堀江公判 7日の被告人質問(1)
東京地裁で7日開かれたライブドア(LD)事件の公判で、元社長、堀江貴文被告の本人尋問が始まった。尋問内容の要旨は次の通り。(質問者は高井康行弁護士)
検察の捜査を知ったきっかけ
──最初に検察の捜査を知ったのはいつか?
2005年12月中旬くらいだった。12月中であることは間違いない。LDを辞めた元執行役員からの電話で知った。いきなり携帯電話にかかってきて「地検に呼ばれた。『赤字会社を株100分割前後に買っているが、これについて知らないか』『机の配置を教えて欲しい』『ファイナンス関連で辞めた幹部を知らないか』『パソコンを持って来い』と言われた」ということだった。
──心当たりはあったか?
さっぱり分からなかった。
──何という人か?
聞いていない。
──名刺など見せてもらったか?
それもなかった。会社にいた熊谷(史人元取締役)のところに行き、株100分割前後に赤字会社を買ったかと聞いたら、トラインぐらいということだった。地検の捜査があったか聞いたが、「いや、ないっすね」と言っていた。気になったので、宮内(亮治)さんに聞いたら、「心当たりがない」と。
──宮内さんは05年12月にLD株を全部売っている。
12月中に誰かから伝え聞いた。
──強制捜査の時、令状は見たのか?
見たが、全部は覚えていない。マネーライフ関連だったが、心当たりがなかった。
業務について
──検察は、堀江さんがLDグループ全体を強力に統括、指揮していたとしているが。
実態に合っていない。軍隊ではないので。
──各事業部の営業成績をつぶさに把握していたか?
メディア事業部とモバイル事業部とか、本社の僕がいたフロアにあったものは把握しているが、それ以外は細かく把握していない。
──経費にうるさかったそうだが。
それは正しい。ただし、うるさかったのは赤字部門。
──10万円以上の出金は細かく見ていたそうだが。
そうですね。特に赤字部門には厳しかった。一方で、資金が入ってくることは喜ばしい話なので、特にうるさく言う必要はなかった。ドンドン上げろという方向だった。資金が出て行く方にはうるさかった。
起業について
──LDの前身、オン・ザ・エッヂを起業したのはいつか?
23歳。特に早いとは思わない。インターネット関連の会社でアルバイトし、インターネットの将来性が非常に大きいと感じた。何百兆円のマーケットになるので、そこそこでも会社はうまく行くと思った。
──会社を興すに当たり、経理、税務の勉強はしたのか?
していないし、する気もない。帳簿については、「有限会社の作り方」という本に、そういうことは専門家に任せろと書いてあった。
宮内被告との出会い、株式会社化、上場
──宮内さんと知り合ったのはいつか?
1996年3月ごろか。メーリングリストの主催者に相談したら、「メーリングリストに税理士さんがいるよ。メーリングリストに入っているなら、インターネットにも詳しいだろう」と言われた。
──最初に会ったのは。
横浜の関内か桜木町。中華街に行って、中華料理を食べた。
──何を話したか?
覚えていない。当時、インターネットの将来性を力説したと思うし、がんばっていくと。宮内さんとしては、若い奴がでかいことを言うと感じたかもしれない。
──宮内さんを信頼できると思ったか?
思った。
──株式会社化については。
宮内さんが何かの機会に当社にいらっしゃった時に、「すごく利益上がっているし、内部留保もたまっている」と言われ、僕の給与未払い分もあったので、それを使えばできるよと言われてしました。
──手続きは。
宮内さんがやったようなものです。
──検察側は、LDの主な事業はインターネットではなく、M&Aだとしているが。
間違っていると思う。
──LDの主たる事業は。
インターネットだと思う。そもそも、M&Aという言葉も知らなかった。
──1999年に宮内さんが役員になる。
記憶が明確でないが、直前に創業時からいた役員が辞めて欠員が出た。宮内さんが「俺がなろうか」と言ってきたのと、直前に上場話があったことの両方が宮内さんが役員に就任した理由だ。
──上場を言い出したのは。
宮内さん。株式会社化した時、「株式会社化するなら、上場を目指さないといけないよ」と言われた。
──宮内さんと上下関係はあったのか?
上下関係と思ったことはない。
── 位置付けは。
ビジネスパートナーだ。
コンプライアンス体制
──上場して、管理部門はどうするつもりだったのか?
特にアイデアはなかった。
──従来のままということか?
はい。
──内部に法務部を作ることは。
考えなかった。外部に頼んだ方が、より厳密と思ったから。
──稟議システムを見ると、弁護士のチェックを受けてから社長の堀江さんの決済を受けるシステムになっている。
僕が考えました。
──会計処理はどうなっていたか?
宮内さん。
──丹澤みゆきさんが入ってきてからは。
基本的にリーダーは宮内さん。
──丹澤さんは誰の紹介で入社したのか。
丹澤さんは、普通に求人を見て応募してきた。
堀江被告の保有LD株について
──上場して、株を売ることは考えなかったか?
考えなかった。上場時には、保有株の価値は500億円ぐらいだった。
──その後、持ち株は売ったのか?
2回ある。1回目は簿価上げクロスした時。2回目はニッポン放送が片付いた時。
──保有株を高く売って自己資産を得るために株価を上げたとの検察側の指摘については。
まったく荒唐無稽な話だと思う。もしそれが目当てだったら、こんな面倒くさいことはしない。一人で運用していれば、もっと大きくなったと思う。経費もかからないし。(つづく)
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検察の捜査を知ったきっかけ
──最初に検察の捜査を知ったのはいつか?
