ロジカルシンキングを越えて:2.米国で育まれたロジックの形式/伊藤 達夫
前回は、コンサルティング出身者はビジネスプランニングにおけるロジカルシンキングの役割などが分かっていないといったところを書きました。今日は日本でのコンサルティングにおけるロジカルシンキングの系譜を見てみようと思います。
そもそも、コンサルティングの報告書のスタイルが日本に入ってきたのはいつなのでしょう?
それは大体1980年代〜90年代のことでした。
いわゆる、コンサルティングのプロジェクトが大企業で盛んに行われ、ピラミッドストラクチャー的なスタイルでブルーブックと呼ばれる報告書が大量に作られました。
外部の第三者であるコンサルタントが、自分たちの独自の分析に基づいた「アイデア」を伝えるための表現形式として、ピラミッドストラクチャーは非常に強力でした。大きなインパクトをもって日本企業に受け入れられたと思います。
しかし、1980年代までは、日本人は「米国人がかっちりと論理的な言葉で語ること」をバカにしている感があったと思います。日本企業の中では、「ツーと言えばカー」「阿吽の呼吸」「以心伝心」「みなまで言うな」的なコミュニケーションが成立している面もありました。
言葉にしなくても細部まで目が届くようなコミュニケーションに誇りをもっていたと思います。それは、ある意味で「一億総中流的」なバックグラウンドを人々が共有し、「終身雇用」という共同幻想の中で、きっちりと言葉にしないでも伝わるといった状況だったと思います。
しかし、米国は多民族国家です。移民の国ですし、国土は広く、州ごとに法律まで違います。道を歩いていれば、古くはアフリカから連れてこられた黒人、南部からやってくるヒスパニック、アジアからやってくる中国系、インド系、韓国系などの人々と接触する可能性があります。つまり、彼らは経験の共有が効かない可能性が高い世界に生きています。そのため、企業に集まる人々の出自は多様です。
そうすると、コミュニケーションのためには、厳密に誤解がないような構文が必要となります。その世界の中で育まれた「伝える形式としてのロジック」は相当洗練されていました。当時の日本企業からすれば、しつこいぐらいに誤解のないように伝える形式だったと思います。
しかし、日本の大企業にとっての1980年代は、「ジャパンアズナンバーワン」と言われ、海外資産を購入したり、米国の企業と連携したりと、米国ビジネスパーソンとの接触機会が非常に増えていた時代でもありました。ここで、米国人の目から見て、日本人が奇異に映ったという逸話は枚挙にいとまがありません。
「メガネをかけた日本人がぞろぞろと8人も米国にやってきたが、提案をすると、日本に帰って検討しますと言う。彼らはいったい何をしにきたのだ?」
「Yes、Yesと連発しながら話を聞いているので、決定したのかと思ったら、しばらくしてやらないという連絡が来た。あれはなんなのだ?」
・・・といったお話です。
元東京都知事の石原慎太郎氏が「Noと言える日本」を出版するなど、日本の特殊性を論じた「日本人論」が多数出版されていたと思います。
しかし、バブルが崩壊し、日本のプレゼンスが落ち始めた1990年代には日本企業の内部でもそれまでの日本的コミュニケーション、表現形式からの脱却の必要性が感じられていたと思います。海外とのビジネス機会の増加、国内での「一億総中流」というバックグラウンドの崩壊、「幻想としての終身雇用すら維持できない」という危機感、世代間コミュニケーションの難化といった事情があったと思います。
こういった事情によりコンサルティングのブルーブック(報告書)の形式は非常に強烈なインパクトをもって受け入れらたように思います。
また1990年代後半から米国的経営手法の本格的導入が日本の大企業を中心に起こりました。いわゆる「グローバルスタンダード」の導入です。日本はバブルが崩壊するのですが、米国は日本を研究することで、ケイパビリティ学説等が確立し見事に復活を遂げたのです。
こういった状況の中で、コンサルティング的提案の中身と形式は一定の評価を得たのでしょう。ただ、ここで誤解が生じたのだと思います。
「外資系コンサルティングのブルーブックの表現形式がそのままコンサルティング的思考なのである」という誤解です。
初期の職人的なアイデア勝負のコンサルティングの時代においては、ロジックに落とすのは、最終段階という暗黙の了解がありました。突破できるアイデアに辿りつくまでは、構文を整えても意味がない、チャートを作るのも時間の無駄だ、と。当時はワークプランすら作らなかった。
しかし、ある時期以降のコンサルティング業界では、チャート作成マシーンの役割を担うビジネスアナリスト、ジュニアのコンサルタントが、いつでも話のネタにできるようなチャートを大量に生産するようになりました。
それが、クライアントの問題を本質的に解決するかどうかは別として、ある程度の打ち合わせはいつでもできるようになりました。「伝わる形で常にまとめ続ける」という技能が彼らには叩き込まれました。
この変化は戦略コンサルティングという業界全体のビジネスモデルの転換を反映していたと思います。
