「原因と結果の法則」は純粋な人ほど痛い目を見ます(写真:MaCC / PIXTA)

「原因を突き止め、それを除去すれば結果は変わる」

問題に直面したときに誰もが考えつくことです。こうした「原因と結果の法則」的な思考パターンはわかりやすく、また特定の分野やジャンルに縛られない汎用性があり、ビジネスから経済学、工学まで、さまざまな問題解決法の基礎となってきました。


しかし、そうした思考法で解決できない問題も多々あります。たとえば、鶏と卵の関係のように、原因と結果がループしている場合。しかもその悪循環の中に自分自身が巻き込まれている場合は、問題はさらに複雑になります。

もしかしたら、「ビジネス書を読んでもいっこうに成果が出ないなあ」と感じている人は、まさにそうした問題の渦中にいるのかもしれません。

自己啓発書があなたを陥れる

少なくない自己啓発書が、理想の自分になれない根本原因を自分(の性格なり能力なり)にあると示唆しています。つまり、「自分を変えれば世界が変わる」と。

問題解決の観点から見れば、私は、そうした教えは実際的な問題解決を回避させるばかりか、無駄な努力を誘発させるデマゴギーであるとさえ考えています。

「自分」を変えることで何らかの成果を得ようとすることは、たとえるなら、スピードメーターの針を動かして自動車を加速させるようなもので、因果の向きの捉え方が逆さまになっています。


純粋な人ほどこのことに気づかず、変えられないことにエネルギーを投下して成果が得られないばかりか、その失敗までも自分に原因を求めることになりがちです。

これが高じて、努力が自己否定につながり、さらなる努力を要求するループに入り込むと、自分を責め苛むことが続き、問題に巻き込まれた当人の精神的健康まで悪化させることになります。

悪循環にくさびを打ち込む

拙著『問題解決大全』では、全37のうちの11の問題解決法を、「原因と結果の悪循環」への対処法として解説しています。

たとえば、拙著で最後に紹介している毒をもって毒を制す手法「症状処方」。その方法とは「取り除きたい問題(症状)をあえて促す」こと。

たとえば、手の震えを止めたいという人に、あえて手を震わすように指示するような方法です。アホらしいと思うかもしれませんが、これで手の震えが止まる人もいるのです。

以下に、この手法で問題が解決した実例を紹介しましょう。

実例:ギャンブル狂の息子にギャンブルを習う


最初は厳しすぎる親への反発からギャンブルに走った息子は、今ではギャンブルという問題行動を続けることだけが、親からの関心を引く方法になっていました。

家族療法家は、息子にギャンブルの道を極め、それで生計を立てるよう指示し、親にも息子がこの道に進めるよう十分に支援するように指示しました。

しかも、「その道の先達である息子から、週に2回、ギャンブルの手ほどきを受けるように」と指示し、息子には「君はこの道で食べていくプロなのだから、その指導料をちゃんと親から徴収するように」と念を押しました。

結局、この指示は守られませんでした。親子とも家族療法家の指示には疑問と反発を感じていたが、より強く抵抗を示していた息子のほうが先に音を上げたのです。

「こんなこと、やってられない」。親はもはや自分の悪行を引き止める役割を果たさず、それどころか、ギャンブルを教わるというのだから、もはやギャンブルを続ける意味はありません。

根本原因の削除は必要ない

なぜギャンブル狂の息子とその家族の悪循環は変化し、別の循環がつくられたのでしょうか?


その謎を解くキーワードが「ダブルバインド」です。

ダブルバインドは、従うことも、従わないこともできないような命令です。

たとえば「自発的に勉強しろ」という指示は、それに従って勉強すれば「自発的に」という部分に反し、かといって逆らって勉強しなければ当然「勉強しろ」という部分に反してしまう。

精神科医ミルトン・エリクソンは、同様のねじれて従うことも、従わないこともできないような命令を、治療目的に用いました。

たとえば、手の震えを止めたい人に「自発的に症状を出してください」といった指示の形を取るのです。

もし指示に従い手を震わせることができれば、それは「自発的に」という部分に反します。もし手を震わせることができなければ、この場合も「症状を出せ」という部分に反します。

いずれにせよ従うことができないのは、単なるダブルバインドと同じですが、その指示に従えないことが、指示された者にとって望ましい結果となる点が異なります。

「症状を出せ」という指示に従えない場合、問題の症状はなくなっていることになります。

では、本当に症状を出すことができた場合はどうか。そのときは、今まで自分の意思でコントロールできなかった症状をコントロールできたことになります。しかもそれは、「あってはならないもの」をコントロールしようとして悪循環を始めたあの努力と、正反対のものとなっています。


指示に対して相手が意識的または無意識的に抵抗する場合を織り込み済みである点も特徴です。つまり、指示・命令に抵抗しようとすれば、その指示に従わないことになりますが、その結果、症状は出せなくなります。

問題の根本原因を削除しようとしなくても、問題に対する認知を変えることで、悪循環に変化をもたらし、間接的に問題を解決しているのです。

問題解決法は無限にある

ご紹介した「症状処方」は数ある問題解決法の一つです。

私は「これこそが最強の問題解決法だ!」など言う気はさらさらありません。そんなことを言っている本や人の話を鵜呑みにするような純粋な人は、遅かれ早かれ、直面している問題をさらにこじらせ、悪循環の渦中に放り込まれることになるでしょう。


問題解決法は汎用的であることを目指しはするものの、決して完全でも万能でもありません。全知でも全能でもない有限の存在である私たちにとって、あらゆる問題を想定し、解決策をあらかじめ用意しておくことは不可能です。

しかし、問題には原因と結果のギャップから生じるもの、問題解決者自体が原因と結果の悪循環に組み込まれているもの、という2パターンがあること、そしてそれぞれについての解決法を知ることで、ほぼ無限に問題に対処することも可能です。

なぜなら、問題解決法はそれぞれを単独で用いることも、組み合わせて新たな解決法を自分で生み出すこともできるからです。