十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命/純丘曜彰 教授博士
タクシス家の諜報活動
「でも、ローマ帝国も無くなっちゃいますよね」「そうだな。いまのポーランドのあたりから南下してきた東ゴート族が、四七六年に西ローマ帝国を滅ぼし、イタリア半島やシチリア島まで含むアドリア海沿岸全域を支配したからね」「それで、ゲルマン人の中世ですか?」
「いや、この王国も、五五四年に東ローマ帝国に滅ぼされてしまう。これで再びローマ帝国は統一されたんだが、今度はデンマークの方からランゴバルド族が南下してきて、ローマ教皇領とサルディニア島、シチリア島の三ヶ所以外を征服してしまった。それで、ローマ教皇は、アルプス以北を支配するフランク王国のカール大帝に救援を求め、七七四年には、教皇領を除く西ヨーロッパ全域がフランク王国のものになった」「でも、八四三年に三分相続されてしまうんですよね」「ところが、中フランク王国は、跡継がいなくて、八七〇年、ライン地方は東フランク王国に、プロヴァンス地方は西フランク王国に吸収され、残ったイタリアは、東西のフランク王国と教皇が三つどもえで争うことになってしまった」
「あれ? 神聖ローマ帝国っていうのは?」「八〇〇年のクリスマスに、フランク国王カール大帝がローマ教皇からローマ皇帝に叙せられたことから、ローマ帝国になったんだ。これは、西ローマ帝国の復興にすぎないんだが、こっちは、東ローマ帝国なんかと違って神さまに認められたんだぞ、って、いうことで、「神聖」と名乗ったらしい」「だけど、教皇と皇帝って、イタリアの支配権を巡って、たがいに争ってるんでしょ」「そこが大人の事情っていうもんだろうな。東ローマ帝国に対抗するためには手を繫ぐが、反対の手で殴り合っている、おまけに、東フランクや西フランクも、中は地方割拠でバラバラになっていき、そのうえ、西フランク王国は、九二二年には臣下のアンジュー伯に乗っ取られて、ただのフランス王国になってしまった。神聖ローマ帝国を名乗るようになった東フランク王国も、十字軍時代の一二五四年に王家が断絶し、その後は、ボヘミア(チェコ)王ルクセンブルク家、バイエルン王ヴィッテルスバッハ家、オーストリア公ハプスブルク家の互選になってしまった」
「教皇の方は?」「こっちもめちゃくちゃだな。一二六二年にオットーネ・ヴィスコンティがミラノ大司教になったんだよ。こいつがワルで、街の有力者トッレ家を叩き潰し、世俗のミラノ僭主になってしまった。以後、ヴィスコンティ家がミラノ領を拡大。チロルのあたりも、地元司教領を、その臣下だったシュパウァ伯が実質的に支配するようになり、間に挟まれた自治都市ベルガモなんかは、ゲルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)で争っている間に、ミラノに吸収されてしまった。オーストリアも、さらに勢力を拡大し、一三六三年にはチロルを吸収。国を接することになったミラノ・ヴィスコンティ家は、オーストリアの皇帝ハプスブルク家に潤沢な商業資金を献上して、一三九五年に皇帝からミラノ公として正式に認められることになる」
「つまり、南チロルのあたりは、両大国に、いいように分割されてしまった、ということですね」「でも、うまく立ち回ったやつもいるよ。ベルガモの北の谷間の村のタッシ(あなぐま)家なんて、子供たちがそこでは暮らせず、各地へ散っていかざるをえないような貧農だった。ところが、道無き道でも馬に乗れ、各地に親族が散らばっていたので、ミラノ公国のロンバルディアでの領土拡大とともに、文字通り、その使いっ走りとしてヴィスコンティ家に便利がられたんだ」
「貧しい生活が強みになることもあるものですねぇ。でも、使いっ走りじゃ、知れたものでしょ?」「ところが、タッシ家は、これがけっこうな商売になることに気づいて、ミラノ・ヴェネチア・ローマを結ぶ通信配達業を始めたんだ」「でも、それだって、そんなに儲かるようには思えませんけれど」「タッシ家は、通信を扱っているだけに、時代を読むのがうまかったんだ。十五世紀半ばにミラノ公国の実権がヴィスコンティ家からその娘婿の傭兵スフォルツァ家に移ってしまう一方、ヴァネチア共和国がロンバルディア内陸部まで勢力を伸張してくると、そっちに乗り換えたんだ。ヴェネチアを後押ししている皇帝ハプスブルク家に取り入って、宮廷のある現ベルギーのブリュッセルから、イタリアの南の果てのシチリア島まで、通信網を拡大していった」
「あ、タッシ家って、ドイツ名でタクシス家のことですか。でも、トゥルン・タクシス家って言いませんか?」「三十年戦争が始まる前の一六〇八年、皇帝から男爵に取り立てられ、十五年には帝国郵便総監となった。だけど、貴族なのに領地名がないとかっこ悪いということで、三十年戦争後の一六五〇年、かつてヴィスコンティ家が滅ぼしたミラノ・トッレ家領を名乗ることを皇帝から認められたんだ」「トッレ家のドイツ語名がトゥルン家なんですね」「宗教改革のころのイタリア戦争以来、ミラノはたしかに皇帝ハプスブルク家のものになっていたけれど、トッレ家領なんて名前だけだよ。タクシス家は、一六九五年には一気に侯爵にまで昇格させてもらったが、住んでいたのはあいかわらずブリュッセル宮廷の中」
「結局、タクシス家って、貴族というより、サラリーマンなんですね。わたしも、父の銀行勤めのせいで、転校ばかりさせられてました」「でも、ハプスブルク家の宮廷は、とっくにウィーン市に移ってしまっていただろ」「ああ、一六八三年から九九年の大トルコ戦争で、東からオスマン・トルコに脅かされ、一七〇一年から一三年にかけてのスペイン継承戦争で、スペイン王国も宿敵フランス・ブルボン家に奪われてしまったからな」
「だったら、それこそブリュッセル市なんかにいられないだろ。あそこはスペイン領の中だ」「いや、スペイン継承戦争の後のユトレヒト条約で、南ネーデルラントは、ブルボン家スペインからオーストリアに移譲されたんだ。タクシス侯家の郵便事業なんて、表向きの仕事で、本業は諜報活動だ。平気で他人の手紙を開け、要人たちの交流や交通をウィーンの宮廷に報告していた」「当時の手紙って、開封できないように、封蝋と封印でしっかり密閉されていたんじゃないんですか?」「開封できない、と信じさせておかないと、平気で秘密を手紙に書いてくれないからね。配達の遅れで気づかれないように、三時間以内で開封、複写、再封を終わらせていたそうだよ」「タクシス侯家は、最前線のブリュッセル市に留まって、そうやって宿敵フランスの様子を伺っていた、と」「まあ、さすがに一七二四年には、フランクフルト市まで後退するけどね。だが、連中が住んでいたのは、これまた帝国郵便官舎の中だ。フランクフルト市の商業地区の中心、ハウプトヴァッヘのちょっと北のところ」
「それで、タクシス侯家の諜報って、ほんとうに役に立っていたのか?」「どうかな。問題が東に移ってきていたからね。ほら、森山、ツォレルン家って覚えているか?」「ああ。中世は皇帝のニュルンベルク城代伯で、西南ドイツの自由都市を荒らしてニュルンベルク市民にも追い出されたのに、教会大分裂とチェコのフスを始末する一四一四年のコンスタンツ公会議で、どさくさに紛れてブランデンブルク選帝辺境伯になってドイツ騎士団残党を抱え込んだ。そこの悪兄弟がマインツ聖座大司教の地位をカネで買って、その支払いのためにフィレンツェのメディチ家やアウグスブルクのフッガー家と組んで免罪符を売りまくったから、一五一七年の宗教改革が起こったのに、ブランデンブルク選帝辺境伯は早々とルター派に乗り換えたんだろ。そのツォレルン家がどうかしたのか?」
「ブランデンブルク選帝辺境伯は、カトリックからルター派に乗り換えたのと同時に、皇帝の臣下から実質的にポーランド王の臣下に乗り換え、プロシア選帝公国になった。ところが、主国のポーランドは一五七二年に王家が断絶、貴族たちの選挙王制になってしまい、プロシア公国は事実上の独立国になる。そして、一七〇一年のスペイン継承戦争で皇帝に傭兵八〇〇〇名を貸す代わりに、王国の地位を認めさせた。さらに一七〇六年には、ハノーファー選帝公ジョージ一世の娘を娶っている。その義父が一四年には大ブリテン王に」「すごいな、カトリックとルター派、神聖ローマ皇帝とポーランド王、そして、大ブリテン王、と、次々うまく乗り換えて、ツォレルン家は留守城の管理人から独立国の王にまでのし上がってきたわけか」
「逆に十八世紀になって急に没落する国もある。たとえば、フランス。先代の太陽王ルイ十四世ががんばりすぎた。一七一一年、七三歳のときに、王太子のルイが四九歳で先に亡くなってしまって、一五年に自分が死んだら、五歳の孫がルイ十五世として即位しなければならなかった」「でも、そのおかげで、パリ市の都市貴族サロンも息を吹き返したんだろ」「ただでさえ、宮殿はあいかわらずヴェルサイユのままだったから、パリ市は、さらに自由になった。一七一〇年に始まったランベール侯爵夫人のサロンは、モンテスキューを中心に科学の議論で活気に溢れていたし、タンサン女男爵は、有力者の愛人たちを集めて情報を交換し、一七三三年に投資サロンを開いて大儲けしていた」「そんなフランスに支援を受けようとしていたイングランド・スコットランドのジャコバイトも、運が無いな」
フランツ一世の波瀾万丈
