今年4月に、弱冠26歳で囲碁界・前人未踏の「七冠」を達成した井山裕太棋士。これはとんでもなくすごいことで、もちろん史上初! 囲碁界にはオフシーズンがないので、一年を通して好調を維持しながらライバルに勝ち続けていくのは並大抵のことではありません。祝!井山棋士七冠ということで、今回は囲碁のお話です。


江戸時代、囲碁の「名人」になる条件とは?



「頭脳の格闘技」と呼ばれる、囲碁。
その呼び名のとおり、白黒の石のみで行われる盤上の戦いは、ときに激しく、ときに熱いものになります。
もともとは中国で生まれたゲームですが、現在のルールは日本独自のものです。

囲碁や将棋の世界で使われる「名人」という言葉。
今では「料理の名人」「かくし芸の名人」など、いろいろなもので使われますが、もともとは囲碁から生まれたもの。
囲碁好きだった織田信長が、日海という非常に囲碁の強い僧侶に「そちはまことの名人なり」と言ったのが始まりです。
こうして、囲碁や将棋の世界ではトップに君臨する者のみが「名人」という称号を受けることになったのでした。

江戸時代に入ると囲碁はより活発になり、4つのグループによって大きな試合が行われるようになります。
本因坊家、井上家、安井家、林家。
この四家が家元となり、年に1回、江戸城の将軍の前で御城碁(おしろご)と呼ばれる試合をしました。

家のメンツをかけて、何日もかけ行われる大熱戦。
でも、この御城碁で勝ったからといって「名人」になれるわけではありません。
幕府の多くの人間が認めて、初めて名人になることができました。
つまり、誰もが認める圧倒的な強さと、そして尊敬に値する人格、両方が必要だったのです。
ですから、該当者がおらず「名人不在」ということも、よくありました。

江戸幕府には「碁所(ごどころ)」という役職があったことをご存知でしょうか。
御城碁の管理や全国の囲碁棋士の総轄などを行う役職です。
碁所に就くことができるのは、名人のみ。
幕府がどれだけ囲碁を大事にしていたかがわかりますね。

盤上に広がる無限の可能性。
向かい合う2人の間で、静かに散らされる火花。
奥深い囲碁の世界、あなたも覗いてみませんか?

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「江戸っ子も夢中、囲碁の世界」として、5月11日に放送しました。

【あわせて読みたい】
★高橋みなみ、大ピンチ!「番組ゲストのGACKTが来れない!」(2016/5/11) http://tfm-plus.gsj.mobi/news/6ZKOHPjjn4.html
★仕事がしやすい上司は、男性? 女性?(2016/5/11) http://tfm-plus.gsj.mobi/news/wvnXT6ODKp.html
★「チュウ」は江戸時代からあった言葉?(2016/5/11) http://tfm-plus.gsj.mobi/news/pvYKyTbNQs.html

<番組概要>
番組名:「シンクロのシティ」
放送日時 :毎週月〜木曜15:00〜16:50
パーソナリティ:堀内貴之、MIO
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/city/