WHOをこれからも信用していいのか? そして事務局長テドロス・アダノムはなぜ「中国寄り」の発言を続けるのか?(getty/Bloomberg)

王朝の隆盛と衰退、株式相場などで、過去と現在の状況が相似形を描くことがある。そして、筆者が2015年に世界で1万人を超える死者を記録したエボラ出血熱の流行とその経緯について調べると、新型コロナウイルス感染症の流行の経緯と驚くほど酷似していた。

なぜ「新興感染症」は生まれるのか

「新興感染症」(エマージング感染症)という言葉をご存じだろうか。天然痘やインフルエンザなど、古来から人類とともにあった感染症と異なり、文字通り“新興勢力”として現れ、パンデミックを起こす感染症を指す。症状はわからず、当然、治療法も確立されていない。エボラ出血熱も、新型コロナウイルス感染症も、この「新興感染症」だ。

ではなぜ、この「新興感染症」が生まれるのか。

人間を含む動物の体内では、ウイルスが突然変異し続けている。少し遠回りな説明を許してほしい。例えば現在我々が食べているコメも肉も、変異によって生まれたものが多い。元々熱帯の植物であるコメを北海道でも栽培できるのは、さまざまなコメを掛け合わせ、寒冷な気候に適したコメに変異した個体を「新品種」として選び抜いたからだ。

簡単に言えば、人間が親子で顔が異なるように、ウイルスや細菌も少しずつ変異していく。そして、豚やコウモリやニワトリが感染していたウイルスが突然変異し、人間に襲いかかってくるのだ。

実際にエボラ出血熱新型コロナウイルスも「コウモリ→ヒト」感染だと考えられている。エボラの場合、2013年12月6日に2歳の男児が死亡、この子供が流行のゼロ号患者と見られており「近くの子供たちがコウモリを捕らえて焼いて食べていた」という報告がある。

そして、この事実ははっきりした教訓を示している。「人類が新型コロナウイルス感染症を克服しても事態は終わりではない」ということ。我々は間違いなく「今後も新興感染症に悩まされ続ける」はずなのだ。

しかも現代社会では、これらが一気に広がる可能性がある。交通機関が発達しているからだ。例えばペストは14世紀に流行をはじめ、欧州の人口の3人に1人を死に至らしめたが、日本には上陸しなかった。理由は単純、交通機関が存在しなかったからだ。一方、エボラ出血熱は医師や看護師に感染し、アメリカや欧州でも人を殺めた。新型コロナウイルス感染症は……説明を必要としないだろう。

もう一度言いたい。我々は今さら交通手段を捨て、孤立することはできないからこそ、今後も突然変異したウイルスの猛威にさらされる可能性が大いにある。最悪、ペストのような恐ろしい感染症が世界の人口を激減させる可能性も考えなければいけない。

そんななか、WHOという組織は大丈夫なのだろうか?

エボラ対策も“後手後手”だったWHO

さて、ここからが本題だ。感染症をパンデミックさせないために有効な施策は2つある。1つめは“有効な医薬品の早期開発”だ。これに関しては研究者にエールを送るほかはない。

もう1つは“いかに早い時期にロックダウンを行うか”だ。そして、こちらは大いに問題があった。あまり言われていないが、世界保健機構(WHO)は、今回のコロナだけでなく、エボラ出血熱のときも致命的な誤りを犯していたのだ。

2013年12月6日に2歳の男児が死亡、次いで母と祖母も死亡、この葬儀に他の地域からも人が集まり、参列者を通じてエボラ出血熱は一気に拡大した。

2014年3月25日、ギニア政府はWHOエボラ出血熱の集団発生を報告し、同じ時期、国際NGOである「国境なき医師団」(MSF)も「地理的な広がりは前例がない」と国際社会へ強い警告を発している。

