【日本人が知らないニッポン】おんな城主を育てた「幼年学校」龍潭寺
2017年のNHK大河ドラマは、『おんな城主直虎』という作品です。
井伊直虎という人物は、最近ではゲームの影響で有名になっているとはいえ、そもそもは地元の人でもあまり知らなかったマイナーな存在でした。それは一次史料が少ない上、井伊氏が政権の中核に位置していた江戸時代は「女性が城主を務めていた」ということが忘れ去られていたからです。
実際は直虎以外にも、お田鶴の方やおつやの方といった「おんな城主」が東海道の拠点を守っていました。江戸時代は男尊女卑の発想が根強い朱子学が普及したため、直虎の功績が風化してしまったということです。
そんな直虎が命がけで守った井伊谷を、少し覗いてみましょう。
・武将を育成した寺社勢力
浜松市引佐町井伊谷にある龍潭寺は、井伊氏の菩提寺としてその存在感を示してきました。
ドラマでも、この龍潭寺で幼少期の直虎が学問に打ち込むシーンが出てきます。ヨーロッパの王侯貴族の子息は、家に毎日やって来る家庭教師から授業を受けていましたが、日本の場合は寺に通います。戦国期に来日した宣教師ルイス・フロイスも、教育機関としての寺の役割を記録しています。
寺で学ぶことは、多岐に渡ります。読み書きは当然ですが、そのための参考書として歴史書を使います。たとえば、司馬遷の『史記』の一節をお坊さんが読み上げてそれを生徒が書き取るといった具合です。これは文字を覚えるだけでなく、海外の歴史や軍略を学習できるという効果も生みます。
・戦国は「男女平等社会」
徳川家康が駿府にある臨済寺で勉学に励んでいたという記事は、すでに配信しました。
この時代の寺社勢力は、常に地元の領主とともにありました。織田信長が頭角を現す以前の日本は、お坊さんが国全体を牛耳っていたと言っても過言ではありません。
そもそも、戦国時代のお坊さんは「軍人」でした。ドラマの中でも龍潭寺の僧侶が武芸の稽古をする場面が出てきます。寺はまさに陸軍幼年学校みたいな施設と表現すべきで、しかも女子も入学可能でした。
戦国期の日本は、男女格差があまりなかったと言うべきでしょう。やはりNHKで放映されている英国ドラマ『ダウントン・アビー』は20世紀初頭が舞台ですが、当時のイギリスでは女性が家の財産を相続することはできませんでした。議会制民主主義発祥の国は、決して女性に寛容ではなかったのです。
それとは対照的に、日本の戦国期は「女性の力」が発揮された時代でもありました。
・井伊氏の「役割」
直虎を含む井伊氏歴代当主の墓は、龍潭寺の敷地内にあります。
井伊氏は「東海道の裏道」として知られる本坂通の番人として君臨していました。じつは東海道は、15世紀末から100年以上もの間機能不全を起こしていました。その理由については別の機会に説明したいと思いますが、不便になった東海道の代わりとして浜名湖を迂回する本坂通が活用されたのです。
ですが井伊谷が交通の要所であるからこそ、幾度も戦乱に巻き込まれてしまいました。そしてその度に後継者の男子を失うという悲劇に見舞われています。
直虎は、その只中で城主になった女性です。そうしたことを踏まえて鑑賞する大河ドラマは、より面白くなるでしょう。
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