過疎化などにより日本の農村の「夏祭り」が消滅の危機にある。瀬戸内海・小豆島の奇祭「虫送り」も担い手不足で一時中断していたが、2011年に復活した。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は、「復活のきっかけは、2011年公開の映画『八日目の蝉』。それ以降、祭りの光景がインスタ映えすると評判を呼び、若者が集まるようになった」という――。
中山集落の「中山千枚田」(撮影=鵜飼秀徳、以下同)

■なぜ、過疎の島の夏祭りに県外者がどっと押しかけるのか

日本の農村で行われる「虫送り」という風習をご存じだろうか。

虫送りとは田植えが終わって、稲がすくすくと育つ夏場に行われる奇祭である。半世紀ほど前までは全国各地で実施されていた。それは実に幻想的で、今風にいえば「インスタ映え」する祭りなのだ。

だが近年、農村の過疎化とともに虫送りが消滅の危機にある。しかし、こうした地域の「小さな祭り」を維持していくことは、少なからず地域創成に寄与する。このたび、虫送りを現地取材してきたのでご紹介しよう。

壷井栄の小説『二十四の瞳』で知られる瀬戸内海の離島、小豆島。オリーブやしょうゆ、そうめんなどの地場産業で知られている。1947年に人口6万2000人まで膨れ上がった人口は、現在、人口2万8000人ほどにまで減少。典型的な過疎化をたどる離島である。

梅雨の晴れ間がのぞいた7月6日。島の山間部、棚田が広がる中山集落を訪れた。日暮れを迎えた午後7時。棚田を眼下に望む真言宗寺院、蓮華寺に老若男女が集まり始めた。蓮華寺は普段は無住だが、この日は少し離れた同門寺院の住職が、儀式の導師をつとめる。

この蓮華寺から虫送りは始まる

本堂での読経が終わると、境内で護摩焚きが行われ、その火を火手(ほて)と呼ばれる竹製のたいまつに移していく。人々は一人ひとり火手を持って、棚田にかざしながら練り歩き、麓の神社まで降りていくのだ。

その際、「とーもせ、ともせ」と、大きな掛け声をかけていく。

■火をもって害虫を追い払い、五穀豊穣を祈る「虫送り」

虫送りとは、火をもって害虫を追い払い、また、過去に駆除された虫の御霊が荒ぶらないように鎮め、五穀豊穣を祈る祭りである。呪術的な要素も多く、宗教の原始的な姿をいまに伝えている。

農家にとってウンカやバッタなどによる蝗害(こうがい)は、深刻な問題だ。例えば江戸時代に起きた享保の大飢饉は、蝗害がきっかけであった。この飢饉によって、数十万人が餓死した。

ひとたび飢饉になれば、幕府の財政に大きな影響を及ぼす。また、百姓一揆にも発展しかねない。たかが昆虫の害といえど、時の権力をも脅かしかねないのだ。

世の泰平が続くことを願って、虫送りは江戸時代に広く普及した。現在では、農薬によって蝗害の規模こそ縮小している。しかしながら、いまだにウンカの被害は珍しくはないという。

■インスタ映え、ほの暗い棚田をたいまつがチラチラと揺れ動く

虫送りの行事は、地域によってその形態は異なる。古くから害虫被害は、悪霊がもたらすものという考えがあった。なかには、害虫の霊をわら人形に封じ込め、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしながら村境まで送り出すという、ミステリアスな習俗が残る地域もある。

私の住む京都でも、左京区の山間部で虫送りの風習が残っている。そこでは、

「ででむし(泥虫)、でていけ」「さしむし(刺し虫)、でていけ」

などという掛け声とともに虫送りが行われる。虫送りはほかにも、青森県南部地方、奈良県天理市や埼玉県越谷市などで今でも続けられている。しかし、農村の疲弊に加え、農薬の普及による蝗害の減少、火災リスクの観点による自粛などが要因となって多くの虫送りが姿を消した。

