年末年始にお墓参りをする人は多い。だが、都市部では墓守りする人がおらず、永代供養の納骨堂が主流となりつつある。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「お墓参りをないがしろにするだけでなく、近親者の遺骨を電車の網棚にわざと置き忘れる人もいます。お墓参りには“心のデトックス”の効能があることを知ってほしい」という--。

※本稿は、鵜飼秀徳『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)を元に書き下ろしたものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/flyingv43

■改めて知りたい、お墓参りの「効能」

一年も残りわずかとなった。年末年始、お寺はお盆・お彼岸に次いで慌ただしくなる季節でもある。12月29日ごろから大晦日、そして年明けにかけて、墓参り客が続々やってくるからだ。

さて、本稿では、「ビジネスにおけるお墓参りの効能」について論じたい。その前に、埋葬の歴史や文化について少し、紹介しよう。

■増えている「電車の網棚にわざと遺骨を置き忘れる」罰当たりな行為

お墓の最古の例は、シリアの洞窟で発見された6万年前のネアンデルタール人のお墓だとされている。日本では大阪府藤井寺市の遺跡から、2万5000年前(旧石器時代)のお墓が発見されている。

邪馬台国の女王、卑弥呼について書かれた『魏志倭人伝』(3世紀)には、わが国の葬送事情について、述べられている。そこには、庶民でもきちんと棺桶を作って遺体を納め、土を被せて葬った、とある。

現在のような、仏教寺院が庶民の葬送を取り仕切り、お墓の管理をしだすのは江戸時代の初期(17世紀後半)から。江戸幕府のキリシタン禁制に伴う「寺請制度」、いわば“国民総仏教徒化政策“によって、ムラ人はすべてムラの寺の檀家になり、境内地に一族の墓を立て、葬送のすべてを菩提寺に任せたのだ。

竿石と呼ばれる四角柱の墓石に戒名を彫った、現在のお墓とさほど変わらない意匠の墓ができるのもこの頃。それ以前は河原などで拾ってきた丸い石を墓石に使っていた。

撮影=鵜飼秀徳
江戸時代の墓(三重県) - 撮影=鵜飼秀徳

地域によっては、それはそれは豪壮なお墓もある。一族がお墓を大事にして、守り続けてきた証拠だ。優れた意匠の古いお墓をみると、よくも機械彫りの技術がない時代に手彫りで掘り上げたものだと、石工の気迫と芸術性に感心する。

しかし、現在、とくに東京などの大都市では、コストの問題や、墓守りする次世代がいない、などの理由でほとんど土地付きの墓を立てない。多くが永代供養の納骨堂に収めるのが主流になっている。あるいは、遠く離れた故郷にある菩提寺のお墓の管理も、できなくなっている。

■死者の弔いは人類だけの特別な行為

現代のお墓の形態の変化は、時代に合わせた「ダウンサイジング」であり、供養をしなくなった、ということではないが、最近増えているのが「電車の網棚にわざと遺骨を置き忘れる」「公共のトイレなどに遺骨を流す」などの罰当たりな行為である。

写真=iStock.com/Kanawa_Studio
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ここで言っておきたいことは、死者の弔いは人類だけの特別な行為だということ。死んでもなお、その人を思い続ける--。他者にたいする、究極の慈愛の形が弔いなのだ。そういう意味ではお墓まいりは、「人間が人間であることの証明」ということもできるかもしれない。

■なぜ、鹿児島県は1人あたりの生花の消費量が国内一か

こんなデータがある。

鹿児島県は1人あたりの生花の消費量が国内一多く、日常的にお墓参りすることで知られている。共同墓地を訪れると、いつでもどの墓にも鮮やかな花が供えてあり、奇麗(きれい)に掃き清められている。鹿児島県人は、供養に篤(あつ)い県民性なのだ。

撮影=鵜飼秀徳
鹿児島県内のお墓はいつでも花が供えられている - 撮影=鵜飼秀徳

次に刑法犯(殺人、強盗、強姦、暴行、傷害、放火、窃盗など)の犯罪発生率(人口100人にたいする発生率)を見てみたい。すると、鹿児島県は全国47都道府県の中で41位(0.75%)とかなり低位。ちなみに上位は、1位大阪府(2.06)、2位愛知県(1.97)、3位福岡県(1.70)だ。

お墓参りを通じて、ご先祖様に「見られている」意識が人々の心に根付き、日々の行動抑制につながっていると考えるのは飛躍が過ぎるだろうか。

■お墓参りは会社の人間関係の「心のデトックス」効果あり

さて何十年、下手をすれば何百年も受け継がれてきているのがお墓だ。墓前で手を合わせ、読経をするなどして故人の供養をし、あるいは故人に対して日々の報告をする人もいるだろう。

企業に長年勤めていると、人間関係のトラブルはつきものだ。昨年まで企業に勤めていた私自身も大なり小なり、職場のトラブルは抱えていたし、同僚や後輩から、職場の悩みを今でも受けることがある。

「上司からパワハラやセクハラを受けて許せない」
「理不尽な異動命令を受けた」
「イエスマンばかりが評価される企業体質に我慢がならない」
「あいつが出世しているのは上司と愛人関係だからだ」