しかし、WHOは動かなかった。5月にジュネーブで行われたWHO総会では十分な注意喚起を行わず、翌月、危機感を強めた国境なき医師団が「もはや制御できない」とさらなる警鐘を鳴らしても動かず、WHOが国際社会へ向けてPHEIC(=国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)を宣言したのは……なんとギニア政府の報告から5カ月後、8月になってからだったのだ。

では、WHOはなぜPHEICを宣言しなかったのか。

まず、疫病がアフリカで起きたからだ。現地は「政府の役人が介在すると援助の9割がどこかに消えてしまう」と言われる場所で、疫病に対し宗教的なアプローチをする人も多い。いわゆる「先進国」から見れば、失礼ながら「遠くの未開の地」だ。ここに介入する場合、非常に大きな人的、経済的援助が必要となる。

また、国境なき医師団は危機感をあらわにしていたが、ギニア国内には楽観視する勢力があった。エボラ出血熱の発生地は、ギニア南部の森林地帯で、首都・コナクリにまで感染は広がらない、とその勢力は考えたのだ。これはのちに「WHOがPHEICを宣言すると経済的な打撃を被る」からこそ楽観的になったと言われており、ギニアは情報開示に消極的になった。

どこかで見た構図ではないだろうか?

WHOは信用に足る組織なのか?

ここで少し話題がそれることを許してほしい。東日本大震災発生後、すぐに高速道路が復旧し、被災地に救援物資が運ばれ、世界が日本の道路復旧の速さに驚いたことをご記憶だろうか。これは阪神・淡路大震災の教訓を生かし、NEXCOがさまざまな建築会社と「見積りは必要ないから有事にはすぐ復旧工事を頼みます」という内容の契約を結んでいたからこそだった。

一方、WHOエボラ出血熱の教訓をまったく生かさなかった。それどころかWHOは国境なき医師団に対し「初期の事例を報告しなかった」と批判。逆に国境なき医師団から「2014年3月半ばに確認が取れた段階で、あらゆる資材を投入し、大規模な支援を開始するべきだった」「にもかかわらずWHOは翌日、国境なき医師団が誇張していると言った」と声明を出されている。

読者はどう感じるだろうか?

筆者は、エボラ出血熱の大流行の経緯を調べ、WHOは組織改革を行うか、解体されてしかるべきだと感じる。2009年、新型インフルエンザに対しPHEICを宣言したことが「過剰反応」と批判されたことが、WHOの慎重姿勢を招いたとも言われるが“大山鳴動して鼠一匹”でよかったのだ。

ちなみにWHOの事務局長をつとめるテドロス氏は、中国から巨額の投資を受けているエチオピアで保健相をつとめていた。アメリカのウォールストリート・ジャーナル電子版は「経済や指導部のイメージを損なうとする中国の懸念をWHOが重視しすぎた」と指摘。WHOの内部からも、WHOの中国賛美は「過剰」だったと批判が出ている、あくまで状況証拠に過ぎないが、そこに「忖度」があった可能性は高い。

今、日本国内では、緊急事態宣言後も営業する店や遊技場、遊びに出かける個人が不興を買っている。しかし大きな視点で見れば……ここまで感染が拡大し、多くの人が「被災」すれば、海外へ卒業旅行に行く学生や、自覚症状がありながら帰省する人が出現してしまうのは当然のことなのだ(もちろんいないに越したことはないのだけれど)。

パンデミックに終わりはない

だからこそ今は、WHOや発生国の政府がいかに怠慢を犯したのか、さらには日本国が将来のパンデミックとどう付き合っていくかを議論する必要性を感じる。

ちなみにWHOは、エボラ出血熱への対応の遅れを「官僚主義の横行」「職員の怠慢」「情報不足」と結論づけた。もっと正確に言えば、内部の機密文書でこう結論づけ、後日漏れて「炎上」している。しかし現在、安倍首相を含む世界各国のリーダーは、WHOの指針に従って対策を決めていかざるを得ない――。

このままではいけない。なぜなら、次のパンデミックはいつかやってくるからだ。