時代劇のガンマンはタイムトリッパー?/純丘曜彰 教授博士
剣豪対ガンマン。たとえば『用心棒』(1961)。仲代達矢ふんする洋ものかぶれのチンピラ、新田卯之助は、三船敏郎えんじる剣豪、桑畑三十郎と拳銃で決闘だ。嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』なんか、剣も強いが、拳銃もガンガン撃ちまくる。しかし、拳銃というのは、フランスのラフォショーが作ったM1858の複製が米国の南北戦争(1861〜65)で使われ始め、西部劇の中心となる70年代に発達したもの。一方、明治維新が1967年、そして散髪脱刀令が71年だから、拳銃が普及するころには、侍の方がいなくなってしまっている。
だが、時代劇で拳銃を使うのがフィクションだとも言い切れない。幕末の水戸藩は、尊皇攘夷派ながら、1851年に発売されたコルト・ネイビーをひそかに入手して、すでに国内でその複製を製造しており、1860年の桜田門外の変のとき、強引に開国を進める大老の井伊直弼に、その銃口を突きつけている。また、かの坂本龍馬も、1862年に幕府交易船で上海を訪れてきた高杉晋作から、前61年に発売されたばかりの最新のS&Wモデル2をみやげにもらって、それが66年3月の寺田屋事件のときに彼の命を救った。
『用心棒』は、幕末の桐生周辺の宿場町が舞台。そして、新田卯之助の持っている銃は、まさにS&Wモデル2。とはいえ、こんなものが、田舎宿場のチンピラごときに手に入るわけがない。と思いきや、じつは寺田屋事件で、坂本龍馬は、逃亡中にこの銃を紛失してしまっている。となると、『用心棒』の一件が1866年の冬なら、卯之助が坂本龍馬の銃を持っていたとしても、つじつまが合う。(高知の青山文庫にモデル2があり、読売新聞は2009年11月12日に「龍馬が使用?」などという記事を出しているが、桁の大きな製造番号からして、発売当初の龍馬本人が使ったものではない。)
まあ、どうせフィクションなんだから、と言うかもしれないが、それにしても、鞍馬天狗は、ひどい。1862年の生麦事件あたりから維新後の新政府でも活躍したことになっているが、映画(『薩摩の密使』1941)の中で彼の持っている拳銃は、なんと1893年(明治26年)型の東京砲兵工廠二十六年式! 初の国産回転式拳銃で、速射はできるが、飛ばない、当たらない、当たってもたいしたことはない、というシロモノ。実際、1936年の二二六事件で、鈴木貫太郎侍従長が至近距離で左胸ほかに3発もくらったが、この銃だったことが幸いし、一命をとりとめた。こんなダメな銃、モデルガンなど作られていない。となると、鞍馬天狗は、空砲とはいえ、映画で本物をぶっぱなしまくっていたのか。
一方、さすがに銃器の時代考証が正確で渋いのが、1877年の西南戦争を模したハリウッド映画の『ラストサムライ』。トム・クルーズが演じるネイサン・オールグレンの拳銃が、主流の1872年型のコルトSAAではなく、1860年型のコルト・アーミーだったり、1870年型のS&Wスコフィールドだったり。これだけで、この主人公の気骨のある性格がわかるような粋な選択だ。
とまあ、時代劇に拳銃が出てきて、剣豪とガンマンが対決する、というのは、ありえない話ではないのだが、このように、この幕末から維新にかけての1860年代というのは、拳銃として実在したモデルがかなり限られている。そのうえ、生産が追いついておらず、米国さえ容易に手に入らなかった。まして、日本でとなると、どこから手に入れたのか、問われる。こういう意味でも、ぎりぎりの可能性を突いた時代考証の『用心棒』の話は良くできている。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)