プロでなくても職場のメンタルケアに取り組める、ウェルビーイングの概念とは (2) - 「今、できること」に焦点を当てる/おおばやし あや
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ウェルビーイングを目指す理由
前回、プロではない我々が「心の問題に取り組む」というのは難しさがあるため、発想を変え、ウェルビーイング…人として当然の権利である「より良く在る、より良く生きる」ということ、さらには「人を活かし、組織も活かす」という視点を持てば、取り組みやすくなるのでは、と述べました。
厚生労働省の方針に反対するわけではありません。心の問題の改善の方向へ進むことには変わらないけれど、それはあくまで通過点であり、目標地点にはしないということです。従業員のウェルビーイングに恒常的に取り組むことを通し、最終的には個人の成果や幸福、会社の利益向上、それによる社会貢献も視野に入れていきます。
なぜ心の問題そのものにフォーカスするべきではないのか。ソーシャルワークの世界では、対話、カウンセリングを通してクライアントの問題を共に解決するにあたり、二種類のモデルがあります。(様々な呼称がありますが、ここではわかりやすく下記のふたつにします)
(a) プロブレム・ベース… 原因、過去に焦点を当てる
→→不調の原因を過去から探り、その要因に立ち向かったり、取り除くことで事態を好転させる
(b) ソリューション・ベース… 解決法、未来に焦点を当てる
→→今の状況を把握し、クライアントの解決力、生きる力を励行し、現実的な目標を立てて実行する
想像しやすいかと思いますが、aは原因を探るのに心理的な専門知識が要求され、時に人の心の深淵を覗かなければならないこともありますが、bはそれを必要としません。起こってしまったことはもう変えようがないのだから、過去は振り返らず、今その人の「できること」に着目し、実現可能なことを順序立てて行いながら、目標達成へと導きます。
原因不明の病に対して、a「仮説を立てながら診断をして病理を探りあて、薬や生活習慣改善で解決する」のと、b「それでも今自分でできることを意図的に重ねて健康な体づくりを目指し、(気づいたら)病を乗り越えている」の違いに似ているかもしれません。
どちらも問題解決と健康を目指しますが、ウェルビーイングの理念により近いのは、この(b) ソリューション・ベースモデルです。
原因はどうあれ、現状を見つめ把握し、その人の生きる力に着目して励まし、現実的にできることから行い自信をつけていく。最終的には、体が鍛えられるように心にもまた地力がつくことが期待でき、また基本的にこの対話に医学的知識は必要ないため、同じ組織内の人間が対話の相手役をつとめることができます。そして、他のパーソナルケア(心療内科への通院など)と共存しやすいのも特徴です。
(a) プロブレム・ベースモデルも、もちろん適切に実行されれば効果的ですが、企業単位で行う場合、産業医や産業カウンセラー、保健師などとしっかり提携している必要性があるかと思います。そしてそのような場合、架け橋や窓口の役となる部署・社員との強い連携、また担当者が負の方向へ「引っ張られ」ないようにする対策が必要になるでしょう。
人を活かすということ
その人の抱える問題、「できないこと」にフォーカスするのではなく、その人の強みや「できること」に着目し、エンパワーメントを与えて伸ばす…というのは、ある意味教育や組織づくりにも共通していると思いませんか?