「もっとあわれなのは、フランス衰退のとばっちりを受ける国だよ。モーゼル河流域のロートリンゲン公国と言えば、もとはと言えば八四三年にフランク王国が三分割されてできたものだ。ところが、東フランク王国が神聖ローマ帝国になり、西フランク王国がフランス王国になると、両国の狭間にあって奪い合いの係争地になってしまった。名目上は神聖ローマ帝国の臣下だが、事実上はフランス王国の支配。ここに自然科学マニアのフランツ一世二三歳が出てきて、一七三一年、ネーデルラントハーグ市のロンドン大ロッジ系の臨時ロッジでメイソンに入った」「オーストリアもフランスも、ガチガチのカトリック国だから、大ブリテンや、その王の出身国のハノーファー、ネーデルラントと組んで、なんとか生き残ろうとしたんだろうな」
「これが、思わぬ展開になるんだ。ポーランド継承戦争が一七三三年から三五年に起こって、オーストリアの押すザクセン選帝公がポーランド王を兼任した」「ザクセン選帝公って、ルターを最初に匿ったルター派だろ。ポーランドは、それこそガチガチのカトリック国じゃないのか」「ルター派からカトリックに改宗したんだよ」「ずいぶんいいかげんだなぁ」「それより問題は、破れたポーランド貴族スタニスワフだ。支援していたフランスに亡命し、ロレーヌ公国を与えられた」「なにか問題があるのか?」「ロレーヌ公国とロートリンゲン公国は同じものだよ」「フランツ一世が神聖ローマ帝国のロートリンゲン公としてちゃんといるのに、そこを事実上の支配下だからと言って、フランスがロレーヌとして、かってに別のやつにやってしまったというのか?」「そういうこと」「フランツ一世はどうなった?」「メディチ家断絶で空白になっていたフィレンツェのトスカーナ大公国へ追いやられた」「かわいそうだな」
「ところが、これまた大きな番狂わせで、皇帝の愛娘で美人才媛のマリアテレジアと熱烈な恋に落ちて、三六年に結婚したんだ」「恋愛結婚? ヨーロッパの貴族なんて、みんな政略結婚じゃないのか?」「国を失った公爵なんかと政略結婚するやつがいるもんか」「しかし、そいつがロンドン大ロッジ系メイソンの一員となると、面倒そうだな」「そのうえ、ロンドン大ロッジは、翌三七年、帝国自由都市ハンブルクに最初のドイツロッジ「三本イラクサのアブサロム」を建てた。英国王ジョージ一世の孫のプロシア王太子フリードリッヒ二世も、三八年にここに入会した」「つまり、ロンドン大ロッジ系メイソンが、大陸の王侯貴族たちを取り込んで、北ドイツからオーストリアまでの壁を作った、ということですね」
「これに対抗して、フランスでは、ローマ亡命中の僭称王太子チャールズ三世の家庭教師で熱狂的なカトリックジャコバイトメイソンのエセ準男爵ラムゼーが、翌三七年、メイソンは聖堂騎士団の末裔だ、と言い出した」「石工じゃない、貴族の組織だ、って言って、大陸の王侯貴族をロンドン大ロッジ系から、パリ・ジャコバイト系に呼び戻そうとしたのか」「ところが、スコットランド大ロッジは、メイソンはあくまで石工の団体だ、と言って即座に否定した。おまけに、ラムゼーのいたフランスでは、メイソンが聖堂騎士団の末裔だと聞いて、各地のサロンの都市貴族たちが女性まで続々とメイソンに入って、フランス大ロッジを作ってしまった」「どういうことですか?」「ラムゼーは知らなかったようだが、フランスじゃ、聖堂騎士団は反王権・反カトリックの象徴だったんだよ」「カトリック・ジャコバイトのメイソンが、逆にフランスの反カトリックを組織してしまった、というわけか」
「これに驚いて、翌三八年、教皇クレメンス十二世が最初のメイソン禁止令「イン・エミネネンティ」を出す。そして、富くじを駆使して準備した莫大な軍資金で、四〇年に教皇になったベネディクトゥス十四世がカトリック復興の強硬路線を推し進めた。おりしも、神聖ローマ皇帝位を世襲していたハプスブルク家には男子が生まれず、皇帝カール六世は、やむなく娘の才女マリアテレジアと、その婿のロートリンゲン公フランツ一世に、とりあえず跡を継がせようとした。だが、プロシア選帝王フリードリッヒ二世は、一七四〇年末、それを認める代わりに、と言って、ポーランド西部の皇帝領シレジアを奪取。これをきっかけに、ザクセン選帝公兼ポーランド王アウグスト三世はボヘミア(チェコ)を、バイエルン選帝王カールアルプレヒトはチロルを、フランス王ルイ十五世はラインを侵略した」「プロシア選帝王なんて、皇帝がプロシア選帝公を特別に王に昇格させてやったんだろ。飼い犬に手を噛まれるみたいな話だな」「プロシアはともかく、ポーランド、バイエルン、フランスは、みんなたしかカトリック国ですよねぇ」
「しかし、こうなると、問題はメイソンだ。ローカルなサロンと違って、メイソンは国際的なネットワークを持っている。オーストリアのフランツ一世は、ロンドン大ロッジ系。そこで、四二年には、プロシア選帝王フリードリッヒ二世は、昵懇のイエズス会士に、敵国オーストリアのウィーン市で最初のメイソンロッジ「オー・トロワ・カノン(三つの規範)」を作らせて、オーストリア内部のメイソンをプロテスタントとカトリックに分断しようとした。驚いたマリアテレジアがすぐに解散させたがね」
「おいおい、例のタクシス侯家の郵便諜報は、なにをやってたんだ?」「フリードリッヒ二世に、ぬかりはないよ。タクシス侯家のアレクサンダー・フェルディナントの嫁は、彼の親族だ。タクシス侯家は、郵便総監どころか大公執務官にまで任ぜられながら、最初からプロシア選帝王側に寝返っていたんだよ。それで四二年、プロシア側のバイエルン選帝公カール・アルプレヒトも、実弟がケルン大司教なのに、わざわざ戴冠式をケルン市ではなくフランクフルト市でやって、帝国議会もレーゲンスブルク市からフランクフルト市に移し、タクシス侯家を自分のマンハイム宮殿に住まわせた」「諜報に裏切られていたんでは、オーストリアも、どうしようもないですね」
「それだけじゃない。皇帝は、シレジアのグラツ城代伯、フント男爵なんていう小物にまで裏切られた。まあ、フント男爵にしても、シレジアがプロシアに取られてしまった以上、反皇帝側に付かざるをえなかったんだろうが」「でも、そんなやつ、どうでもいいでしょ」「フント男爵は、フランクフルト市でのザクセン選帝公カール・アルプレヒトの皇帝戴冠式の後、そのままフランスのパリ市に赴き、ジャコバイトの僭称王チャールズ三世に頻繁に会っているんだ。当時、フント男爵が二一歳、チャールズ三世が二二歳。同世代で、連絡係として都合がよかったんだろう。それで、四五年にジャコバイト蜂起」
「チャールズ三世がスコットランドに戻ってイングランドに反乱を起こしたけれど、簡単に鎮圧されて、すぐフランスに逃げ帰っただけだろ?」「同じ四五年には、皇帝バイエルン公も敗退憤死して、オーストリア継承戦争も終わった。プロシアのフリードリッヒ二世がシレジアを得て、「大王」と呼ばれるようになっただけ。裏切者のアレクサンダー・フェルディナント・タクシス侯爵なんか、四八年には、ちゃっかりオーストリア・ハプスブルク家の新皇帝フランツ一世の大公執政官に戻って、そのレーゲンスブルク市の宮廷に住み込んでいるし」「オーストリアも、プロシアや教皇に振り回された連中も、みんな、くたびれ損か」
心霊術の流行
「一種のニヒリズムだな」「なんの話だ?」「結婚だけじゃない、身分も、王制も、キリスト教の神も信じないという連中が、十八世紀半ばのフランスにはおおぜい出てきた。有力者の愛人たちから集めた情報で株式投資サロンを開いて大儲けをしていたタンサン女男爵なんて、その典型。ポンパドゥール女侯は、一般市民ながら幼少から才気溢れ、タンサン女男爵のサロンで学んだ後、エティオール夫人としてわずか二四歳で四五年に自分のサロンを開き、みごとに三五歳の国王ルイ十五世の寵愛を射止めて、ポンパドゥール侯領を与えられ、公妾として宮廷に入り込み、サロンの友人たちと浪費の限りを尽くした。タンサン女男爵のサロンを四九年に継承したマダム・ジョフランも、一般市民ながらオーストリア女大公マリアテレジアやロシア女皇エカチェリーナ二世とも交流し、画家や建築家も招いて、百科全書出版の最大の支援者だった。一方、同じころのドゥファン侯爵夫人のサロンは、愛人のヴォルテールともに、身分を越えた、洗練された社交精神を博して人気となった。マンハイム市郊外出身でパリ市に移住したドルバック男爵は、五〇年には、町中のロワイヤル通り八番地の自宅で、男だらけの無神論の百科全書サロンを開いている」「そういうところから、革命の気風が醸成されてきたんしょうね」
「その一方で、全臨神の信仰だの、降霊術のサロンだのも、大流行し始める。神が自然物でないにしても、とにかくそこら中にいる、っていうのは、汎神論だし、それがロゴス(論理)として自然物を支配しているっていうのは、理神論だ。それで、人間的で感情的な創造主だの、人だか神だかよくわからないイエスの話は横に置いておいて、近代科学は、全臨神としての聖霊の信仰と結びついていったんだよ。そのうえ、すごいのが出て来た。スウェーデン・ストックホルム市のルター派教会宮廷牧師の息子、スヴェーデンボリ。彼は敬虔なルター派信徒で、熱狂的なニュートン主義科学者だった」「あらら、つまり、聖霊霊媒主義と汎神理神論が彼によって結びついてしまったってわけか」「彼は、ずっと夢の中で悪霊だの、亡霊だの、天使だのに囲まれてきたんだそうだ。そして、一七四四年のイースターの晩、いよいよイエスの霊が現れ、出航健康証明書は持っているか、おまえの約束したことを行え、って言ったんだと」「えーと、イエスの霊って、亡霊ですか?」「はりつけにされて死んだんだから、亡霊だろ」「でも、生き返りましたよ」「じゃあ、生き霊かな」
