田中 正義投手(創価高−創価大)「高校時代の後悔がストイックな自分にさせた」【前編】

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 昨年10月20日、ドラフト会議にて5球団の競合の末、福岡ソフトバンクホークスが交渉権を獲得し、晴れて福岡ソフトバンクの一員となった田中 正義(創価大)。最速156キロのストレートと、140キロ近いフォークのコンビネーションで勝負するパワーピッチャーである田中は、リーグ戦通算20勝1敗と圧倒的な成績を残し、全国大会は大学選手権、明治神宮大会に1度ずつ出場。さらに第27回 ハーレムベースボールウィークにも出場しており、全国大会、国際大会の経験も豊富である。そんな田中に対し、周囲は新人王候補として期待している。

 その田中の成長の要因となったのは、練習、食事、行動とすべて意味を持って取り組む計画性とストイックさである。今ではダルビッシュ 有投手(テキサス・レンジャーズ)など一流選手と一緒に自主トレを行い、プロへ向けて準備する田中。その田中の姿勢の原点は高校時代にあった。

肩を痛めて投げやりになった時期もあった

田中 正義投手(創価大学)

「僕は日本一、そして世界一の投手になりたい思いでプレーしています。そのためにどうすればいいのかを考え、すべての行動に意味を見出して取り組んでいます。ただ高校時代はどうだったかといえばそんなことはなく、本当にガキだったと思います」

 川崎中央シニアを経て創価高に入学した田中は4月からのオープン戦で好投を続け、1年夏にして背番号1を獲得する。「背番号1をもらえると思っていなかったので」と驚きながらも、勝ちたいという思いで夏の大会に臨んだ。しかし5回戦の工学院大附戦で6回無失点のデビューを果たしたものの、先発した準々決勝の早稲田実業戦では1回表にいきなり4点を取られるなど、2.1回で降板。チームはコールド負けを喫した。「自分のせいで3年生たちの夏を終わらせてしまって、本当に申し訳ない気持ちでした」

 更なるレベルアップを誓って秋の大会に臨んだが、なかなか思うようなストレートを投げられずにいた。そして1年冬に肩を痛めてしまい、野手へ転向。それからは、投手として復帰したいという思いを抱えながらも、野手として甲子園を目指す日々を送った。だがなかなか打撃面で結果が出ない。そんな中、2年秋に人生初となる主将に就任した。「どうやってチームを引っ張っていけばいいか悩んでいました」

 それでも田中は4番センターとしてチームを支え、肩の状態も少し良くなり、投手としてもスタンバイしていた。最後の夏では4回戦の実践学園戦で本塁打。さらに2試合に登板と投打でチームをけん引した。

 投手としてはあまり準備をしていない中、高校3年時の球速は140キロ中盤。ポテンシャルは当時から非凡なものがあった。田中は投手として復帰したいと思っていたが、公式戦で登板したのは最後の夏の大会のみ。肩の怪我が長引いたのではなく、しっかりとリハビリしていなかったことを後悔していた。

「自分の考えがガキだと思ったのはそういうことで、肩を痛めて投げやりになっていた時期もありましたし、ああ肩は治らないんだな、無理だなと思ったこともあります。それでどうでもいやと思って、肩のリハビリをやらなくなった時期もありました。結局、治りきらないまま、3年夏まできてしまったんです。3年夏に投げた試合もありましたけど、完治ではなかったですね」

 もししっかりとリハビリをして早く完全復帰ができていたら、田中の高校野球人生はもっと変わったものになっていたかもしれない。田中はこのままではいけないと、夏が終わった後、気持ちを入れ替えて、投手として大成するために行動を改めることを決意した。二度と同じ後悔をしないために。

すべての行動に意味を持たせた

田中 正義投手(創価大学)

 今までは主将として甲子園出場するために、チームを勝利に導くことを考えて動いていた田中。夏が終わって自分と向き合う時間が増えた。大学で投手としてプレーをするために、この期間はリハビリや練習を重ねた。田中はこの時間がプラスになったと振り返る。「夏が終わると、チームのことを考えず、自分のやりたいように練習ができていましたので、技術的にも、精神的にも大きく見直す良い時間となりました」

 そして創価大に進学後、本格的に投手に専念。まず1年間は投手としての土台作りと位置づけ、主に投手を指導する佐藤 康弘コーチと二人三脚でフォーム改造に取り組んだ。田中が投球フォームでポイントにしていることは、「体重移動のときにボールに最大限の力を伝えるフォーム」であるかどうか。それができるために、足上げ、左足の踏み出し、テイクバックなどフォームの一連の動作をすべて見直した。

「自分はフォーム作りにおいて過程をとても大事にしています。いろいろ考えがあるのですが、例えば良いボールを投げるためにリリースポイントを大事にする考えもありますが、僕の場合、それだけにこだわってしまうと変な動きになります。 それまでのパーツをしっかりできれば、最終的にリリースも良くなり、良いボールも投げられると思います」

 ただ自分がしたい動きを追求してもできないときがある。例えば股関節を使った体重移動したいけれど、股関節が硬いと、うまく使えない。そういう時は股関節の柔軟性を高めるトレーニングをするなど、自分に足りないのは何かを見極めて、フォーム作りと並行してトレーニング計画を組み立てていった。そして食事面にもこだわった。「僕は10やって、その見返りが10ほしいと思っています。だけどそれはトレーニングを目いっぱいやったから達成できるものではなくて、食事もしっかりとしないとできません。食事がおろそかになったら、6、7の見返りしかない。だから食事面は結構こだわりましたね」

 大学に入学してから田中はすべての行動に意味を持たせるようになった。「僕は無駄なことをしたくないタイプで、何かにするにしても理由付けができるように行動をしています。たとえばトレーニングならばどこを鍛えてやっているのか、この練習はどういう意味を持ってやっているのか、なぜ練習中に補食を取るのか。練習後にすぐプロテインを摂取するのか、なぜこのタイミングでこの食品を食べるのか?などすべて他人に説明できるように心がけていました。言われたままでやっていると、応用が利かないんです」

 田中が2016年のドラフトの目玉といわれるまでの投手となったのはこの姿勢があったのではないだろうか。

 後編では、ブレイクを果たした2年春からプロ入りまでのエピソードについて伺いました。ダルビッシュ有投手との自主トレを行うまでのきっかけも紹介。本日16時に公開!お楽しみに!!

(インタビュー・河嶋 宗一)