護摩を焚き、五穀豊穣を祈る

ここ小豆島では、中山の虫送りの他にも1カ所、虫送りの行事が残る集落がある。中山の虫送りは300年の歴史を持つという。ほの暗い棚田を、無数のたいまつがチラチラと揺れ動くさまは実に幻想的である。

「とーもせ、ともせ」
「とーもせ、ともせ」

人々の掛け声と、カエルの鳴き声との競演は異世界に連れてこられたようだ。虫送りの儀式は1時間ほどで終わった。

■参加者400人の半数以上が島外からの観光客

今年の参加者は400人で、その半数以上が島外からの観光客であった。遠くは栃木や埼玉から、わざわざ中山の虫送りに参加するために訪れた人もいた。

大阪から訪れたある男性は、カメラマンを連れて一家で参加していた。一家は一昨年に初めて虫送りを体験。現在11歳の長女が二十歳になるまでは毎年、祭りに参加するつもりだという。虫送りの風景と家族とをシンクロさせた写真を毎年、成長の記録としておさめたいと、語った。

「火手」に火を移して、いよいよ虫送りがスタート

近年、他県から参加者が集まってきたことで、中山の虫送りには一躍、脚光が集まり、島内の参加者も増えているという。

だが、過疎にあえぐ離島の素朴な祭りを目的に、なぜ他県からこれだけ人が集まってくるのか。

実は、中山の虫送りは近年担い手がいなくなり2006年から5年間、中断していたのだ。しかし、角田光代氏原作の映画『八日目の蝉』(2011)のシーンで、小豆島の虫送りが再現された。島の人々もエキストラで参加した。それがきっかけで、翌年から虫送りが再開されたのだ。

映画の公開とともに、地元の役場なども積極的にPR。SNSなどを通じ、虫送りが全国に知られるようになった。

「とーもせ、ともせ」という掛け声とともに千枚田を降りていく

祭りの維持のため「ふるさと納税」をする人が増加中

中山の虫送りを取り仕切るのは地元の消防団らであるが、将来的に祭りを存続させていくために、再開をきっかけにしてさまざまな試みを始めた。ひとつは、観光客が、「ただの見物客」にならないようにしたことだ。

日本の地域の祭りの多くは、地元の保存会主導で催され、観光客は「見るだけ」が多い。しかし、中山の虫送りは地元民と観光客の分け隔てがない。誰でも、祈祷や火手を持った練り歩き(400本限定)に参加できる。

資金調達でも新しい試みを取り入れている。祭りの当日は、募金箱を回し、参加者から資金を集める。また、地元小豆島町では、ふるさと納税制度を祭りの運営費に充てているという。他県から参加した人が小豆島への関心をより高め、都会に戻った後は小豆島町のふるさと納税を行ってくれる。その際、納税者は「祭りの維持」としての使い道を指定できる。

つまり、「よそ者」を祭りの担い手にすることで、さまざまな好循環を生んでいるのだ。島は人口減少の傾向にはあるが、近年、移住者が少しずつ増え始めたいう。

日が暮れて幻想的な情景をつくる

どこの地域でも郷土の祭りの維持が難しくなっている。祭りが途絶え、結果、地縁がもろくなってますます人口減少に拍車がかかる、といった悪循環にある。

中山の虫送りもかつては同様であった。虫送りは僻地の夜間に行われるため、特に外の人の目に触れにくい難点がある。観光行事でもなければ、テレビなどで報じられるようなこともなかった地味な祭りだ。

麓の神社まで火の行列が続く

しかし、映画化がきっかけで広く門戸が開かれると、よそ者の心をたちまちわしづかみにした。それは、いかにも非日常を体験できる幻想的で感動的な祭りだったからだ。実はこうした「地域に埋もれた宝」が、日本の地方都市にはごまんとある。ようはきっかけづくりと、地域の宝を輝かせる手法にかかっていると、いえるだろう。

これまで閉鎖的だったムラ社会が、いかによそ者を積極的に受け入れ、ファンを増やしていけるか。小豆島の虫送りの再生劇は、各地の地域創成を考える上での好例と言えるだろう。

(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳 撮影=鵜飼秀徳)