「それ以来、スヴェーデンボリは、霊たちといろいろ語り合うんだが、その霊たちによれば、神聖なのは神さまだけで、自分たちは聖霊ではない、と言ったとか」「聖霊でも、亡霊でもない霊ねぇ……」「いや、かつてこの世に生きて死んだこともあるが、死んでもまだ生きているやつらだ。だから、亡霊と言えば亡霊だが、もともと生きたり、死んだり、というのは、大したことではないらしい」「プラトンの言う永遠の霊魂、地球外知的生命体、みたいなやつなのかな?」「ああ、実際、そいつら、自然だの、天界だの、宇宙だの、いろいろ語ったらしい。ただ、困ったことに、その話が、カトリックとも、プロテスタントとも、似ていないんだ。もっともまずいのが、新旧両教ともに中核としている三位一体論に対して、新説を唱えたこと」「新説って、否定したということか?」「あくまで新しい三位一体論だな。つまり、神に三つの位階があるのではなくて、一つの神が、そのままあれこれやった、たとえば、創造主はイエスとして世界と和解した、てなことになる。だから、我々も同じように自分の中の聖霊によってこそ救われるのだ、って」「イエスの贖罪で救われるんじゃないのか?」「スヴェーデンボリだと、違うらしいぞ」「それじゃ、イエス=キリスト(救世主)じゃないじゃん。キリスト教じゃないだろ」「でも、聖霊=キリストだ。パウロ教とはかな違うけどね。それどころか、彼の日記だと、パウロは地獄に墜ちた、とまで書いてある。まあ、ルターの一般信徒霊媒主義を突き詰めていけば、こんな風にならざるをえなかったんだろう」
「だけど、こんなんじゃ、ルター派でも異端だろ?」「もちろん。でも、彼は一七四九年、六一歳のとき、匿名で『アルカナ・セレスティア』(天上の秘密)」を出版し始めた。出足は鈍かったが、これがあちこちのメイソンロッジで話題になり、爆発的に流行することになる。それで、教皇ベネディクトゥス十四世は、五一年、メイソンリーに対し、さらに激しい破門回勅を発令した。でも、このころ、大国のほとんどの高位高官がどこかしらのロッジに関与し、旧教側のイエズス会士たちですら入会しているような状況だった」「メイソンは、カトリック以上の存在になってたんですね」「話はそう簡単でもない。オーストリア継承戦争中にの四五年にカトリック・ジャコバイトの僭称王チャールズ三世が大反乱を起こして失敗したりしたもんだから、あちこちのロッジで、カトリック・ジャコバイトはお断り、とばかりに、スコットランド人やアイルランド人の差別的な入会拒否が起きていた。なのに、ロンドン大ロッジは、その入会拒否問題になんの手も打たなかったものだから、五一年、アイルランド大ロッジとスコットランド大ロッジが合同してロンドンのカトリック系ロッジも吸収し、「古式(アンシェント)大ロッジ」を建てた」
「後からできたのに、古式か?」「自分たちこそ古代ケルト・ゲルマン文化の伝統の正統継承者だ、どこぞから流れてきたノルマン人のなれの果てなんかとは生まれが違うっていうことだろ」「それに対して、ロンドン大ロッジは?」「それならそれでけっこう、と、近代イングランド大ロッジを名乗るようになった」「後からできて、本家とか、元祖もないもんだろ」「ところが、世界中のメイソン、とくに保守地主層のトーリー党員たちが、なだれをうって、みんな古式側に移籍しちゃったんだ」「どうして?」「聖堂騎士団起源説だよ。三七年にカトリック・ジャコバイトの似非貴族メイソン、ラムゼーが言い出したとき、スコットランド大ロッジは即座に否定したくせに、古式大ロッジではそれを取り込んだ」「だけど、メイソンって石工だろ。なにか騎士団が起源だっていう根拠となるような文章でも出て来たのか?」「もっと簡単だよ。聖堂騎士たちの亡霊が出て来て、騎士団起源にまちがいないって」「なんだ、それ?」「おそらく、当時の最新技術だった幻灯機のようなものを使って、信じ込ませたんだろうな」「つまり、インチキじゃないか」
「いや、亡霊がインチキなのは、みんなも気づいていたかもしれない。古式が人気になったほんとうの理由は、さらにもっと俗っぽいよ。古式大ロッジ系は、以前、ラムゼーの聖堂騎士団起源説を否定していたくせに、一般三階層のブルーロッジの上に、聖堂騎士などの特別三三階層のロイヤル・アーチ・チャプター、通称レッドロッジがあるって言い出した。そのうえ、ニュートンの王認協会と違って、一般会員も、その上位ロッジに昇進できるようにした。そして、上位に昇進すればするほど、えらく儲かった」「儲かる?」「表向きは、聖堂騎士団の秘密の巨額資金の運用した配当だ、ということになっていたんだが、ほんとうはネズミ講だ。下部会員から吸い上げた会費を山分けにしていたんだ。新規会員を増やせば増やすほど昇格できて、配当も増えた。これが、一七二一年のバブル崩壊以降、投資を失って没落していく一方の、名ばかりの地方地主貴族のトーリー党員にとって、新興商人層からカネを巻き上げる大きな収入源になったんだよ」「まさに人間を黄金に換える霊的錬金術ですね」
ほら吹きたちの冒険
「でも、霊的ネズミ講のしくみは、古式大ロッジが最初じゃないよ。カトリック教会の方が本家で元祖だ。でも、吸い上げる上位は坊主だけ。どんな大貴族でも、しょせん吸い取られる側だ。だったら、メイソンの方がいい、って、みんな教会よりもメイソンロッジに行ってしまった」「去って行ってしまう信者を教会が破門しても、効果が無いよな」「カトリック教会がとくに問題にしたのは、自分たちは死んだ聖堂騎士と繋がっているなどという、古式大ロッジが持っている霊媒術的な体質だ。前にも話したように、カトリックの考え方だと、死者の亡霊は最後の審判の日まで神によって完全管理されていて、この世の側から呼んだだけで、かんたんに出て来たりするわけがない、つまり、インチキだ、っていう話だ」「実際、インチキなんだろ。でも、儲かるなら、インチキでもかまわない、って、みんな入ったんだろ」「そう、いくらカトリック教会がメイソンロッジをインチキだって非難したって、おたがいさま、くらいのもんだ。だから、次には、たとえ霊媒術がホンモノだとしても、神の許しもないのに、へろへろ出て来て、ぺらぺらしゃべるなら、そりゃ悪霊だぞ、ってケチをつけた」「例のサウルの女霊媒師と同じ二段構えの論駁だな」
「ここで出てくるのが、ファウスト博士だ」「ゲーテの戯曲で有名ですね」「鈴ちゃん、あれさ、実在の人物なんだぜ」「ほんとうに?」「ああ、森山がいうように、実在の人物だ。ただし、ろくなもんじゃない。エラスムスやパラケルスス、アグリッパ、ルターなんかと同じころの放浪医師なんだが、大酒飲みの酔っ払いで、悪魔礼拝だ、霊媒術だ、錬金術だ、と、大ホラを吹きまくり、一五三八年、飲み過ぎで死んだ」「そんなチンケなやつなのか?」「十六世紀後半、ユグノー戦争でカトリックとカルヴァン派が激しく戦っていたころ、ルター派はすでに存在感を失ってしまっていた。それで、この劣勢を巻き返すために、ファウストを引っ張り出してきた。アグリッパやパラケルススやノストラダムスのさまざまな伝説的エピソードを盛りつけ、ファウスト博士を史上最大の恐るべき魔師にでっちあげた『ファウスト物語』を、一五七五年頃、パンフレットとして大量に印刷した。旧教イエズス会のような学問教育や、新教カルヴァン派のような上昇志向こそが、このような魔師を生み出してしまう、人間はルターの言うように知識も野心も捨て、ただ愚直な奴隷として神に隷従していればよい、と説教した」「シェイクスピアの時代の、クリストファー・マーロウなんかも採り上げていますよね」「その話をこんどはカトリック教会が使った?」「メイソンのような科学主義や上昇志向は、かならず手ひどいシッペ返しを受けるぞ、おまえらは知らないだろうが、メイソンの首領は、じつは悪魔メフィストフェレスなんだ、やつは契約によって会員に財産と地位を与えるが、最後には生命を奪ってしまうんだぞ、ってな」「なんで、カトリック教会は、メイソンの首領が悪魔メフィストフェレスだって知ったんでしょうね?」「さあね」
「だいたい、メフィストフェレスって何なんだ? そんな悪魔、どこから出て来たんだ?」「さあ、おれも知らないな。ファウストの話より前に、やつの出典は無いんじゃないだろうか」「マーロウの戯曲だと、ルシファーの子分っていうことになっていましたよ」「悪魔とか悪霊とかなんて、キリスト教じゃ、結局、みんなサタンの子分だよ」「ルシファーの方は、サタンの別名として四〇〇年ころの教父ヒエロニムスからよく知られてるけどなぁ」「ヘブライ語源なら、メフィァ・トフェル、大ボラ吹き、という意味になる」「メフィストフェレスが? それともファウスト博士が?」「さあ?」
「でも、十八世紀半ばなんて、大ボラ吹きだらけだぜ。だいいち、有名なホラ吹き男爵、ミュンヒハウゼンも、この時代の人だ」「オオカミの馬車でロシアに行ったとか、大砲の玉に乗ってトルコへ行ったとか言っているホラ吹き男爵も実在なんですか?」「ああ、ブラウンシュヴァイク侯に仕えて、一七三六年から三九年にかけて、ほんとうにロシアのクリミア半島でオスマン・トルコと戦っている」「暴風に巻き込まれて月に行ったのも?」「そりゃ、ウソだ」「ほんとうに?」「一七五〇年、三〇歳でハーメルンの近くの村に戻り住んで、若い頃の冒険譚を好き勝手に脚色して話してたんだろうな」「平和で、陽気そうなホラじゃないですか」「そういうのなら、害も無いし、いいんじゃないのか」
