巨大オファーを拒否し、愛するクラブのレジェンドになった8名の選手

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『FourFourTwo』は20日、「ビッグクラブからのオファーを断り、愛するクラブに忠誠を誓い続けた8名の選手」という記事を掲載した。

サッカーのマーケットが拡大するに従って、選手の流動性は高まっている。一つのクラブにとどまる者はほとんど存在しないような世界となった。

そのような状況の中で、より大きなクラブに行くチャンスを拒否して愛するクラブに残り、レジェンドとなった8名の選手とは。

アラン・シアラー

ロメル・ルカクがマンチェスター・ユナイテッドに加入した時、「誰が世界最大のチームにNOといえるだろうか?」と言った。それに反応したアラン・シアラーは「私はバルセロナを断った」とツイートした。

ブラックバーンで2年連続の得点王に輝き、チームを驚きのプレミアリーグ優勝に導いたシアラー。EURO1996でもトップスコアラーとなり、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン氏が接近した。

しかし彼は自身の愛するクラブ、ニューカッスルへの加入を選択。その後届いたバルセロナからのオファーも拒絶し、故郷で現役を終えた。

アレッサンドロ・デル・ピエロ

2006年、イタリアサッカー界に激震が走った。代表がワールドカップを制覇したその年にだ。セリエAを制覇したユヴェントスが、カルチョ・スキャンダルで2部への降格処分を言い渡されたのだ。

イブラヒモヴィッチ、ヴィエラ、カンナヴァーロなど多くのスターがチームを去ったが、ネドヴェド、ブッフォン、そしてクラブの象徴だった10番のデル・ピエロがチームに残った。多くのオファーがあったにもかかわらずだ。

そしてデル・ピエロはユヴェントスをセリエAに復帰させ、アントニオ・コンテの下で再びスクデットを獲得するのを見届けてから、オーストラリアへと去っていった。

フランチェスコ・トッティ

イタリアサッカー界のカルトヒーローはデル・ピエロだけではない。ローマの「ワン・クラブ・マン」であるフランチェスコ・トッティもそうだ。クラブに忠誠を誓い続けた10番であった。

2000-01シーズンにはローマにスクデットをもたらした「王子」は、その2年後にレアル・マドリーから大きなオファーを受け取った。彼は本気で退団を考えたと明かしている。

しかし考慮の末に彼は生まれ育ったローマへの残留を決断。2017年に契約延長がないことを伝えられたあとも、他のクラブでプレーする選択肢を拒絶し、オリンピコで現役を離れることを決断した。

スティーヴン・ジェラード

2004-05シーズンに「イスタンブールの奇跡」を経験したジェラード。チャンピオンズリーグで劇的な優勝を果たした後、新たなステージを求めていたことが明かされている。

チェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督が彼を求め、ジェラードもリヴァプールに退団要求を伝えたという。契約延長の交渉が停滞していたことにイライラしていたそうで、リヴァプールに慰留してほしかったのだとも…恋人同士の駆け引きのようなものだったのか。

結局ジェラードはリヴァプールとの恋を続けることを選択。結局プレミアリーグの優勝トロフィーを手にすることは出来なかったが、本物の忠誠心をアンフィールドに残した。

ディエゴ・ゴディン

マヌエル・ペジェグリーニ監督は、かつて指導したゴディンをマンチェスター・シティに引き抜こうとしていた。かなり大きなお金でだ。

しかしアトレティコ・マドリーでプレーしていたゴディンはそれを拒否した。「2年前、シティが私を望んでいたことは事実だ。ペジェグリーニが求めてくれたことを誇りに思うが、ここに残ったことに満足している」と後に話している。

チャンピオンズリーグ決勝でレアル・マドリーに2度も敗北するという辛い経験をしたものの、彼はアトレティコ・マドリーでレジェンドとなった。そして今夏インテルへと去っていく。

パヴェル・ネドヴェド

デル・ピエロとともにユヴェントスへの忠誠を保ったネドヴェド。カルチョ・スキャンダルで降格処分を受けたときだけではなく、2009年にも他のチームに移籍する可能性が高くなった。

すでに30代後半となっていた彼との契約更新をユヴェントスが渋っており、インテルの監督ジョゼ・モウリーニョが接近していた。

しかしネドヴェドは最終的にそれを拒否。その理由は「私はユヴェンティーノだった。インテルに行くには、あまりにもユヴェンティーノすぎた」と話している。そして現在は愛するクラブで副会長を務めている。

ジェイミー・ヴァーディ

アーセナルは2016年夏、ヴァーディの契約解除料満額に当たる2000万ポンド(およそ29.11億円)を提示した。レスターで24ゴールを決め、驚きのリーグ優勝に導いた直後のことだ。

ヴァーディ本人はアーセナル移籍を真剣に考えていた。子供のためにロンドンの学校を調べてもいたそうだ。しかし、熟考の末に彼は自身をスターにしてくれたレスター・シティへの残留を決断したのだ。

ラニエリ監督(当時)は、ヴァーディが残留を決断した後、「夢は続くよ」というメッセージを送ったという。

マレク・ハムシーク

今を遡ること5年前、ミーノ・ライオラ代理人は「メッシであろうが、イブラヒモヴィッチであろうが、ハムシークであろうが、スポーツマンはモチベーションを見つける必要があるのだ」と話した。つまりナポリを離れる時が来たと信じていたのだ。

しかし2017年、ハムシークはそのライオラを代理人から外した。ナポリの副主将を務めた彼は、バイエルンやユヴェントスから長い間狙われていたと言われるが、彼はナポリでのスクデットを夢見て戦い続けた。

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「僕は給料やトロフィー以上のものを求めている。魂の鼓動が必要なんだ」とナポリ残留の理由について語った彼。現在は中国でプレーしているが、魂は燃えているだろうか。