスと対戦した時に相手サポーターから『歴史が違う』という、ある種の誇りのようなオーラを感じました。まさしく歴史が積み上げた誇りだと思います。

 プロ野球が人気に陰りを見せながら生き残っているのは、確固たる歴史を基盤にしながらも、その歴史にあぐらをかかない営業努力で未来につながる客層を得ているからだと思います。

 今日のパリーグの隆盛は、30年前の私が小学生の時の状況から考えると到底想像出来ない世界です。当時は、西武以外の試合は軒並みスタジアムに閑古鳥が鳴いていました。そこから30年かけてオールドファンとニューファンが見事に融合して、現在の隆盛があります。

 私がFC岐阜社長就任当初、「にわかサポーター(この呼び方が適切とは個人的には思いません)」に対して「オールドサポーター」が快く思っていない動きがありました。オールドサポーターの『チーム愛』の反動の気持ちもわからなくはありません。またこういった話はFC岐阜に限らず、他のJリーグのチームにもあると思います。

 私は社長在任中、にわかサポーターを増やすのに全力を注ぎました。サポーターの裾野を広げない限り、チームの未来はないと思ったからです。コロナ危機の今こそJリーグ、クラブ、サポーターが一丸となって子どもたちを含めた新たな客層にサッカーの魅力を伝えるべきです。百年先にどのクラブも存続するために!

 FC岐阜もそれを成し遂げられれば、将来的には夢のJ1の舞台が待っていると私は信じています。

【Profile】
恩田聖敬(おんだ・さとし)
1978年生まれ。岐阜県出身。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。新卒入社した上場企業で、現場叩き上げで5年で取締役に就任。その経験を経て、Jリーグ・FC岐阜の社長に史上最年少の35歳で就任。現場主義を掲げ、チーム再建に尽力。就任と同時期にALS(筋萎縮性側策硬化症)を発症。2015年末、病状の進行により職務遂行困難となり、やむなく社長を辞任。翌年、『ALSでも自分らしく生きる』をモットーに、ブログを開設して、クラウドファンディングで創業資金を募り、(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆等を全国で行なう。著書に『2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋』。2018年8月に、気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなる。私生活では2児の父。

※ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて、力がなくなっていく病気。 最終的には自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけないと死に至る。 筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、運動をつかさどる神経が障害を受け、脳からの命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり筋肉が痩せていく。その一方で、体の感覚や知能、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通。発症は10万人に1人か2人と言われており、現代の医学でも原因は究明できず、効果的な治療法は確立されていない。日本には現在約9000人の患者がいると言われている。