「四五年のジャコバイト王チャールズ三世の蜂起を手助けしたフント男爵も、一七五〇年に帰ってきた」「でも、シレジアは、もうプロシア選帝王国のものだろ」「ああ、オーデル河上流のシレジアは、プロシアにとって、ザクセンとポーランドを分断し、皇帝のボヘミアを臨む次の一手のかなめだ。得意の直轄植民で地歩を固めた」「じゃあ、どこに?」「しかたないから、ザクセン選帝公兼ポーランド王に泣きついて、ドレスデン市の東、プロシアとシレジアを繫いでいるオーデル河の廊下の近くに新しい領地をもらったんだ」「つまり、フント男爵は、ザクセン選帝公の子分になった、ということですね」「ザクセン選帝公国は、三三年からのポーランド継承戦争ではプロシアの支援を仰ぎ、四〇年からのオーストリア継承戦争ではプロシアの支援に応じたが、気づいてみれば、東ではポーランドとの間をプロシアのオーデル河の廊下で分断され、西ではエルベ河支流ザーレ川沿いにハレ市まで割り込まれていた」「いい状況じゃないな」
「もっと危機的だったのが弱小名家アンハルト公国。ザーレ川のハレ市がプロシア選帝王国の飛び地になっていた以上、間に挟まっているアンハルト公国がプロシア選帝王国に侵略されるのは時間の問題だった。ここを取れば、プロシア選帝王国はエルベ河を遡り、ザクセン選帝公国のドレスデン市、さらにはボヘミア(チェコ)王国のプラハ市まで攻め込めるからね」「そんなの、プロシアの「大王」フリードリッヒ二世さまなんだから、とっとと取ってしまえばいいじゃないか」「そう簡単でもないよ。プロシア選帝王国は、ルター派とはいえ、その戦力は、一六八五年のフォンテーヌブロー勅令でフランスから移民でやってきたカルヴァン派の子孫だ。相手がカトリック国ならともかく、カルヴァン派のアンハルト公国を侵略しようとすれば、クーデタが起きかねない。同じカルヴァン派の多いネーデルラントや大ブリテン、その親族のハノーファー選帝公国も黙ってはいまい。おまけに、アンハルト公国は、十三世紀以来の伝統を誇っていた。それこそ、ニュルンベルク城代伯から成り上がったプロシア選帝王国に欠けていたもの。もしそこを攻めれば、歴史の破壊者として、ヨーロッパの王侯貴族すべてを敵にまわすことになってしまう」「フリードリッヒ二世は、大王であっても、後の皇帝ナポレオンみたいにはなりたくなかったんだろうな」
「でも、いつ侵略されるかわからない国なんて中はガタガタだよ。アンハルト公国の中心ケーテン市の聖ヤコブ教会には、ディートリッヒ・シューマッハーなんていう上席牧師がいた」「その教会、バッハもいたところだろ」「バッハは一七二三年にザクセン選帝公国ライプツィッヒ市にとっくに去っている。いずれにせよ、ここはカルヴァン派で潔癖主義。ところが、シューマッハー上席牧師は、未亡人に手を出した。それで一七四二年に追い出された」「それから?」「ベルリン市やハレ市のロッジに潜り込んだんだが、元牧師とも思えぬ悪行と悪口のせいで満場一致で除名。その後、彼はイェーナ市だのウィーン市だので錬金術や霊媒術のオカルト研究にどっぷり漬かり込む」「まさにファウスト博士だな」
「こんなのがうろうろし始めたんで、帝国の方も取り締まりを強化しようと、五四年、二九歳のシュパウァ伯フランツ・ヨゼフを、アルプス以北の東西南北交通の要衝、マインツ市の守鍵官に任命したんだ」「シュパウァ伯って前に出て来たな」「チロル司教領の臣下だったけど、それを乗っ取っちゃった地元豪族でしたね」「マインツ市にブレンナー峠並みの警備をというわけだな」「ところが、悪いやつは、すごいよ。ここに、ヨンソンというやつが現れて、守衛官シュパウァ伯に、非金属を黄金に換える賢者の石を持っているとか、木綿を絹糸に換えるアルカリ液があるとか言って、取り入ってしまったんだ」
「そいつ、何者なんだ?」「本当は、アンハルト公国の西、チュービンゲン生まれのヨハン・ザムエル・ロイヒテ。ザクセン選帝公国の銃騎兵だったが、不名誉除隊になって、プラハなどで錬金術詐欺を繰り返していた流れ者。当然、ばれる前にマインツ市を逃げ出し、ライン河を遡って、五六年、ストラスブール市に現れた」「また錬金術詐欺ですか?」「いや、こんどは、ベネディクト会士カシミール神父などと名乗って、同会修道院に乗り込んだ」「あいかわらず大胆だな」
「そのうえ、手が込んでる。自分は、ローマから神父に身をやつして来たが、じつはスタニフルスト伯、スチュワート朝の王位継承者なのだ、これからフランスに行って軍を起こす、志あるものは我に従え、だって」「それで、本当にフランスに行ったのか」「まさか。近隣でもウソを振りまいて、捕まって有罪。ストラスブールからマルセイユに送られて、ガレー船漕ぎの刑ということに。ところが、その移送途中で脱走した」「どうせまたどこかに出て来ますよ」
「でも、この時代、こんなのばっかりだ。そいつとは別に、フランスにも正体不明の流れ者がやってきた。マルチネス・ドパスカリ。一七五四年、二七歳のとき、マルセイユの西百キロほどの大学街モンペリエ市に、メイソンまがいの新興宗教教団「エリュ・コーエン(選良司祭団)」を興した。こいつ、霊媒師で、パスとかいう超常現象を参加者に見せつけたんだ」「どうせ幻灯機かなにかの手品なんだろ」「どんな教義だったんですか?」「ユダヤ教とグノーシズムがくっついたみたいなの。よくある霊魂浄化系だな」「南フランスは、もともとユダヤ人も多かったし、カタリ派があったところだから、そういう新興宗教みたいなのが受け入れられやすかったんだろ」「シューマッハー同様、他の大ロッジやチャプターに上納金を納めるより、自分がネズミ講のトップになった方が儲かるからね」「入る方も、上が詰まっている古いところより、新しいところの方が上に駆け登れるからな」
「サンジェルマン伯爵というのも、正体不明なやつで、一七四五年のジャコバイト反乱のすこし前に音楽家としてロンドンに現れて、名士たちとの交流を広め、四九年以降、フランスのルイ十五世に密使として外交や諜報に活躍していた。錬金術マニアで、自分は不老不死だと言っていたとか」「ルイ十五世の密使って?」「スクレ・ドゥ・ロワ(王の密偵)という組織だ。オーストリア・ハプスブルク家がタクシス侯家にコソコソと郵便諜報をやらせていたのに対して、フランス・ブルボン家は、あちこちの宮廷に度派手で魅力的な外交官を派遣し、情報収集をさせていたんだ」「へぇ、スパイなのに、堂々と乗り込ませるんですね」「騎士デオンなんていうのも、有名だろ」「リボンの騎士やオスカルのモデルですね。あの人、結局、男? 女?」「自称女性の男装の麗人だったようだよ」「えーと、それって、結局、どっち?」
「ついでに、千人の女と寝たと豪語する天下御免の冒険野郎、カサノヴァも、この時代だ。しかし、娘をたぶらかされた故郷ヴェネチアの貴族によって、彼のメイソンロッジでの霊媒術を告発され、一七五五年、三〇歳のとき、ヴェネチア監獄に入れられてしまった」「ああ、総督宮の後ろ側、厳重強固、灼熱と極寒で知られる屋根裏部屋の「鉛屋根の監獄」だな」「ところが、鉄製の閂を削って矛を作り、大型のヴルガダ聖書の背に隠して、隣室の悪辣修道士に贈り、天井と壁に穴を開けさせた。そして、翌五六年、判事長が休みで牢屋番も怠ける祭日、幽霊が地上にさまよい出るという十月三十日、万聖節の濃い霧の夜、カサノヴァは鉛屋根の上に出て、墜ちたら死んでしまう高さ数十メートルの屋根の急勾配を登り切り、万聖節を告げるサンマルコ寺院の深夜の鐘の音に紛れて天窓を壊し、官邸の広間に下りた。そして翌朝、官邸の鍵が開くとともに、彼らは夜遊びの朝帰りのような格好で飛び出して、ゴンドラに乗り込み、フランス、パリ市へ逃走してしまった。以後、サインガルトの騎士とか、ファルッシ伯爵とか名乗って、あっちこっちで好き勝手なことをやっている」「なんか、007を地で行くような人たちがいっぱいだったんですね」
一七五六年の外交革命
「その点、マリアテレジアは潔かったな」「一七五六年の外交革命のことか?」「女帝が革命ですか?」「革命ったって階級闘争じゃないよ。マリア・テレジアのオーストリアは、八四三年のフランク王国三分以来、ずっと西のフランスと対立してきた。にもかかわらず、先のオーストリア継承戦争で新興国プロシアに奪われたシレジアを奪還するために、宿敵フランスと手を組んで、一七五六年に、七年戦争を起こしたんだ」「オーストリア側の都合はわかりますけれど、フランスはなんでそれに応じたんです?」「これまた一三三七年の百年戦争以来のフランスの宿敵、大ブリテンがプロシアと組んだからだよ。大ブリテンの王ジョージ二世は、ハノーファー選帝公でもあり、プロシアの「大王」フリードリッヒ二世の伯父だったんだ。おまけに、ホモのフリードリッヒ二世が、ルイ十五世の公妾ポンパドール女侯爵をバイタとバカにしていた。へたにスクレ・ドゥ・ロワ(王の密偵)なんていう諜報機関を持っているから、悪口まで筒抜けだったんだよ。ヴォルテールがなんとか丸く収めようとフリードリッヒ二世のところまで出向いていったが、かえって事態は悪化して開戦」「つまり、七年戦争か」「ホモだ、バイタだ、って、罵り合って、大国が戦争ですか。最低の外交ですね」
