県立美来工科高等学校(沖縄)「終盤に強い美来工科を出せた新人中央大会」【前編】
2016年の沖縄県高校野球で新人中央大会と秋季大会の2冠を達成。第139回九州地区高校野球大会では、ベスト4入りすることとなる熊本工業高校を相手に延長13回の奮闘を見せた美来工科高校。前身の中部工業高校時代を含めて初となる新人中央大会、秋季県大会の制覇はどのようにして成し遂げられたのか。眞玉橋 元博監督や主力選手たちに話を伺ってきた。
九州大会出場の原動力となったエース・山内 慧は中学まではキャッチャー山内 慧選手(県立美来工科高等学校)
2016年の春、美来工科はエース仲宗根 登夢を中心として1,2点差の接戦を次々とものにしていった。北山、美里工、名護を下し前身である中部工時代以来となる38年振りのベスト8へ進出しただけでなく、前原をも下し初の4強となった。そのときに下位打線ではあるがセンターで先発出場していたのが現チームのエース・山内 慧である。眞玉橋監督は、入学してからずっと彼をピッチャーとして育てるプランを温めていた。
眞玉橋監督:山内は中学はキャッチャーでしたが僕はピッチャーで育てたいなと思っていました。でも故障などもあって、本人的にピッチャーとしての熱が中々入らなかった。僕の物差しの中では当時は上を目指せるというレベルでは無かった。昨年の一年生大会でもピッチャーとして立たせたのですが、ぱっとしない出来で、中部北地区予選を勝ち抜けず、中央大会へ進むことができませんでした。でもその後からですね、彼の中でスイッチが入ったのは。急に練習に対する取り組み方がガラッと変わった。ですからピッチャーとしてスタートして、まだ1年経つか経たないかくらいですよ。
元来の身体能力を活かした山内はバッティングが良く、春の大会からセンターのポジションを獲る。と同時にピッチャーとしての練習も行っていた。投手としての質も急激に伸びていき、次のチームではこの子がエースにならないと勝てるチームは作れないなと眞玉橋監督は思っていた。ただ前チームには、3年生にエースの仲宗根 登夢、砂川 魁、吉田 遼の3投手がおり、練習試合でも山内の登板は殆ど無かった。
眞玉橋監督:紅白戦で投げさせるけど、ストライクが入らない。だから新チームへ移行したときはホント不安しか無かったですよ。
しかし監督の不安をよそに、美来工科は新チームになって初めての公式戦となる新人中央大会で優勝を遂げた。それではチームとしてのまとまりが良かったのかというとそうでもなかった。
神山 諒介主将:一年生のときは守備も安定してなくて。走塁ミスも多かったです。
古謝 僚人副主将:チームでのまとまりも無かったです。
山内 慧:お互いに言い合えるような、そんな雰囲気は無かったです。
1つ上の代と比べて抜き出ていたのが打撃だと眞玉橋監督は振り返る。確かによく打ったがそれ以上に失点を重ねてしまい、チームとしてのモチベーションも上がらずじまい。新人中央大会の予選(リーグ戦)では嘉手納、石川、具志川に負けてしまう。
眞玉橋監督:嘉手納がオブザーバーで中央大会出場を決めていた(※1)ので、何とか滑り込みで中央大会に出場出来た(※2)というのがスタート。決してウチが突出していた訳ではないですよ。
※1)甲子園出場校は新人中央大会に推薦枠で出場。予選はオブザーバー的な参加※2)美来工科は中部北地区2位で中央大会へ
その時はまだ、新人中央大会の上位まで勝ち進んだり、県大会優勝を目指せる状況ではなかった。目の前の一戦にどうすれば勝てるのか。そのようなチームであった。
中央大会で優勝!それでも監督の中で自信は無かった眞玉橋 元博監督(県立美来工科高等学校)
だが、監督曰く「滑り込み」という状態で出場したチームが、新人中央大会で優勝してしまう。眞玉橋監督はこのチームの面白いところを「負けていても終盤に打ち返していくこと」だと語る。
それは新人中央大会の戦いにも表れていた。まず地区予選の具志川商との試合では9回ツーアウトからの逆転劇で勝利を収める。そして地区2位で臨んだ新人中央大会の初戦、宜野湾との試合をコールドで制した美来工科は、準々決勝の名護との試合でピンチを迎える。1点のビハインドで9回の裏の攻撃へ。走者は三塁まで進めたが既にツーアウト。だがここから四球を得ると二者連続タイムリーでサヨナラ勝ちを収めたのであった。
眞玉橋監督:短期決戦だと、負けていてもオレたち追い付けるじゃないかとね。高校生はそういうところで火がつく。それが名護との9回裏、1点ビハインドツーアウトでもサヨナラに結び付いた。そこからはもう勢いです。
準決勝の八重山戦でも3回を終わって1対3で敗れていたが、4回表に3点を入れて逆転に成功。その後も点を重ね、10対3で勝利。またも逆転勝ちで決勝進出を決めたのであった。
そして決勝の相手は沖縄尚学。眞玉橋監督は「沖縄尚学とは差があり過ぎる。負けるつもりでやることは無いけど、勝てるとは思っていなかった」とコメントすれば、強気の神山 諒介主将も、「沖縄尚学は違うレベルで野球をしている」と力の差を感じたようだが、試合に入れば、美来工科は終始試合をリード。追いつかれるが逆転だけは許さない。しかし7回裏、沖縄尚学は無死一・三塁とチャンスを掴むと與座 巧人の二塁打で1点差に詰め寄られる。なおも二・三塁。同点で終われれば御の字の展開である。
一死後、遊ゴロで沖縄尚学の三塁走者が本塁へ突っ込みアウト。9回裏、先頭打者が二塁打を打たれるが、二塁走者が遊ゴロで三塁へ走りその走者を刺し、ピンチを切り抜けた美来工科は見事、優勝を勝ち取った。だがナインに満足する様子は全くない。
眞玉橋監督:沖縄尚学のミスがあったことで僕らは優勝しただけ。力でもぎ取ったものではない。新人大会優勝の時点で、僕の中では全然自信になっていなかった。投手力、守備力、走力と秋も優勝するようなレベルのチームだとは思わなかったです。
このような接戦ではミスを犯した者が負ける。試合後、相手の負けをまるで自らの反省のようにミーティングする美来工科の姿があった。その後、美来工科は秋季県大会も制し九州大会へ出場する強さを身につけるが、そのターニングポイントが関東遠征だった。(後編に続く)
(取材・文=當山 雅通)