組織の中の不平や不満、憎悪、嫉妬が、渦巻いている。特に最近多い相談は、働き方改革に関する相談だ。

「残業はなくせ、休暇は取れと言う一方で、成果を上げろという。結局、自宅に仕事を持ち込むしかない」

みんな心も体も疲弊し切っている。自我を殺して、理不尽にたいして我慢を続けた挙げ句に、心の病を患い、ひそかに心療内科に通う人も少なくない。思いやりの精神で組織が満たされれば、そんなことは起きないのだが、現実的には組織は冷たいものだ。

そこで現代人には、「心のデトックス(解毒作用)」が必要となってくる。気分を晴らせるような趣味やスポーツを持っている人は、そこで心身をリフレッシュしていただきたいと思う。しかし、趣味もないし、時間やカネをかけたくないという人には、是非ともお墓参りを習慣にしてもらいたい。

■「仏壇」が子供の情操にいい影響を与える

お墓参りの形式は自由だ。お墓を洗い清め、線香と蝋燭(ろうそく)を灯し、数珠をかけて手を合わせる。心の中で故人と対話をしてもよし、無心に手を合わせてもよし。経本があれば、短いお経(般若心経など)を唱えていただきたい。不思議と、心が落ち着いてゆくことだろう。

お墓が遠くにある人は、居住地の近くのお寺や神社で、遠く離れた故郷を思い浮かべながら、手を合わせるという行為も同様の効果がある。あるいは日常的に仏壇や遺影に手を合わせる行為も、「心のデトックス」には極めて効果的だ。

2016年1月29日付の産経新聞は、「『仏壇』が子供の情操に好影響 保有率低下の一方注目される効能」との見出しで報じている。

《12歳から18歳の男女約1200人を、仏壇参りを「毎回」「時々」「しない」の3つのグループに分けて、他者への優しさに対する比較を行ったところ、明確な差が見られた。例えば、「誰かが悩みを話すとき『そんなこと知らない』とは思わない」という子供は「毎回」のグループでは56.6%なのに対して、「しない」のグループでは43.9%しかいなかった。「誰かが困っているとき、その人のためにそばにいたい」とする子供が「毎回」では45.6%いたのに対し、「しない」では33.2%と10ポイント以上もの差が開いた》

調査は10代の子どもが対象だが、社会人にもきっと当てはまる。他者への思いやり、慈愛のこころを育むお墓参りや仏壇参りをぜひとも実践していただきたい。

■「取り返しのつかない過ち」もお墓参りで救われる

次に、誰にも相談できないような「取り返しのつかない過ち」を抱え、苦しんでいる人へ、その解決策としてのお墓参りを提案したいと思いう。

いくつか、ケースを挙げてみたい。

《気の合わない同期がいた。出世競争に勝ちたいがために、あらぬうわさ話を流し、同期を追い落とし、退社に追い込んでしまった。彼はその後、派遣社員を続けていたが体調を崩し、生活保護を受けていたが、亡くなってしまった。私のあの時の振る舞いがなければ、彼はきっと違った人生になったに違いない。詫びたくても、彼はもうこの世にいない》
《社内で妻のいる上司を好きになってしまった。その上司は私との不倫が元で妻と別れたが、その妻は自殺をしてしまった。取り返しのつかないことをしてしまったと後悔してもし切れない》
《家庭を顧みず、仕事に没頭して30年。家庭環境は荒れ、親の死に目にも会えなかった。退職を前に、こんな人生で良かったのかと後悔を始めた》

いずれも極端な事例と思われるかもしれない。しかし、いつ何時、あなたがこのような当事者にならないとも限らない。これらは、誰かに相談したくても相談できない内容だ。間接的であっても、相手を死なせてしまった。謝りたくてもその人はこの世にいない。もうどうしようもない事のようにも思える。あなたは死ぬまで、悩み続けるしかないのだろうか。

■少しずつ心のつっかえが溶解していく

鵜飼秀徳『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)。元経済系記者で浄土宗僧侶の著者が、現代のビジネスシーンに置き換えながら、仏教を「再翻訳」した“世界一わかりやすい仏教本”。

いや、あなたが救われる方法が、ひとつだけある。それは、死なせてしまった相手の墓に手を合わせ、罪を告白し、許しを乞うて、供養することなのだ。仏教でこのことを「懺悔(さんげ)」と言う。

『涅槃(ねはん)経』では、「もし懺悔して慚愧(ざんき)を懐かば、罪すなわち除滅す」と説かれている。「自分や他者にたいして罪を認めて恥を知り、二度と同じ過ちを繰り返さず、悔い改めれば罪は消滅する」のだ。

人は生きていれば誰しも、大小の罪を犯してしまうもの。大きな罪であればあるほど、時間をかけて深く懺悔する必要があるが、いつしか罪は消滅する。上記のようなケースでも、心から墓前で謝罪を続けていけば、少しずつ心のつっかえが溶解していくことだ。お墓参りには計り知れない力があることを知っていただければ幸いである。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『仏教抹殺』(文春新書)など多数。近著に『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)。佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)