「でも、この外交革命は、もう一つの外交革命でもあったんだ。十一世紀の以来の聖職者叙任権闘争と北イタリア教皇領の問題以来、ずっと皇帝と教皇は、対立してきた。一七四〇年から四八年にかけてのオーストリア継承戦争のときも、カトリック教会は、フランスやバイエルンとともにオーストリアと戦ってきた。ところが、今回は、オーストリアがカトリックのフランスと組んだ。それで、教会も反プロシアということになった。おまけにポーランド継承戦争でカトリックに改宗したザクセン選帝公国も、今回は反プロシアだ」「新興国に対する守旧勢力の大連合ですね」「成り上がり大国のプロシアがいちばん恐れていた構図だろうな」
「ポンパドール女侯爵なんかも、タンサン女男爵の弟子として無神論者だったくせに、神妙にカトリックのふりをし始めるし、聖堂騎士団末裔説で反王権・反カトリックだったフランス大ロッジも、第五代大統領にブルボン家クレモン公ルイを担いで、五六年には反大ブリテンで大政翼賛のフランス国民大ロッジ(グランロージェ・ナショナル・ドゥ・フランス)になる」「みんな勝ち馬に乗ろうっていうだけだろ」「うまくすれば、インドや新大陸における巨大な大ブリテン利権を横取りできるんだから、一枚、かんでおこうという連中が出てきても不思議じゃないよ」「カトリックにしても、反カトリックにしても、宗派なんか、もうどうでもいいという感じですね」
「いや、いまだにそうでもないところもあったぞ。チューリンゲン州ってわかるか?」「昔の東西ドイツ国境のあたりだろ。北のハルツ山脈と南のチューリンゲンの森に挟まれた廊下のような丘陵地帯だな。歴史地図だと、あのあたり、小国だらけで、わかりにくい」「七年戦争でプロシアとハノーファー・大ブリテンが連合してしまった以上、ドイツは東西ではなく、南北に割れることになってしまった」「つまり、宗教戦争の時代の北部プロテスタント国と南部カトリック国ということですね」「それで、その隙間のチューリンゲン州の小国が奪い合いになったんだ」
「チューリンゲン州か。周辺の大きい国ならわかるぞ。ハルツ山脈の北側は、まずベルリン市を中心とするプロシア選帝王国だろ。その西が大ブリテンとも同君連合で、北海やバルト海まで広がるハノーファー選帝公国だな。その中にはリューベック市、ハンブルク市、ブレーメン市のようなハンザ同盟自由都市が含まれている」「プロシア選帝王国とハノーファー選帝公国の間にも、ハノーファー選帝公分家のブラウンシュヴァイク侯国というのが挟まっているな」「一方、南のチューリンゲンの森の南側は、西からヴュルツブルク司教領、バンベルク司教領、バイロイト侯国」「で、問題のチューリンゲンの廊下だが、西端がヘッセンカッセル方伯国、ここから順にアイゼナッハ市、ゴータ市、エアフルト市、ワイマール市、イェナ市が並んでいる。これらのうち、アイゼナッハ市とワイマール市、イェナ市がワイマール公国で、ゴーダ市がゴーダ公国、エアフルト市がマインツ選帝大司教領飛び地。廊下の東が、ポーランド王国と同君連合のザクセン選帝公国。ただ、その首都ライプツィッヒ市のすぐ北のハレ市やマグデブルク市は、もうプロシア選帝王国だ。そのうえ、プロシア選帝王国のハレ市とマグデブルク市の間に、前に話した十三世紀以来の歴史を誇るだけの弱小名家、アンハルト公国が挟まっている」
「宗教的にもチューリンゲンの森が問題のカトリックとプロテスタントの境目ですよね」「でも、ザクセン選帝公国はポーランド継承戦争で宮廷だけカトリックになっていたし、ハノーファー選帝公国も、大ブリテン王国との関係で英国教会に近い立場だ。くわえて、ハンブルク市とカッセル市、アンハルト市は、ルター派ではなく、フランス人ユグノーの移民を受け入れたカルヴァン派で、西北のネーデルラント(オランダ)や西南のプファルツ(宮中)選帝伯領と連なっていた」「このあたり、なんでこんなにややこしいんですか?」「ザクセン人というのが、ゲルマンの習慣で、分割相続を繰り返したからだよ。そのくせ、血脈断絶で継承統合するから、あちこちが飛び地で絡み合ってしまった」「このあたりのごちゃごちゃをうまくまとめたやつが、ドイツを制する、というわけだな」「それだけじゃないよ。ここは、アルプス以北ヨーロッパの交差点だ。ここを握ってドイツを制すれば、ヨーロッパ全体も統一できる」「それで、ここが七年戦争の焦点になったんだな」
三つの聖堂騎士団
「でも、いくら小国であろうと、軍事力で侵略できても維持できない。それはプロシアのフリードリッヒ二世がよくわかっていだろう。シレジアを巡る、この七年戦争のように、周辺の大国が許さない」「となると?」「外交だよ。それらの小国の有力者たちの世論を味方につける必要があった」「で、メイソンロッジか」「そういうことだ。それでまた、怪しげな連中が、あちこちのロッジをウロウロし始めた。最初が例のザクセン選帝公の子分、フント男爵。またパリのジャコバイト僭称王チャールズ三世に呼び出されて行くと、「赤い羽根」とかいう騎士が、おまえを「厳格戒律会(ストリクト・オブサーヴァンス)」聖堂騎士団の統帥(ヘアマイスター)に叙してやる、って言うんだ。そして、第七管区のドイツをおまえに任せるから、みな、「知られざる上官」に従え、なんて言われて、チューリンゲン諸都市のロッジ説得に奔走することになる。もともと三七年に聖堂騎士団起源説を言い出したエセ・バロネットのラムジーがカトリック・ジャコバイトなんだから、カトリックに改宗したザクセン選帝公が、反ブリテンのために聖堂騎士団を持ち出すのも理にはかなっているんだが」
「うまくいったのか?」「まあまあだな。大ブリテン大ロッジ系のドイツ支部のひとつにすぎなかったプロシア・ベルリン市の「三つの地球」が、フリードリッヒ二世の威光を背景に、ドイツ大ロッジとして、チューリンゲン周辺諸都市のロッジを傘下に収めようとしてきた。これに対して、より上位であるかのような聖堂騎士団が出てくれば、そっちの方が人気になる」「だれだって、石工より騎士の方がかっこいいと思うだろうしな」
「それだけじゃない。フント男爵の言う厳格戒律会は聖堂騎士団の秘宝を運用しており、上位者には終身年金が出る、という話までついていた」「インチキくさいな。それ、その軍資金でジャコバイトが大ブリテンを取り戻せたら、みんなラムジーみたいに下級貴族に叙して、大ブリテンの国庫から貴族年金を支払ってやるというカラ約束なんじゃないのか?」「だいいち、ジャコバイトって、四五年の蜂起に大失敗しちゃったんですよね。まだ大ブリテンを奪還する気だったんですか?」「いや、新大陸だ。前にも話したように、中西部はカトリックのフランス植民地、南端部フロリダもフランスが吸収したカトリック・スペインの植民地。東岸中部はジャコバイト。東岸南部のノースキャロライナ州、サウスキャロライナ州は、移民開拓者たちを抑えきれなくなって一七二九年に領主権を大ブリテンに返上したが、その移民開拓者というのが、ヨーロッパで貧窮するアイルランド人やスコットランド人、ドイツ人。一七三二年に新たにできた棄民植民地ジョージア州も似たようなものだった。だから、新大陸は、熱狂的な清教徒たちのマサチューセッツ州のような東岸北部を除いて、カトリック・ジャコバイトで再統一される可能性が現実にあったんだ」「意外ですね」
「おまけに、カトリックには新大陸の経済開発のプロ集団がいた。イエズス会だよ。ほら、一七〇〇年から十三年にかけてのスペイン継承戦争で、フランス・ブルボン家がスペインを取っただろ。それで、スペインが世話していたイエズス会もブルボン家が面倒をみないといけなくなってしまっていたんだ。これ、実質的には、大ブリテンの東インド会社と同様の国際貿易商社で、ペルシアや中国、カリブ海の物産の輸入販売によってかなり儲かる組織だったんだが、頑迷な典礼問題で、ペルシアや中国からは追い出され、カリブ海の黒人奴隷による砂糖製造は使い込みで破産してしまった。おまけに、ポルトガルも、スペインやフランスを嫌って、イエズス会を国外追放にした。それで、会士二万四千人が行き場を失っていた。それで、ブルボン家は、ドイツ失領貴族やジャコバイト残党、イエズス会引き揚げ者、等々、みんな例のルイ十五世のスクレ・ドゥ・ロワ(王の密偵)に放り込んで、新大陸に自分たちの国を作らせようとした。連中は、そこで商品作物のタバコの大規模プランテーションを計画した」「つまり、厳格戒律会というのは、チューリンゲンから新大陸タバコプランテーションへの大移民団計画なんですね」
「すでに領地も国民も産業も当てがあって、きちんとカトリック・ジャコバイトの王までいるんだから、あとは、資金だけか」「でも、チューリンゲンの小国の名士たちなんて、たいしたおカネは持っていなかったんじゃないんですか」「そうだな、カネのことなら中世以来の金融自由都市フランクフルトだろ」「ぬかりはないよ。郵便諜報のタクシス侯家が四八年にレーゲンスブルク市に引っ込められて以来、ずっと空白になっていたフランクフルト市に、五七年、「黄金薔薇十字団(ゴルト・ウント・ローゼンクロイツ)」なんていうができる」「薔薇十字団だったら、大ブリテン系ですよね」「ところが、これはザムエル・リヒター、筆名シンケルス・レナトゥスの思想に基づくものでね」「それ、誰ですか?」「シレジア貴族の家庭教師で、錬金術師だよ。賢者の石を作った、アウルム・ポタビレを作った、ってさ」
