郡司 裕也選手(仙台育英−慶應義塾大)「侍ジャパンの経験も糧に、慶應義塾で『丘の上』のその先へ」【後編】

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 後編では、仙台育英3年夏準優勝の舞台裏、侍ジャパンU-18代表での経験と慶應義塾大での今までと、これからを語って頂きました。

「心は熱く、頭は冷静」で勝ち取った甲子園準優勝

仙台育英時代の郡司 裕也選手

 早稲田実業(西東京)との準決勝当日、選手たちの前に立った佐々木 順一朗監督。普段は「相手を敬え。敬意を表しなさい」を繰り返し説く指揮官だが、この日は特別な「魔法の言葉」をかける。

「たまに言うからこそ効果絶大で、あの言葉で一気にチームはまとまりました」郡司のハートは熱く燃えた。その反面、捕手としての必須条件である頭はあくまで冷静沈着。これがスーパー1年生・清宮 幸太郎(現:2年)、攻守のコントロールタワー・加藤 雅樹(現:早稲田大1年)らの主軸攻略へ存分に活かされる。

「清宮にはインコースを主体に、うまく内外角を投げ分けながら打たせて取るのがゲーム前のプランでしたが、1打席目を見て『ホームランしか狙っていない』と思った。そこで真っすぐを排除して、全球フォークのつもりで打ち取りにいきました。加藤の場合は落ちるボールが打てない雰囲気を感じたので、ストレートは見せ球に。フルスイングをして強い打球を打つ感じをフォークでかわす。他の打者は内外角を使いながら抑えていきました」

 結果、清宮には3打数1安打。加藤には4打数0安打とマークしていた打者たちを抑え、さらに3回裏にはけん制でピンチを阻止。7対0と会心の完封勝利。決勝進出の原動力は間違いなく郡司 裕也のリードだった。

 東北悲願の大旗獲得がかかった決勝戦。東海大相模(神奈川)打線のレベルをマスク越しで実感しながら、郡司は再び頭を働かせる。「少しでも甘く入ったらヒットにする技術がありました。4回までに6失点してしまいましたが、6回裏に追いついたことで『行けるじゃん』と。9回表にはサヨナラすることを考えていたんですが……」 

 しかし9回表、エース・小笠原 慎之介(現:中日ドラゴンズ<関連記事>)に甘く入ったフォークを捉えられた勝ち越し本塁打から4失点。「再び1球の重さを感じた大会でした。が、ここまで行くとは思わなかったですし、やり切ることができました」と今度は悔しさよりも充実感が上回る中、仙台育英は宮城県への帰路についた。

 そんな郡司には「侍ジャパン」のユニフォームが待っていた。主軸で競い合った平沢 大河(現:千葉ロッテマリーンズ)、エース・佐藤 世那(現:オリックス・バファローズ)らともに第27回 WBSC U-18ベースボールワールドカップのU-18代表選手に選出。今度は世界を極める闘いが始まったのである。

「高校集大成」の侍ジャパンから憧れの場所へ

U-18大会での郡司 裕也選手

 一次ラウンドの天王山・アメリカ戦。郡司とバッテリーを組んだのは仙台育英の盟友・佐藤 世那。侍ジャパンU-18代表・西谷 浩一監督(現:大阪桐蔭<大阪>監督)からは「お前らでアメリカを破ってこい」との檄。もとより郡司もそのつもりだった。

「世那の持ち味を引き出せるのは僕しかいないですから」フォーク主体。フォークが捉えられはじめると、一転してインコースストレートを攻める強気の配球でこの世代史上初となるアメリカ相手の5安打完封勝利。こうなると全勝で臨んだ決勝戦。アメリカとの再戦でバッテリーを組んだのももちろん、佐藤 世那と郡司 裕也であった。ただ、アメリカの試合の入りは一次リーグとは明らかに違っていた。

「1点目は暴投で点を取られてしまって……。あれで一気に流れは彼らに傾きました」届かなかった世界一。ただ、ここで得たものは非常に多かった。

「U-18代表の投手陣と組めたことは良い経験でした。世那以外で組んでいて一番楽しかったのは上野 翔太郎(中京大中京/現:駒澤大1年<関連記事>)。彼はコントロールが良く、ストレートの回転が良いので、受けていて気持ちいいですし捕手冥利に尽着る投手です。もちろん上野だけではなく、他の投手と組めたのも良い経験でした」

 甲子園準優勝に続く高校集大成の場・侍ジャパンU-18代表での第27回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ準優勝。かくしてかけがえのない経験を積んだ郡司は次の舞台、そして憧れの場所へ向かって走り出す。難関のAO入試を突破して合格を決めた場所は……。もちろん「KEIO」慶應義塾大である。

慶應義塾での充実した1年間

「僕に合った服はMかLしかなくて、それ以上のサイズがない。また、自分はお尻が大きいので、ジーンズが履けないです。そして自分は靴のサイズが29センチなんですけど、それもなくて結構大変。その部分ではウェアは高校時代からデザインのよいものを使っています。仙台の冬は寒いので、結構重宝していますよ」現在はこんな大学ライフも満喫しながら慶應義塾大野球部で汗を流す郡司。この1年間は彼にとって高校時代以上に濃密なものであった。

 木製バットに対応ができず2試合出場に留まった春のリーグ戦後には、打撃フォーム見直しも試みた。「フォームがバラバラだったので、自分のスイングができるために振り込みを重ねました。また、木製を意識しすぎて打てなかったというのもあったので『自分が持っているのは木製バットではなく、金属バットだ』とイメージしながら打っていったら秋のリーグ戦までに感覚をつかんでいきました」

 秋の東京六大学野球リーグ戦では正捕手を獲得。大エース・加藤 拓也(広島東洋カープドラフト1位<関連記事>)ともバッテリーを組む機会に恵まれることに。郡司は千葉市リトルシニア時代の藤平 尚真や仙台育英高の佐藤 世那より一段上の凄みを味わう。「とにかくストレートがエグイ投手で、変化球がスライダー、フォークしかなくても決まれば打たれる気配を感じない投手。また、本当に気持ちが強い投手で、それが全面に出る。加藤さんと組めたのは本当に良い経験でした」

「丘の上」に昇り、さらなる高みへ

郡司 裕也選手(慶應義塾大学)

 郡司は秋、12試合に出場。打率.244、1本塁打、6打点。1年生にして屈指の実績が認められ、11月には来年のユニバーシアード世界一を目指す侍ジャパン大学代表選考合宿(愛媛県松山市開催)にも召集された。「大学球界でトップレベルにある皆さんのボールを受けることができたのはいい経験。また新たな目標ができました」郡司の目には2度目の「侍ジャパン」も視野に入っている。 

 もちろん、その目標を達成するためには慶應義塾での実績が第一。しかも来季は加藤がいない。ならば、2年生になる自分が引っ張っていくつもりだ。「実際に神宮の舞台で相手チームとの駆け引きを経験できたのは良かったですし、捕手としての面白さは今が一番。今いる投手陣をどう引っ張っていくのかは悩みどころではありますけど、大久保 秀昭監督は自分が引っ張っていくということを見越して、1年秋から使ってくれたと思いますから、責任を感じてやっていきます」

 もちろん、平たんな道ではない。しかし高校で甲子園準優勝・世界大会準優勝を経験した彼ならば……。まずは2014年春以来遠ざかっているリーグ優勝を達成し、天皇杯を手に慶早戦勝利の凱歌「丘の上」を塾生たちと歌うために。郡司 裕也は捕手としての力量を磨き、丘の上にあるさらなる高みを目指す。

(インタビュー/河嶋 宗一)