私の学ばせてもらっているフィンランドは、教育の質、PISAテストに見られるように子どもの学力が高いことで有名ですが、その根底にあるものは、「人を活かす」という思想です。日本とほど近い面積を持ちながら、北海道と同程度の人口しかない(約530万人)この小国では、子どもは社会の宝であり、国力を上げるため、個性を伸ばすよう教育されます。
絵が得意な子どもに、「歌は苦手みたいだから、歌も頑張ろうね」とは言うようなことをせず、「上手だね、すごいね!こういうこともしてみたらどうかな?」と絵で自己表現し輝き、さらに強みを伸ばせるように導きます。このほうが、子どものやる気や自尊心を高めることができ、苦手に取り組ませるための予算もかからず、より合理的だからです。そして一分野で成功体験をたくさん得ることで、さらに別分野を習得するモチベーションも得ることもできます。
逆に、失敗したり、心を病んでしまった場合のサポートもあらゆるレベルで用意されており、また自分らしく生きることを取り戻すための機会が与えられます。おそらくその積み重ねが、国際競争力総合4位(日本は6位、2014-15年 参照)という結果をもたらしているのでしょう。(もちろんいい所ばかりではありませんので、これについては別の機会に述べたいと思います)
欧米の政治経済界では、世界のGDPランキングに代わる豊かさの指標としてwell-beingの数値を出していこうという動きがあります(参照)。人がお金をどれだけ稼げるかは既に豊かさや幸福の象徴にはならず、それよりも、仕事や生活に満足しているか、幸せと感じるか…という主観・客観の数値から、個人、ひいてはその国の豊かさを図ろうというものです。
国体もまた組織であり、それを構成している個人がより良く活きるほど、人は共栄し、全体も繁栄してゆきます。
人は生きていくその過程で、つまづいたり、病んだりすることもあるでしょう。しかしそれは誰にでもありえることであり、本来幸福や成長を追求する生き物です。そのつまづきに寛容であるかどうか、人の立ち直ろうとする力を信じられるかどうかは、その組織の哲学、目指す姿を露呈させるように思います。
日本には、素晴らしい会社がたくさんあります。私自身とても誇らしいことなのですが、どこの国に行っても、本当にたくさんの海外の方が、日本を好きだと熱っぽく語ってくれる場に何度も遭遇してきました。日本の食、文化、サービスや製品を讃え、時に絶対の信頼を置いています。それは、歴史へのリスペクトもあるでしょうが、今の日本の会社と、そこで働いている人々が、日々良い仕事をしてくださっているからです。
上記のフィンランドの国体のように教育と組織で例えるならば、「より多くの自国民に、一定以上の学力を与える社会システム」として、日本はおそらく世界最高位です。1億を超える人が、音訓を持つ2000文字以上の漢字という難しいものを使いこなし、義務教育の中で世界でも高水準の学力レベルを習得している。社会でも同様に、グループの平均値を構造的な力で高度まで押し上げる、という非常に高いシステム力はありますが、しかし、学校でも組織でも、そのシステムから抜け落ちた、いわゆる「落ちこぼれ」「はみだしもの」「変わりもの」には決してやさしくありません。というよりも、システム自体が堅固なあまり、はみだしものと言われる人を作っていまっていることに、多くの人は気づいているのではないでしょうか。そしてもし、この国が、社会が、個人というものにもう少し優しくて、もう少し我々の多様性を認めてくれればと。
今後、少子化が進む日本の教育も、個性を発揮したり、生きる力を高めるためにより主体的に学ぶ方向へと改定されてゆくと聞きました。
…けれど未だ大人の世界では、システムからはみださないよう、自分の個性や意志を抑圧しながら組織に尽くすことが「当たり前」であり、結果ストレスを抱え、心を病んでしまっている人もたくさんいる。この状況を変えずに、次の世代へバトンタッチをしていいのだろうか。
今、目の前で苦しんでいる仲間がいる。笑顔を見せない人がいる。うつ病を発症していないにしろ、日々抑圧を感じる。実際、生産性や仕事の精度も下がり、離職率が上がっていく。…
うつ病などが「甘え」かどうかという議論は、状況改善において完全に無意味です。なんであれ、現象が起きている以上、今現在、問題は進行しているのですから。
人の強みや「できること」に着目し、エンパワーメントを与え、人としての失敗やつまづきを折り込む寛容さも持つ。もし問題が発生したら、今の現状を正確に見つめ、目標を立て、「できること」を把握し、現実的に改善を目指す。
メンタルケアを必要とする人がいてもいなくても、この基本の立ち位置は変わらない。シンプルには、それができるのが、ウェルビーイングの意識を持ち、人を活かし社会意識のある、結果的には繁栄の道をゆく骨太の組織ではないだろうかと思います。そして、「組織のありかたを変えてゆく」のがこの目的のための手法です。
会社のすべきこと
では具体的に、社員のウェルビーイングを目指すものとして会社はどうすればいいのでしょうか。私の考えるキーワードは以下です。
- 現状把握
- 対話
- 自己表現
- 労働者の権利
- 目標設定
次回は、ここに挙げたキーワードをメインに、「甘やかしではない」実行策、対話の必要性や、様々なアイデアを提案させて頂けたらと思います。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
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