大阪桐蔭高等学校 根尾 昂選手「投手としてはチームに勢いを、打者としてはチャンスを作り、還せる選手になりたい」
3年連続9度目の選抜出場を決めた大阪桐蔭。1人のスター候補が甲子園に登場する。その名は根尾 昂。岐阜県飛騨市出身で、小学校6年生の時には中日ドラゴンズジュニアに選抜され、2012年のNPBジュニアトーナメントに出場。その後、飛騨高山ボーイズに進み、中学生ながら最速146キロを計測し「スーパー中学生」として話題となった。
その根尾は大阪桐蔭に進学。1年夏からベンチ入りし、1年秋には投手・野手を兼任。近畿大会の智辯学園戦(試合レポート)では4番ショートとして登場し、本塁打を放ち勝利に貢献。スター選手としての階段を一歩ずつ登っている。
根尾 昂選手(大阪桐蔭高等学校)
小学校2年生から野球を始めた根尾。飛騨市立河合小では必ず部活動をしなければならない決まりがあり、野球部がなかったので根尾は陸上部とスキー部を掛け持ちしていた。「陸上部に入ったのは、小さい時から足の速さには自信があったからです。また、冬になると飛騨は雪が降るので、スキーしかやることがなかったのでスキーをずっとやっていました」
根尾は陸上で脚力を磨き、そしてジャンプの練習を繰り返すスキーで跳躍力を磨いていった。野球を始めた時から、根尾は人より速い球を投げることにこだわってきた。「速い球を投げたい、遠くへボールを投げたいという思いが今よりもずっとありました。当時は、それがどうしたら出来るかを考えて投げていたと思います」と振り返る。
投手として岐阜県でも名を知られる存在となり、小学校6年時に出場したNPB12球団ジュニアトーナメントでは、巨人ジュニア戦に先発。試合には敗れてしまったが、120キロ後半の速球を披露した。小学生で120キロ後半はなかなか投げられるものではないが、その要因を根尾は、「スキーで身につけた体軸のバランスがあったから」だという。「あの時から投球フォームのバランスを大事にしていました。バランスを大事にする考えはスキーの練習があったからだと思います。スキーの姿勢やジャンプするときに気を付けないといけないのは、体の軸が真っすぐになること。それができるための基礎練習をよくやっていましたので、それが野球につながったのかなと思います」
この考えが、投手・根尾の土台となった。中学校では飛騨高山ボーイズに所属したが、さらにその理論が深まる。「軸が真っすぐになっている投げ方になるには、猫背で投げないことです。自分にとって動きにくい形は、投球動作において妨げになりますので。猫背になると投げにくいので、僕は動きやすさと、効率良く動けるフォームと姿勢を求めていました」
飛騨高山ボーイズでは、ランニングの基礎練習や、自体重系のトレーニングが中心で、ウエイトトレーニングはしたことがなかったというが、成長期により体が大きくなったことで、根尾は驚異的なスピードを出す。中学3年生の時に最速146キロを投げたのだ。だがこのとき、根尾は速い球を投げようと思っていなかったという。「速い球を投げようというよりも、意識していたのは、軸の動きをどれだけ真っ直ぐに保ったまま投げることができるか。スピードについては体が大きくなったということもあって、いつの間にか上がっていた感じです。やはり軸がぶれたら体がうまく回りませんので」
当時の根尾は、177センチ74キロ。大型投手ではないものの、140キロ台のストレートを投げられるのは、根尾の探究心の成果だ。
高い意識をもって自身の投打を磨く根尾 昂選手(大阪桐蔭高等学校)
中学3年生の時、根尾の進路はかなり注目されたが、選んだのは大阪桐蔭だった。西谷 浩一監督が練習試合に駆けつけたことや、根尾が中学2年生の時に、夏の甲子園で優勝(2014年)をしていたことも大きかったが、何より甲子園でプレーする大阪桐蔭の選手たちの雰囲気に憧れたのだという。「グラウンドに立っている姿から他の高校と違って、存在感が違いましたし本当にかっこよかったですね。僕もこうなれるのかなと思いました」
そして大阪桐蔭に入学した根尾。1年生の時から主力メンバーに帯同。練習試合で少しだけ投げる機会があったが、「満足した投球はできなかったです」と振り返る。根尾が大きく注目を集めたのが香川県で行われた招待試合だ。小豆島戦で3回3分の2を投げ、4安打無失点、7奪三振。ストレートの最速は145キロを計測し、高校デビュー戦としては満点の投球内容を見せたが、根尾自身は満足していない。
「全然でしたね。地に足がついていなかったです。あの時はもっとできると欲を出しすぎていて、それで自分の投球ができず、もったいないと思いました」と悔やんだ根尾。そして1年夏からベンチ入りした根尾だったが、登板機会はなかった。新チームでは投手、遊撃手、外野手全般を任されるようになった。遊撃手は中学でもやっていたが外野手はこれが初めてで、外野手の動きが分からなかった。