2005年12月中旬くらいだった。12月中であることは間違いない。LDを辞めた元執行役員からの電話で知った。いきなり携帯電話にかかってきて「地検に呼ばれた。『赤字会社を株100分割前後に買っているが、これについて知らないか』『机の配置を教えて欲しい』『ファイナンス関連で辞めた幹部を知らないか』『パソコンを持って来い』と言われた」ということだった。
さっぱり分からなかった。
──何という人か?
聞いていない。
──名刺など見せてもらったか?
それもなかった。会社にいた熊谷(史人元取締役)のところに行き、株100分割前後に赤字会社を買ったかと聞いたら、トラインぐらいということだった。地検の捜査があったか聞いたが、「いや、ないっすね」と言っていた。気になったので、宮内(亮治)さんに聞いたら、「心当たりがない」と。
──宮内さんは05年12月にLD株を全部売っている。
12月中に誰かから伝え聞いた。
──強制捜査の時、令状は見たのか?
見たが、全部は覚えていない。マネーライフ関連だったが、心当たりがなかった。
業務について
──検察は、堀江さんがLDグループ全体を強力に統括、指揮していたとしているが。
実態に合っていない。軍隊ではないので。
──各事業部の営業成績をつぶさに把握していたか?
メディア事業部とモバイル事業部とか、本社の僕がいたフロアにあったものは把握しているが、それ以外は細かく把握していない。
──経費にうるさかったそうだが。
それは正しい。ただし、うるさかったのは赤字部門。
──10万円以上の出金は細かく見ていたそうだが。
そうですね。特に赤字部門には厳しかった。一方で、資金が入ってくることは喜ばしい話なので、特にうるさく言う必要はなかった。ドンドン上げろという方向だった。資金が出て行く方にはうるさかった。
起業について
──LDの前身、オン・ザ・エッヂを起業したのはいつか?
23歳。特に早いとは思わない。インターネット関連の会社でアルバイトし、インターネットの将来性が非常に大きいと感じた。何百兆円のマーケットになるので、そこそこでも会社はうまく行くと思った。
──会社を興すに当たり、経理、税務の勉強はしたのか?
していないし、する気もない。帳簿については、「有限会社の作り方」という本に、そういうことは専門家に任せろと書いてあった。
宮内被告との出会い、株式会社化、上場
──宮内さんと知り合ったのはいつか?
1996年3月ごろか。メーリングリストの主催者に相談したら、「メーリングリストに税理士さんがいるよ。メーリングリストに入っているなら、インターネットにも詳しいだろう」と言われた。
──最初に会ったのは。
横浜の関内か桜木町。中華街に行って、中華料理を食べた。
──何を話したか?
覚えていない。当時、インターネットの将来性を力説したと思うし、がんばっていくと。宮内さんとしては、若い奴がでかいことを言うと感じたかもしれない。
──宮内さんを信頼できると思ったか?
思った。
──株式会社化については。
宮内さんが何かの機会に当社にいらっしゃった時に、「すごく利益上がっているし、内部留保もたまっている」と言われ、僕の給与未払い分もあったので、それを使えばできるよと言われてしました。
──手続きは。
宮内さんがやったようなものです。
──検察側は、LDの主な事業はインターネットではなく、M&Aだとしているが。
間違っていると思う。
──LDの主たる事業は。
インターネットだと思う。そもそも、M&Aという言葉も知らなかった。
──1999年に宮内さんが役員になる。
記憶が明確でないが、直前に創業時からいた役員が辞めて欠員が出た。宮内さんが「俺がなろうか」と言ってきたのと、直前に上場話があったことの両方が宮内さんが役員に就任した理由だ。
──上場を言い出したのは。
宮内さん。株式会社化した時、「株式会社化するなら、上場を目指さないといけないよ」と言われた。
──宮内さんと上下関係はあったのか?
上下関係と思ったことはない。
── 位置付けは。
ビジネスパートナーだ。
コンプライアンス体制
──上場して、管理部門はどうするつもりだったのか?
特にアイデアはなかった。
──従来のままということか?
はい。
──内部に法務部を作ることは。
考えなかった。外部に頼んだ方が、より厳密と思ったから。
──稟議システムを見ると、弁護士のチェックを受けてから社長の堀江さんの決済を受けるシステムになっている。
僕が考えました。
──会計処理はどうなっていたか?
宮内さん。
──丹澤みゆきさんが入ってきてからは。
基本的にリーダーは宮内さん。
──丹澤さんは誰の紹介で入社したのか。
丹澤さんは、普通に求人を見て応募してきた。
堀江被告の保有LD株について
──上場して、株を売ることは考えなかったか?
考えなかった。上場時には、保有株の価値は500億円ぐらいだった。
──その後、持ち株は売ったのか?
2回ある。1回目は簿価上げクロスした時。2回目はニッポン放送が片付いた時。
──保有株を高く売って自己資産を得るために株価を上げたとの検察側の指摘については。
まったく荒唐無稽な話だと思う。もしそれが目当てだったら、こんな面倒くさいことはしない。一人で運用していれば、もっと大きくなったと思う。経費もかからないし。(つづく)
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