トップマネジメントとともに、アイデア勝負のプランニングバリュー、企画の価値で食っていくところから、ミドルマネジメント層とともにエグゼキューションバリューを出していく、実行の価値で食っていくというところへの転換です。
企業で戦略を策定したとしても、実行に障害がある。これはよく指摘されていたことでした。戦略は正しくても実行ができない。戦略策定ブームの次のフェーズです。
戦略は正しくても実行はできない、これは確かにそうである面もあるわけですが、ある意味で、コンサルティングサイドからのポジショントークだった側面もあるでしょう。
コンサルティングを依頼して戦略ができあがった。その次にはその実行支援のフェーズに入ります。実行には時間がかかります。実行支援を仕事にできれば、時間がかかる分、コンサルティングのタイムチャージは大きくなっていくわけです。しかも、大企業で実行のために組織を変えようとするとものすごく大規模な活動となります。
当然、これまでより多くのコンサルタントが必要です。それは、頭脳と言うよりは、作業員に近い人員になります。とても高給で、レベルの高い作業員です。
しかし、元々は「コンサルティング会社は少数精鋭」です。そんな人員はいない。当然、新規で採用することになります。そして、このメンバーを短時間で使い物になるようにする必要がある。お客さんから見て「価値がある」と思われる必要がある。
そのためには、もともとベースが高く見栄えのいい(タイムチャージを正当化する意味です。他意はありません。)MBA出身等の人間を採用することと、ロジックを徹底して鍛えることによって、彼らを黙々とチャート作成をするマシーンとする必要があった。
こういった事情で、コンサルティング会社内でのロジック面の研修が盛んに行われるようになります。ビジネス経験は浅くとも、業界を徹底して調べ上げられて、もともとそれなりに優秀な人間をとっているのだから、「伝え方さえ誤らなければいい」が第一歩だった。
職人的マネジャーがワークプランも立てずに自分の感性でマネージしていても許される側面が、プランニングだけが価値だった時代にはありました。
しかし、エグゼキューションが価値の時代になると、どうしても人数が増えてきます。人数が増えた中でのコミュニケーションのためにも、かっちりとしたワークプランが必要となってきます。「発話の規約」ともいうべきプロトコルの整備も進みます。
当時、とある戦略ファームでは、別のファームから雇ったパートナーが、ワークプランを作るというのが驚きをもって見られました。「わがファームもワークプランを作らねばならない」ということになり、すぐにファーム全体でワークプラン導入プロジェクトが始まったそうです。
一部の職人的マネジャーは冷ややかな目でその活動を見ていたと思います。ワークプランなんて、「価値ある戦略立案には全く関係がない」と。
ただ、こういった環境でジュニアレベルのコンサルタントは育っています。極限までコミュニケーションが効率化された中で育っているのです。日常会話自体がロジカルな知的兵隊なわけです。
余談ですが、ジュニアレベルのコンサルタントが事業会社に移ると、当初はどうしても、コミュニケーション上の問題が生じます。
効率が良すぎるプロトコルに慣れたコンサルタントは、事業会社の社内コミュニケーションが非効率であることに我慢ができないといったケースが生じる。
また、コンサルティング出身者のあまりに効率的な物言いに、事業会社側のメンバーも面食らうといったことがあるのです。
とある事業会社に移ったコンサルタントが初めて会議に出ました。その時に、彼は普通に発言しているつもりで話をしていたそうです。しかし、会議後、女子社員が「あなたと話していると、機械と話しているみたいな感じがします」と言ったそうです。彼はとてもショックを受けたそうです。
コンサルティングファーム内でも、ロジカルだけどあまり使えるわけではない人々、つまりジュニアレベルのコンサルタントが誕生した時期だったのだと思います。
もともとベースが高い人間ばかり採用し、ロジック教育を施し、現場に放り込む。これが当時のコンサルティングファームの教育でした。
そういった教育を受けたコンサルタントたちが、世の中全体はロジック教育だけでなんとかなるような「錯覚、誤解」を抱いても不思議ではありません。
しかし、それは、ビジネス界のスタンダードではない。間違っています。
戦略策定、企画立案のコアな部分はロジックと言われる部分とは全く別の価値が必要だと私は考えます。しかし、当然のことながら、ロジカルシンキングが役立つ局面や対象は存在します。その適用の仕方や、教え方が間違っているために、効果が上がらないのです。
ロジカルシンキングだけ身に着けたとして、作業員にしかなれないこと。しっかりとした分析、目から鱗が落ちるようなアイデアがなければ意味がないということを系譜的に見てみました。
次回はいわゆるMECE、ロジックツリー等、それが分かっていることがさも意味があるというようなお話について批判的に見て行こうと思います。
脚注)
本文中にて「終身雇用幻想」という言葉を用いているのは、柳川ら(2009)の研究による
・「終身雇用という幻想を捨てよ」(http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n090427_334.html)