「まず自分の思った通りにやっていたら、チームメイトから動きに無駄があると言われて。そうか、これが無駄やなと思って。落下地点までどう動くべきなのかと、周りからアドバイスをもらいながら、自分に合う形を身に付けていきました」
また遊撃手としてノックを受ける機会も増えた。捕球時に体が突っ込む癖があった根尾はコーチに、足で捕り、足で投げる感覚で守ることを教わり、だんだん突っ込む癖が少なくなっていた。投手としても、「対打者」を意識して投げるようになった。「夏まではそんな余裕がなく、『対自分』でしたが、秋になって相手の打者も見えてきましたし、相手打者の穴はどこなのかと考えてできるようになったと思います」
投手としても野手としても、自分の課題を明確にして練習に取り組んだ根尾。迎えた秋季大会ではインパクトある活躍を見せる。10月1日、秋季大会4回戦の大阪偕星学園戦で代打として登場した根尾は、試合を決める本塁打を放つ。それも左中間へ運ぶ技ありの一打だった。「あの時はアウトハイの真っすぐですね。大阪桐蔭に来てしっかりと振り切ることを教わり、だんだん長打力が出てきました。左中間への本塁打は練習では打っていたんですが、公式戦では初めてでした」
準々決勝の北野戦に先発し、7回2安打9奪三振、無失点の快投を披露。球速も最速144キロを計測し、4強入りに貢献した。そして近畿大会に出場した大阪桐蔭。根尾は準々決勝の智辯学園戦に4番ショートで先発出場。4番起用について、西谷 浩一監督は「選抜がかかった大事な試合ですが、彼の物怖じしない性格、積極性にかけて起用しました」
根尾も4番起用に喜びの声をあげた。「もう『よっしゃー!』と思いましたね。『本当かよ!』という驚きは僕にはなかったです」
目指す選手像根尾 昂選手(大阪桐蔭高等学校)
そして根尾はこの試合で非凡な活躍をみせる。7回表、バックスクリーンへ本塁打。さらに遊撃守備でも魅せる。7回裏、6対1で大阪桐蔭がリードしていたが、一死満塁のピンチで2番加堂 陽介が三遊間を襲う鋭い打球を放つ。根尾はこの打球を横っ飛びで止めるやいなや、体を反転させ、二塁へスロー。
二塁走者がアウトになり1点を入れられたが、これがもしヒットになっていたら更に点が入っていた可能性があり、チームのピンチを阻止するファインプレーだった。このプレーについて西谷監督も「大きかったですし、まだ遊撃手としては粗削りですが、根尾の身体能力の高さが出たプレー」と絶賛する守備だった。根尾の攻守にわたる活躍で準決勝に進出した大阪桐蔭は、選抜出場へ向け大きく前進した。だが、近畿大会の内容にも根尾は満足いっていない。「次の神戸国際大附戦(試合レポート)では無安打(2打数0安打)でしたし、この近畿大会はうまくいかかなかったことが多かったですね」
秋が終わって、根尾は体作りに励んだ。「動きにくい体にしたくないです。動いて走って柔軟をして、野球に通用する体にしなければなりません」
打撃については、本人が大事にする軸を崩されて打たされることがあった。そのため打撃フォームの確立がカギとなった。「自分自身、この打法が打てると思っていたんですけど、周りから『それだと崩されるよ』といわれて、実際にビデオ見てみるとそう思いました」
自分自身のレベルアップのために、周囲のアドバイスにもしっかりと耳を傾けている。そして、昨秋の公式戦後の紅白戦で根尾は最速148キロを計測。この1年で根尾の投打はますます凄みが増していった。
1月27日、センバツ出場が決まり、3月19日の開幕に向かう根尾。今後、どんな選手になっていきたいのだろうか。「チームに勢いを与えられる投手になりたいですね。無失点に抑えることもすごいと思いますが、投手は守りに入ったとき、唯一攻める立場だと思っているので、僕が抑えることで攻撃につながればと思います。守備で良いリズムを作るのは投手の仕事。投手がリズムを作ることで、打撃もつながってくると思います。前年エースの高山 優希さん(北海道日本ハム<関連記事>)はそういう投手でした。
打者では、チャンスを作って、ランナーを還せる選手にもなりたいですね。そして、相手投手が抑えたいと思っているところで打てる打者になれれば理想ですが、まずはヒットゾーンを広くできるようになりたいです」
まさに「クレバー」と表現できる選手。中学時代、憧れていた大阪桐蔭のユニフォームを着て甲子園で戦う根尾のこの春のプレーに注目だ。
(インタビュー/文・河嶋 宗一)
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