「アウルム・ポタビレって、飲める黄金か?」「いかにもインチキくさいだろ。でも、錬金術でも霊媒術でもいろいろやって、おまけにこのゴールドドリンクでかなりの人気になったらしいよ。おそらく、これも実体はイエズス会だろう」「イエズス会がゴールドドリンクを作ってたなら、そりゃきっと、いまのエナジードリンクそのものじゃないのか。連中なら、ハチミツに砂糖、ガラナ、マカ、高麗人参、モンティチェッリ・ニンニク、ラム酒、抽出カフェインなんかも、かんたんに調達できただろうから」「集会でそんなの飲ませたら、みんなハイになっちゃって、幽霊でもなんでも見えたでしょうね」「ヨーロッパのやつらは、やたらアルコール耐性はあっても、カフェイン耐性はまったく無いからな」
「でも、いくら植民地経済開発にたけたイエズス会がついていたって、カトリック・ジャコバイトみたいな負け組に投資して回収できる見込みなんてあったんですかねぇ?」「いや、イエズス会が絡んでいるとなると、あながちインチキとも言い切れないんだよ」「というと?」「昔の聖堂騎士団の財宝の運用なんてウソだろうが、イエズス会は、スペインとつるんでいたころに、中南米のインカ帝国とか、アステカ帝国とかの財宝や鉱山を手に入れているだろ。だから、連中は、その延長線上の北米にも巨大な金脈があることを知っていた。もっとも実際に金が発見されるのは、それから百年近くも後の一八四九年のゴールドラッシュになってからだけどね」「あるところにはあるもんだな」「森山さん、この車の後、私たちの背中のところにも二〇〇億円あるんですよ」「うーん、あっても、あんまり実感はないもんなんだな」
「カトリック・ジャコバイトのフント聖堂騎士団や黄金薔薇十字団の成功を見て、これに便乗してインチキ商売をやろうというやつもいたぞ。たとえば、シューマッハー」「アンハルト公国ケーテン市を追放されたオカルト牧師でしたっけ」「こいつ、フィリップ・サムエル・ローザと名を変え、五八年、かつて除名されたベルリン市のドイツ大ロッジ「三つの地球」に舞い戻った」「名前を変えただけで?」「詐欺師っていうのは、まさかと思うようなことをやるもんだよ。それにローザなんていう名前は、薔薇十字団を連想させるし」「で、何をしたんですか?」「自分はクレルモン・フェラン市の聖堂騎士団から密命を帯びてやってきた、しかるべきカネを出すなら、おまえらを騎士団に入れてやらぬでもない、ってさ」「クレルモン・フェラン市って?」「南仏リヨンの西百キロくらいのところの街だな」「そんなところに聖堂騎士団が残っていたんですか?」「クレルモン・フェラン市は、一〇九五年、第一回十字軍の呼びかけ地だ。だから、当時、たしかに聖堂騎士団の拠点があったが、一三〇七年の迫害で聖堂騎士団自体がフランスでは全滅している。ただ、スペインやポルトガルでは存続していたから、イエズス会同様、フランス・ブルボン家のスペイン奪取で、自称残党がフランスに戻ってきた可能性はないではない」
「でも、しょせんシューマッハーだろ」「まず、完全なウソでしょうね」「ところが、ベルリン大ロッジより上位チャプターで、厳格戒律会聖堂騎士団より歴史的な辻褄が合っている、って、これはこれで人気になった」「ベルリン大ロッジのフリードリッヒ二世「大王」は、ほっておいたんですか?」「七年戦争でそれどころじゃなかったんじゃないだろうか」「そういうスキを狙って、火事場泥棒みたいに、こういう詐欺師が入りこむんだろ」「ただの詐欺師じゃないのかもしれない。シューマッハーは、もとはカルヴァン派の牧師だ。大ブリテンがプロシアと組むに当たってベルリンに送り込んだ諜報員だったのかも」「となると、いかにも詐欺師というのが、敵を油断させる仮の姿だった?」「そんなこと、ないだろ」
「さらにもう一人、ロイヒテもいるぞ」「チューリンゲン出身で、錬金術師ヨンソンとか、ベネディクト会士カシミール神父に身をやつすスチュワート朝王位継承者スタニフルスト伯とか言っていた人ですね」「ストラスブール市からマルセイユ港に移送中に逃げ出したんだろ」「そいつ、いつのまにか自称ヨンセン男爵になって、またこのあたりに戻ってきた。そして、七年戦争中の五七年、例の賢者の石の話で騙して、弱小名家のアンハルト公の秘書官になってしまった」「騙される方も騙される方だな」「さらに、翌五八年には、プロシア王国のハレ市やワイマール公国で、自分は上位の聖堂騎士団員をスカウトしに来た、って」「新大陸をめざすカトリック・ジャコバイト系のフントの厳格騎士団、プロシアの動向を伺う新教徒系のローザのクレルモン騎士団、そして、それらに続く三つ目のニセモノ騎士団だな。こいつも、どうせ昇会金集めが目的だろ」
「いや、どうも違うらしい。ハレ市やイェナ市は大学街で、自称ヨンセン男爵は小金持ちの名士たちではなく、ドイツの分断状況に不満を持っている、若くて屈強で先鋭的な学生たちを集めて、武装民兵団を組織し始めた」「そう言えば、ヨンセン男爵ことロイヒテって、不名誉除隊になったとはいえ、もともとザクセン選帝公国の銃騎兵だよな」「つまり、ほんとうに近代の騎士団を作ろうとしていたということですか?」「まさか。これまで、ずっと詐欺ばかりやってきた男だぜ」「でも、それまでに騙してきた相手は、いつも貴族や僧侶だ。もともとアンシャン・レジーム(旧体制)に強い不満を持っていたのかもしれない」「じゃあ、ヨンセン騎士団は、フント騎士団に対抗して義勇軍としてプロシア側に付いて、反カトリックで戦うつもりだったのか?」「いや、カトリック守旧勢力でも、プロシア新興勢力でもない、第三の共和主義勢力。むしろ彼が目指していたのは、市民革命だろう」
「フント男爵のカトリック・ジャコバイトの厳格戒律会と、偽ローザのプロシア主義のクレルモン・システム、それに偽ヨンセン男爵の市民革命主義の武装民兵団の三つの新聖堂騎士団の中で、結局、どれがチューリンゲンの諸ロッジを傘下に収めたんだ?」「新大陸移住計画の厳格戒律会だよ。まさに中世の十字軍と同じだ」「じゃあ、それに付き従って、みんな新大陸をめざした?」「いや、それ以前に、七年戦争とともに、新大陸の受け入れ側に問題が生じていたんだ。新大陸では、アパラチア山脈より東岸が大ブリテン植民地、中西部はフランス植民地ということになっていたのに、七年戦争のころには、東岸南部のヴァージニア州の連中は、すでにアパラチア山脈の西側、ウェストヴァージニア州やオハイオ州にまで進出していった。それで、フランスはそれを排除しようとした。ところが、ジョージ・ワシントンをはじめとするヴァージニア州の連中はそれを逆恨みして、過激な民兵団を組織し、フランス人植民地を襲撃して女子供まで住民を皆殺し。それで大ブリテンの正規軍まで呼び込んで、とともにカナダまで分捕ってしまった。おまけに、ペンシルヴァニア州とニュージャージー州の間のデラウェア州、南部のヴァージニア州・ノースカロロライナ州・サウスカロライナ州・ジョージア州でも国境争い。それぞれの州の中でも、大領主たちが農園の移民労働者たちを巻き込んで、勢力争いだ」「カトリック・ジャコバイトの新王国ができるとなれば、大量の新貴族ですものね。いまのうちにできるだけ拡大しておきたい、というのも当然ですよね」
「そうそう、ヨーロッパの七年戦争の方は、どうなったんだ?」「初戦は、プロシアとハノーファーが東西から、間のザクセンを攻め落とした。だけど、フランスはオーストリアと対抗するために昔からその東のロシアと親密で、外交革命でオーストリアがそのフランスと繋がったために、シレジアやザクセンを取ったプロシアとハノーファーは、東のロシア、南のオーストリア、西のフランスの三方から攻められることになってしまった」「それじゃもう、守旧勢力の皇帝教皇連合の圧勝でしょう」「ところが、プロシアの「大王」フリードリッヒ二世はいつも運がいい。ロシアの女帝が死んで、オーストリアは背後からオスマン・トルコに脅かされ、フランスは新大陸で大ブリテン植民地民兵軍にボロ負けしてしまった。それで、六三年には、プロシアのシレジア領有が認められることになった。みんなまた、くたびれ損だ」
「戦後は?」「ベルリンを拠点とするローザ新興騎士団が、プロシアの勝利とともに勢力を拡大してきたが、これをチューリンゲンのヨンセン市民騎士団が叩き潰し、さらに負け組側のザクセン・ドレスデン市を拠点とするフント守旧騎士団に合併を持ちかけた」「でも、そりゃムリだろう。不満高学歴富裕市民と、カトリック・ジャコバイトみたいな没落階層では、水と油だ」「でも、フント騎士団は、もともと守旧没落階層が不満高学歴富裕市民から新大陸新国家建設の新規出資を募る、という矛盾を抱えていたんだ。おまけに、七年戦争に負けて、新大陸大移民計画のフント騎士団に出資した富裕市民の側は、名ばかりの王侯貴族だの、権威だけのイエズス会だのは、結局、なんの役にも立たない、と、よけいに不満を募らせていた」「もともとフント騎士団の方が無理筋だったわけか」
