坂本 勇人選手(光星学院−読売ジャイアンツ)「アイツの負けず嫌いがプロの世界で生きた」
今や球界を代表するショートストップとして取り上げられる存在となった読売ジャイアンツの坂本 勇人。プロ10年目を終えて、通算1402安打、150本塁打、578打点と名球会入りの条件となる2000本安打も見え始めた。今シーズンも打率.344、23本塁打、75打点と三部門で高い数字を残し、自身初の首位打者を獲得。最高のシーズンを送ることができた坂本だが、高校時代はどんな選手だったのだろうか。今回は金沢 成奉監督にお話を伺った。
金沢 成奉監督(現・明秀学園日立)
金沢監督に入学したときの坂本の印象について振り返っていただいたところ、すぐプロ入りができる選手だと感じたという。
「坂本は、入学したときからプロに行くだろうと確信した逸材です。高卒プロでいけるか、大学経由になるかはその時はまだ分かりませんでしたが、何が良かったかといえば、線は細かったですけど、180センチ以上の上背があって体格に恵まれていたこと。そして打撃ではバットコントロールが巧みですし、身のこなしの良さ、動作の柔らかさ、守備もハンドリングの良さやスローイングの良さに目を見張るものがありました。プロ入りした選手の中でも技術力の高さは素晴らしく、ヒットの延長でホームランにできる選手でした」
入学時から光る才能を持っていた坂本だったが、喜怒哀楽が激しい一面があったという。
「気分屋なところがありましたらから、乗せたら乗っていきますし、うまくいかないとふてくされることはありましたよ。勝負に対して厳しい一面を見せる男でしたし、良い意味でも悪い意味でも我の強さを持った選手でしたね。我の強さ。それはプロに行くような選手の場合は必要なことだと思います。坂本はそういう我の強さが今の活躍につながっているところもあるでしょう。ただ高校の場合だとそれが仇になることもある。まだ不安定なところを持った選手だったと思います」
そんな坂本だが、一度野球部を辞めそうになったことがあるという。それは1年生の年末のオフのこと。
「正月明けのことです。坂本が野球部をやめたいと言ってきたんです。年末の練習が終わって部員を帰省させていたのですが、地元の友達と遊んで、一気に気持ちが緩んだのでしょうね。坂本が『辞めたい』と言ってきたとき、私は『辞めろ!』といって突き放したんです。でも私は辞めさせるつもりは全くなかったので、すぐに坂本の父親に電話して、『本人にはああ言いましたけど、あいつは野球しかない男です。私は辞めさせるつもりはないので。帰ってきたら本人としっかりと話し合ってください』と伝えました。そうすると1週間して、坂本は戻ってきた。そこからですね、坂本が変わってきたのは」
この出来事をきっかけに練習に対する取り組みが変わってきた坂本。当時コーチとして指導し現在は八戸学院光星で指揮を執る仲井 宗基監督も、「坂本は能力の高さだけではなく、勝利に対する執念が非常に強い選手でした」と振り返るように、金沢監督が話していた「我の強さ」が良い面として出てきたのである。
夏の高校野球が終わってからの練習態度が素晴らしかった坂本 勇人選手(読売ジャイアンツ)
一時は退部しそうになった坂本だったが、気持ちを入れ替えてからメキメキと成長していった。初の甲子園出場となった3年春の選抜(2006年)では、大会注目選手として取り上げられる存在となっていた。そして迎えた選抜初戦。相手は関西高校だった。坂本は、この大会の注目投手だったダース ローマシュ匡(元北海道日本ハム)からいきなり左前適時打を放ち先制点を挙げると、さらに5回裏の第3打席も右前安打、9回裏の第5打席も遊撃内野安打を放った。坂本はこの試合5打数3安打で猛打賞を記録する活躍を見せた。
チームは4対6で敗れたが、大型遊撃手として存在感を示した坂本をスカウトは高く評価した。しかし周囲が評価する中、金沢監督の評価は厳しかった。「あの時の坂本は攻守ともにまだまだでしたね。夏も青森大会の決勝戦で負けました。振り返ると、坂本は実力をすべて出し切っていなかったと思います。正直まだまだというところで終わったというのが実感です」
坂本が素晴らしかったのは夏の高校野球が終わってからだった。坂本は連日、後輩たちと混じって練習に参加した。金沢監督は当時の坂本の様子をこう語る。「もうしっかりとやっていましたよ。黙々と走って、バットを振って、打撃練習もして、ノックもして。その真剣度はそれまで以上でした。プロ入りしたいという目標が明確になると、ここまで選手は真剣にやるんだなと気づかされました。最後の夏が終わって、大きく伸びた選手ですね」
またウエイトトレーニングにも継続して取り組み、現役のときよりも筋力的な数値を伸ばしていたという。次のステップに向かって坂本は進化を見せていたのだ。
そして迎えた2006年のドラフト会議。この年の注目は、2005年、駒大苫小牧の夏2連覇に貢献し、2006年夏も甲子園準優勝を経験した田中 将大(関連記事)がドラフトの目玉として取り上げられていた。田中は4球団競合の末、東北楽天から指名を、そして坂本は外れ1位で、読売ジャイアンツから指名を受けた。目標としていたプロ入りが決まり、高い期待を受けて、プロ生活をスタートさせたのであった。
高卒1年目から一軍出場を果たした坂本は、高卒2年目でレギュラーを獲得し144試合に出場。その後は読売ジャイアンツの正遊撃手として活躍し、すっかりと球界の顔となった。この活躍に対し金沢監督は「もう想像以上の活躍ですよ。それは運も良かったと思います。2年目でいきなりショートのレギュラーを任されましたから。活躍できたのは、彼が本来持っている負けず嫌いの一面がプロの水に合ったのだと思いますよ。毎年、一流の実績を残しているのもそれがあるからだと思います」
そして今年、首位打者を受賞したことについては、「ここ最近、2割6分〜7分の数字が続いていて、一つの壁にぶち当たっていたと思います。ショートとして140試合出場し続けるのは大変なこと。それをずっと続けるのは、プロ野球選手として合格点だとは思いますが、まだトップレベルではなかったと思います。そういったなかなか変えきれなかったところを変えたのは良かったと思いますし、これでさらに飛躍していくと思いますよ」金沢監督は教え子の成長をたたえ、今後の活躍にも期待を寄せた。
ここまでの道のりを振り返ると、負けん気の強さ、向上心の高さが坂本の成長を支えているといっていいだろう。坂本を本気にさせたのは間違いなく、一時、野球部を辞めそうになった坂本を思いとどまらせた金沢監督だ。坂本は球界を代表する遊撃手として、これからもトップを走っていく。
(取材・構成=河嶋 宗一)
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