1993年5月15日、Jリーグが開幕し、今年で20年となった。テレビ朝日「報道ステーション」(15日放送分)では、これを記念し、“キングカズ”三浦知良と、同世代で現在はサッカー解説者として活躍する中山雅史氏、澤登正朗氏の3名による対談の模様を放送した。

J開幕当時の状況や思い出に残る外国人選手の話題に続き、後半ではそれぞれのプレーや選手の海外挑戦にも話が及んだ3人の対談、その内容は以下の通りだ(要約)。

■1999年の優勝決定戦=ジュビロ磐田×清水エスパルス戦について

カズ:やっぱり僕ら、静岡。サッカー王国っていうプライドあるじゃないですか。

澤登:いまだにあります。

カズ:静岡県のチームが、優勝を決める一年で一番大きな試合をやるっていうのは、静岡のレベルの高さを感じて嬉しかったのは覚えています。

中山:(第2戦で、1点追う清水が同点に追いついた)あのノボリのシュートは凄かった。劣勢に立たされているのに、気持ちを落ち着かせて。

澤登:なんかないっすか、そういう時って?ゾーンに入ってて、蹴れば入るんじゃないかって。

カズ:観客の声とかが全く気にならない時ってありますよね。

中山:カズさん、あります?

カズ:ありますね。神戸時代(2001年11月、対横浜M)、もの凄く高く上がったボールを一発でトラップして。トラップして落ちた時に、入ると。外すとか全く考えない。ゴールするイメージしかなかったですね。あれはゾーンだったと思います。

澤登:ゴンちゃんはどうなんすか?

中山:俺ね、ないな。

澤登:4試合連続ハットトリックとかあるでしょ。ゾーンでしょ?

カズ:でも、あれね、こっち狙ってこっち入ったとかあるから。沢山ありますから。

中山:ピンポン!

カズ:思いっきり逆サイド狙ったのが、ニアに突っ込んだとか。

澤登:それがゾーンなんじゃないですかね?

中山:まあ、そうだけど。

カズ:ゾーンでいいよ。ゾーンにしときましょう。

中山:俺だけ、嫌じゃん。二人とも凄いゾーンの話しているのに。

■選手の海外挑戦について

中山:カズさんが行かなきゃ、その流れもできなかったと思いますし。

カズ:僕がジェノアに行ったころは、まだアフリカ人も少なかったですし、アジア人もいなかった。いまや、向こうからしてみれば、Jリーグもマーケットになってますから。ここで実力を発揮すれば、そういう道も開ける。それこそ、香川選手なんかはマンチェスター・ユナイテッド。ヨーロッパのトップのトップですから。そういうところでレギュラーで活躍している。これはもう日本のレベルを証明していることだし。Jリーグはいまや凄い充実した、整理された、オーガナイズされた素晴らしいリーグだと思いますし、この20年でここまでできたっていうのは、日本人の能力の高さだと思う。それはでも、40チーム全部が裕福なわけないですから。そういうクラブもあれば、本当にギリギリのところでやってるクラブも当然あるに決まってるし、街の大きさからサポーターの数まで、色んな街の特性がありますからね。全部が違うだけに、みんながアイデアを出し合ってやってかなきゃいけないし、僕も所属してたブラジルの田舎のクラブも最悪の状態なんですけど、潰れないんですよ。絶対。サポーターがいるから、なくなんない。スタジアムがある。歴史があり、親子三代で応援してくれる。

中山:(Jリーグは)20年だから、まだまだってことですよね。

カズ:そうですね。

中山:カズさん、内に秘めたものっていうのは、今の若い選手と変わらないですよね。サッカーに対する情熱っていうのは。

カズ:試合に出れなかったら本当に悔しいし、46歳だからいいやっていう気持ちは一つもないし、次の日の練習行って汗かきたいって思うし、グラウンドに立って自分を表現して、認められたいと思うし、それはもう18歳でプロになって全くブレてない。現役をやる、試合に出たい。この意欲でやってます。

中山:いいなー、カズさん。同じところでボール蹴りたいなって、そういう気持ちにさせてくれますね。

Jリーグ20年で対談実現。カズ「やっぱ、ビスマルク」、中山「ドゥンガは酷い」