「時代の趨勢は、もはやヨンセン市民騎士団の方に向いていた。それで、ドイツ諸メイソンロッジのヨンセン市民騎士団傘下への統合を決議すべく、六四年、ゴーダ公国、ゴータ市の南十五キロほど、チューリンゲンの森の麓のアルテンベルゲン村でドイツ・メイソン大会が開かれた」「なんでそんなヘンピなところで?」「ボニファティウスが八世紀に建てたとされる巨大な燭台石塔があったからだよ」「メイソンにはふさわしいですね」「で、話はうまくまとまったのか?」「いや。フント男爵は、落ちぶれたとはいえ、ホンモノの貴族だ。ヨンセン男爵ことロイヒテの卑しい素性や過去の悪行の数々を暴き立て、西のはずれのヴァルトブルク城の地下牢で獄死させた」「フント男爵からすれば、ヨンセン騎士団なんて身の程知らずの反逆者ということだったんでしょうね」「そして、フント男爵は、逆にむしろヨンセン市民騎士団やその系列ロッジ、さらにはヨンセンが潰したベルリンのローザ新興騎士団やその系列ロッジまで自分の守旧騎士団の傘下に吸収してしまった」「つまり、ドイツのメイソンは、プロシア支配下の諸ロッジまで含めて、カトリック・ジャコバイトのフント男爵の下に統一された、ということか」
新大陸のジャコバイト新国家構想
「でも、なんでみんなカトリック・ジャコバイトなんかの傘下に? 勝利者のプロシアの「大王」フリードリッヒ二世も、それを認めたのか?」「じつは、ここで大物の仲介者が出て来たんだ。マルタ騎士団の第六八代大統領ピント」「ついにホンモノの登場か」「マルタ騎士団って、中世十字軍時代からの救院騎士団ですよね」「そう。七年戦争は、カトリック包囲網と新興国プロシアの戦いだった。しかし、プロシアも、もとをたどれば、ほんものの中世の聖堂騎士団だろ。それで、もうひとつの十字軍時代の騎士団が、プロシアの「大王」フリードリッヒ二世に、エキュメニズム(世界教会主義)として、両団の再統一を呼びかけたんだ」「なんのために?」「新たな十字軍だよ。つまり、新大陸だ」「でも、新大陸は、内部での州争い、領地争いで、もうこれ以上、ヨーロッパの富裕市民や没落貴族が入り込む余地なんかなかっただろ」「ところが、そうでもなかったんだ。大ブリテンは、アパラチア山脈を越えた。その向こうには、広大な西部が広がっている。「インディアン」という異教徒を征服すれば、そこはまさに「約束の地」だ」
「だけど、そこは、フランスの植民地でしょ」「マルタ騎士団大統領ピントの構想は、むしろまさにフランスが鍵なんだ。すでに六五年にオーストリア・ハプスブルク家の皇帝フランツ一世も亡くなり、後を継いだのは二四歳のヨーゼフ二世。あいかわらず、かろうじて母親の女大公マリアテレジアでもっているような状態だった。一方、フランス王も、ルイ十五世は相次ぐ敗戦。このままでは、新興国プロシアを前に、カトリック側は共倒れだ。そこで、一七七〇年、フランス・ブルボン家の王太子ルイ十六世は、オーストリア・ハプスブルク家から皇女マリーアントワネットを娶った。すでに一七〇一年のスペイン継承戦争でイベリア半島も手中に収めていたから、これでブルボン家は、名実ともに大シャルルの時代の大フランク帝国以上の権勢を取り戻したことになる」「つまり、次のルイ十六世が神聖ローマ皇帝になって、新大陸にジャコバイト王国の新設を認める可能性もあったということですね」「そこに、対インディアンの新十字軍として、かつての聖堂騎士団と救院騎士団が乗り込む、という計画か」
「実際、大ブリテンは、新大陸の維持防衛に苦慮していた。北はカナダから、南はフロリダまで、西はミシシッピー川まで、ろくに人もいない、まだなんの収益もない広大な領土を守るなんて、費用対効果があまりに悪すぎる。得をするのは、ひたすら農園を拡大していく植民地の名士だけ。だから、その費用は自分たちで捻出しろ、というわけで、六五年に新大陸にスタンプ税を課した」「スタンプ税って?」「書類がホンモノであることを公認する政府の有料スタンプだよ。さまざまな契約書はもちろん、新聞や雑誌、トランプまで、それを押してもらっていないと法的に無効とされた」「契約や出版を政府が法的に保護する以上は、相応の税金を払え、ということか」「でも、これがまたまずかった。法的に保護してやるなんて言えるほど、大ブリテンの行政機関は新大陸植民地には無かった」「スタンプ税なんて言わずに、いっそヤクザみたいに、はっきり軍事みかじめ料って言った方がましでしたね」
「そもそも、一二一五年の『マグナカルタ』以来、課税は議会承認が必要だということになっていたんだが、新大陸にスタンプ税を作った大ブリテン議会には新大陸諸州の代表は入っていなかった。代表無くして課税無し、というやつだ。おまけに、そもそも東岸中部のニュージャージー州などは、あいかわらずカトリック・ジャコバイトの僭称王チャールズ三世を担いでいたわけで、七年戦争での大ブリテンとの同盟国ではあっても、大ブリテンに課税される大ブリテンの領土じゃない、と思っていた」「ややこしいな。新大陸植民地の方はフランスにいるイングランド・スコットランド王を王としていて、大ブリテン本国はドイツ人のハノーファー選帝公を王としていた。それで、いくら大ブリテンの正規軍が駐留しているからとはいえ、新大陸植民地まで、ドイツ人ハノーファー選帝公の直接課税権限が及ぶのか、おおいに疑問だ、というわけか」「在日米軍が日本に直接に課税徴収するような話だったんでしょうかね」
「面倒くさいことに、このころ大ブリテンは、ほかでも勝ちすぎていた。話は、ジンギス・カンにまで戻るんだけどね」「モンゴル帝国ですか。千二百年ごろですよねぇ」「十字軍と同時代だな」「そう、あの時代、東洋と西洋が両側から中近東に押しかけて、イスラム帝国の繁栄の遺産の掠奪をやったんだ。だけど、問題は、その後。ヨーロッパは、オスマン朝トルコに押し戻されてしまったけれど、モンゴルの方はむしろ東から中国の明朝に追いやられて南下し、イランやインドに住み着いてしまった。これが、ティムール朝やムガール帝国」「ああ、ムガールってモンゴルのことだもんな。でも、それが、なんで新大陸と結びつくんだ?」「東インド会社は、あくまでムガール帝国との国策貿易会社だったんだよ。ところが、十八世紀の半ばになると、地方太守たちが中央から離反して混乱に陥っていったんだ。こんな状況じゃ貿易もできないって、東インド会社自体が自前の武装でインドの内乱に突っ込んでいき、ヨーロッパの七年戦争と呼応する一七五七年のプラッシーの戦いに勝って、インド東側のベンガル湾一帯の事実上の一大太守になってしまった」「つまり、植民地直轄化だな。それの方が話が簡単だったんじゃないのか?」「とんでもない。商品しか扱ったことのなかった貿易会社が、現地人の面倒をみなければならなくなったんだぞ。ただでさえ昔から人口過剰なインドだ。おまけに一七七〇年には人口の三割が餓死するほどの大飢饉。それで、中国茶を新大陸で安く売って、少しでもどうにかしようとしたんだが、新大陸の連中は、それにすら反発した」「新大陸の人々は、地球の裏側のインドの大飢饉なんて、考えたこともなかったでしょうね」
「フランスだって、そんなに悠長な状況じゃなかった」「例のサロンの都市貴族たちか」「新大陸植民地を失い、ヨーロッパで負けた。新大陸貿易に期待していた富裕市民たちは、その怒りの矛先をルイ十五世の取り巻きのイエズス会に向けたんだ。都市貴族は、反王権だったが、それ以上にガリカニズム(フランス中心主義)の反カトリックだった。一方、国王の周辺はイエズス会で、ウルトラモンタニズム、つまり、ローマ中心主義。プロシアとフランス・オーストリアが合同で新大陸の新十字軍を起こすということになると、教皇の手先のイエズス会はジャマだった。それで、ルイ十五世も、イエズス会を国外追放」「となると、ブルボン家スペインからも追い出されたということ?」「系列のナポリ王国やシチリア王国からもだ」「イエズス会士は、みんなローマに引き上げた?」「いやいや、ローマだって、二万四千人も面倒をみきれないよ。それで、教皇クレメンス十四世も、一七七三年、ついにイエズス会解散という苦渋の選択をせざるをえなかった」「教皇みずから、親衛隊のイエズス会を見捨てたということですか?」「イエズス会は、教皇の威を借りて、貿易商社としての自分たちの勢力を拡大しようとしていただけで、むしろ実際は教皇さえも支配していたからさ」「でも、解散を命令したって、いなくなるような連中じゃないだろう?」「そう。ヨーロッパ中のイエズス会の修道院や学校は無くなったが、彼らはいよいよ田舎大学や秘密結社に潜り込んだ」「そうやって、水面下に潜ると、かえって面倒になりそうな人たちですよね」
「それと、もうひとつ、フランスで後始末に困っていたのが、大政翼賛の「フランス国民大ロッジ」。第五代大統領のクレモン公ルイは、七年戦争でハノーファー攻略軍の指揮を執ったが大敗し、サンジェルマン修道院内に政治的に引退させられてしまう。それで、もともと反王権反カトリックだった都市貴族たちは、王室財宝官ランジェ侯シャルルピエールポールを中心にメイソンの再構築を図った」「バルザックの小説に『ランジェ公爵夫人』っていう作品がありますよね」「ああ、オルレアン家の王政復古のころに書かれたものだな。旦那がオカルトマニアのメイソンで、それで浮気した、っていう話だな」「でも、公爵じゃなくてほんとうは侯爵で、ただのメイソンの一員というだけでなくて、かなりの大物だったんだな」「ああ、王室財宝官は、フランスでも最高位の官僚の一人だ」「ルイ十四世以来の国庫破綻の状況で、錬金術かなにかに頼りたくなるのもわからないではないですよね」「オカルトだの、錬金術だの、そんなものでどうにかなる程度の王室債務じゃないよ。フランスを存続させるためには、もっとウルトラCの秘策を必要していた」「というと?」「彼は、クレルモン公に代わって、すでに一七七一年にメイソンロッジ「レザミ・レユニ」を創設している」「再結の友?」「マルタ騎士団大統領ピントのエキュメニズム(世界教会主義)構想だ。聖堂騎士団と救院騎士団、つまり、プロシアとフランスを和解させ、新大陸新十字軍を起こす。新大陸の財宝が手に入れば、王室債務も解決する」
