[ドデスカ!-名古屋テレビ]2016年3月21日放送で意外と知らない名古屋城の魅力を紹介していました。

もうひとつのナゴヤ城?

おもてなし武将隊や、2013年から一部公開を始めた本丸御殿の影響もあり、入場者数は右肩上がりの名古屋城。

名古屋城(Dr. L.C.S.さん撮影、Flickrより)

しかし外国人観光客や、地元以外の観光客が増える一方で、地元の観光客はかなり少ないのだとか。

名古屋城観光ガイドボランティアの村瀬保雄さんによれば、地元の方は名古屋城への知識も少ないとのことで、いろいろと教えていただきました。

村瀬さんによれば、1610年に徳川家康の命令により建てられたのが、現在の名古屋城とのこと。

そこから80年ほど前に現在の二の丸にあったのが、字の違う「那古野城」だそうで、信長はここで育ったと言われています。

信長が「うつけ者」と言われていたのは、まさに那古野城主だったころ。その後、清州城に拠点を移し天下統一を目指します。

石垣は超スピード工事!?

名古屋城の石垣は、わかっているところで総延長8.2km。石の数は24万個とも25万個とも言われているそうです。

全体のうち加藤清正が担当した天守台は、約3か月で完成したとのこと。当時では驚異的な早さで完成しました。

今も石垣には、刻絞と呼ばれる印が残っています。大名たちが苦労して運んだ石が、他の大名のものと間違われないようにつけたものなのだとか。

そして名古屋城の中で一番お客さんが喜ぶ場所が、天守閣西側のお堀とのこと。このお堀には、なんとシカがいるんです。

このシカは江戸時代の奥女中のペットとも言われており、当時は城内に放し飼いでしたが樹木を食い荒らすということで、お堀に入れられたとされています。

最盛期には50頭ものシカがいたとは、驚きですね。

金シャチは隠し金庫だった!?

現在の金のシャチホコは二代目だそうで、1959年の天守閣再建の時に作られたもの。2体で約88kgの金が使われているとのこと。

名古屋城(Kentaro Ohnoさん撮影、Flickrより)

さらになんと初代金シャチには、小判1万7975両分の金が使われていたと言われています。実に現在の2から3倍の、金が使われていたことになります。

しかし江戸時代中期にだんだん藩の財政が苦しくなり、金の量を少しずつ薄めていきながら3回の改鋳を行ったのだとか。

金を減らしていくうちに輝きも弱まりましたが、わからないように鳥よけと称して網をかけ見えにくくしたそうです。

こういった予備知識を持って見てみると、また違った名古屋城を見られるかも?(ライター:神谷祐美)