「新大陸の財宝って、インディアンの?」「インディアンはインディアンだが、本命は南米なんだ。エルドラド市、黄金郷だよ」「そんなの、伝説だろ?」「でも、当時の地図には、しっかり場所まで描かれていた」「どういうことですか?」「フランスは、一六〇四年からブラジルの北岸に探検植民地を持っている。いまの仏領ギアナ」「映画でパピヨンが入れられてしまった牢獄の悪魔島のあるところですね」「悪魔島なんていう名前も、エルドラド市に外国人を近づけないための脅しかもな」「近づけないって言っても、どこにあるか、わかないんでしょ?」「いや、このあたり、イエズス会が布教名目で入り込み、原住民から多くの情報を収集していた」「そのイエズス会に代わって、かつての聖堂騎士団と救院騎士団が南米に勢力を拡大しようというわけか」「イエズス会の話だと、仏領ギアナの内陸高地に巨大なパリメ湖というのがあって、その湖畔にエルドラド市がある、とされていた」「パリメ湖?」「位置からすれば、今のボアビスタ市の周辺なんだが、そんなところに湖は無い。湖が無いから、湖畔のエルドラド市も見つからない」「じゃ、まるっきりのデマ?」「そうでもないんだ。十三世紀くらいまではパリメ湖はたしかにあった。ただ、その後の数百年で干上がってしまった。それで、どこが湖畔だか、わからない」「干上がっていった湖の湖畔なんて、その全部と同じことだろ」「そんなもの、探しに行こうとしていたんですか……」
「ただ、その前に、問題が生じた」「合併相手の、フント男爵のカトリック・ジャコバイトの厳格戒律会聖堂騎士団の方か?」「いや、それは、もはやドイツでは国家以上の圧倒的な独占勢力になっていた。けれども、その代償として、一七七二年のコーロ市でのメイソン大会で、五十歳のフント男爵は、プロシア「大王」フリードリッヒ二世の義弟、三七歳のブラウンシュヴァイク侯フェルディナントに「第七管区総帥」の地位を譲らなければならなかった」「フランス側のレザミ・レユニのトップが大物官僚の王室財宝官なのに、ドイツ側のトップが没落貴族の男爵じゃ、かっこうがつかないもんなぁ」「でも、大王の義弟となると、新聖堂騎士団もザクセン選帝公国主導からプロシア選帝王国主導になったということですか?」「そういうことだな」
「あれ? プロシアは、七年戦争以来、ハノーファー・大ブリテンと同盟関係ですよね。でも、新十字軍は、フランスとともに新大陸にカトリック・ジャコバイトの新王国を建てる気だったんでしょ?」「新大陸の方も状況が変わったんだ。大ブリテンにもっとも強く反発したのは、東岸北部の清教徒のマサチューセッツ州だった」「だって、アパラチア山脈以西の権益なんて、アパラチア山脈より北のマサチューセッツ州には関係ないもんな。そんなものを守るための軍事維持費を負担させられたんじゃ、怒るのも当然だ」「それで一七七三年末のボストン茶会事件が起きるんですよね」「でも、マサチューセッツ州の清教徒って、潔癖主義で宗教的寛容性もなにもあったもんじゃない。それで、むしろカトリック・ジャコバイトの新王国を計画していた東岸中部の方が、大ブリテンとともに独立運動を鎮圧する側に回ってしまったんだよ」
大オリエント社
「マルタ騎士団大統領のピント構想は?」「御破算さ。ドイツの新聖堂騎士団が大ブリテン側に付いたとなると、フランスのレザミ・レユニは話に乗れない」「じゃあ、エルドラド十字軍も?」「いや。マルタ騎士団大統領ピントが、別の財宝話を持ち込んだんだ。おりしも、七年戦争でフランスは敗北し、これまでも失敗続きだったフランス東インド会社の最終的清算となり、七三年の貿易商社イエズス会の解散もあって、インド貿易は自由化された。それで、ランジェ侯爵は、ギヨタン医師やビュフォン伯爵とともに、同年、「フランス大オリエント社(GOdF)」を興したんだ」「ギヨタンって、後の例のギロチンの発明者だろ?」「そのことでやたら有名だが、元イエズス会士で、当時、政府の科学顧問のような立場だった」「ビュフォン伯爵は、たしか博物学者ですよね」「百科全書派の生き残りの大御所だな」
「でも、大オリエント社を作った、って、どこに?」「ビュフォン伯爵が当時、王立植物園園長だったんだ。それで、ここが自然誌研究の牙城だった」「王立植物園って、一六〇〇年ちょうどにメディチ家から嫁いできたアンリ四世王妃が薬草園としてパリ市の南側に作ったんですよね」「いまは国立自然誌ミュージアムになっているな」「で、大オリエント社って、メイソン? 貿易商社?」「地位としてはフランス各地のロッジを束ねるメイソン大ロッジだが、実質は、南海バブル期のタンサン女男爵サロンと同様、貿易投資ファンドだっただろうね」「でも、インドは混乱していで、大ブリテンの東インド会社も手に負えない状況だったんでしょ。そんなところに、ただでさえ大ブリテンに敗退したフランスが民間貿易投資をして、どうにかなるような見込みがあったんですか?」「これまた、マルタ騎士団ならではの秘策があったんだよ」「?」
「エジプトだ。大航海時代以来、南北アメリカ大陸や、アジア・インドには、イエズス会や東インド会社としてヨーロッパ勢力がさかんに進出していたが、中近東は、敵対するオスマン朝トルコによって、ヨーロッパにとってはまったくの情報空白地帯だった。まして、エジプトのカイロ市は、オスマン朝トルコにとって首都イスタンブールに次ぐ大都市で、地中海とインド洋を繫ぐ交通と貿易の要衝として強固な城塞が築かれており、外国人が入り込めるようなところじゃなかった」「意外な盲点だな」「つまり、大オリエント社は、面倒なインドではなく、エジプトにフランス植民地を作って、今のスエズ運河のように地中海からインド洋に抜け、アジア貿易を展開する、というわけですね」
「ちょうど、ジェームズ・ブルースというスコットランド人ワイン貿易商が、スペインを訪れた際に、イベリア半島に残されていたアラビア文献に関心を持ち、一七六三年、大ブリテン・アルジェ領事館に職を得、自分のため、また、偽装のために、医学も学んで、六八年には医者としてエジプトのアレキサンドリア市に入り、ナイル源流まで探検する。そして、七三年にパリ市に戻り、大オリエント社の博物学者ビュフォン伯爵ら知識人たちの歓迎を受けているんだ。ところが、母国の大ブリテンでは、彼が出版したエジプト探検記は、南海バブル期の一七二六年にスウィフトが書いた『ガリバー旅行記』並みのホラ話としてバカにされた」「そんな仕打ちを受けたら、歓迎してくれたフランスの方に協力しようと思うでしょうね」「それで、エジプト十字軍か」「そっちの方が、マルタ騎士団らしいですね。プロシアも関係ないですし」「でも、プロシア抜きにフランス単独でやるとなると、資金的にも容易じゃないだろ」
「そこで、ランジェ侯は、七三年十月、まだ二六歳のオルレアン「平等」公ルイフィリップ二世を大オリエント社の大統領に担ぎ挙げた」「当時はまだ父親がオルレアン公で、彼はまだシャルル公だろ。「平等(エガリテ)」というのも、世間の通称じゃなくて、彼が革命の後に自分で勝手に公爵の肩書の代わりに使ったものだよ」「オルレアン公家って、「太陽王」ルイ十四世の弟の家系で、摂政とかやってますよね」「資金源になるほど金持ちだったのか?」「フランス国土の5%はオルレアン公家のものだ。国王と違って、公費支出が無いのだから、相当に余裕があるはずだった」「はずだった?」「王妃マリーアントワネットを目の敵にしていたが、オルレアン「平等」公も、負けず劣らずの奢侈好きで、すでに借金まみれ」「彼にカネを貸したのは?」「フランス各市の都市貴族。オルレアン公の領地税収が担保なんだから、取りっぱぐれが無い」「つまり、オルレアン公家は、王族ながら、すでに都市貴族の側に取り込まれてしまっていたというわけですね」
「本人は野心家で、都市貴族の代表かなにかだと思っていたらしいよ。それに、彼の奢侈生活も、大オリエント社も、オルレアン公家で賄える状況じゃなかった。それで、ユダヤ人金融業者から借金」「十字軍の資金をユダヤ人に借りた?」「オスマン朝トルコから中東を取り返すことには、連中も異存は無いだろ。ただ、そのせいで、大オリエント社の方向を大きく変えることになった」「?」「メイソンの起源は、もっと古いギリシアやユダヤ、エジプトだ、とされた」「その話の方が、政治状況のややこしい聖堂騎士団より面倒が少なそうだ」「そのために、大オリエント社はドパスカリのユダヤ教的なエリュ・コーエン(選良司祭団)の思想も取り込んだ。さらに、マルタ騎士団から妙な男が送られてきて、メイソンのエジプト起源説を説明し、大ブリテンのロンドン市などからも大オリエント社への出資を募ったんだ」「だれ、それ?」「シチリア島生まれのユダヤ人、バルサモ。通称、カリオストロ伯爵。マルタ騎士団大統領のピントが作ったマルタ大学で教育を受け、エジプト十字軍、つまり、大オリエント社のために、ヨーロッパ中を駆け回っていた」
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)