Jリーグ20年で対談実現。カズ「やっぱ、ビスマルク」、中山「ドゥンガは酷い」
1993年5月15日、Jリーグが開幕し、今年で20年となった。15日放送、テレビ朝日「報道ステーション」では、「Jリーグ開幕20年」と題し、“キングカズ”三浦知良と、同世代で現在はサッカー解説者として活躍する中山雅史氏、澤登正朗氏の3名による対談の模様を放送した。
中山氏の「はじめまして」という挨拶に、「はじめまして、田原俊彦です」と切り替えしたカズ。思い出話に花が咲いた3人の対談は以下の通り(要約)。
中山:カズさんが、ブラジルから日本に来て、そっからサッカー人気というか、Jリーグに至るまで、右肩上がりというか。
カズ:僕が(日本に)帰ってきたのが90年ですから、本当に変わりましたよね。最初に日本代表にいたころと全く環境が全然違うし。
澤登:僕たち、荷物運んでましたよね。
カズ:当然、自分たちで洗濯するし、サッカー用具も自分たちで持って。グラウンドも荒れ果てたところでやってたしね。日本サッカー協会がアメリカW杯を目指すっていう意思を、ハッキリと、Jリーグとともに行こうという意思が出たじゃないですか。それで注目を浴びましたよね。
■Jリーグのオープニングセレモニーについて
澤登:オープニング派手でしたね。とにかく凄かった。
カズ:自分は中にいたから観れなくて、映像でしか知らなくて。
中山:僕もビックリしましたよ。カズさんの髪型に。いきなり変わってましたもん。サラサラだったのに、もじゃもじゃになってましたよね。ビックリしました。
カズ:あの時、僕26歳でしたから、この年齢までやってるって想像しなかったですからね。やっぱ30歳そこそこが常識だった。まさかここまで自分がやってるとは思わなかったし。
■Jリーグで活躍した海外の選手たちについて
カズ:やっぱ、ビスマルク。一緒にやったヴェルディ時代は、ビスマルクが印象に残ってます。周りもうまくしてくれる選手って少ないじゃないですか。一緒にやっている周りの選手もレベルがアップする。
中山:僕はドゥンガですよね。ドゥンガは酷い。
澤登:怒鳴ってますもんね。
中山:身振り手振りで、あれだけ言い続けるのも相当なエネルギーを使ってるわけですよ。それを続けていくことによって強さになっている。
澤登:うまさの部分だけでは勝てないってことですよ。強さの部分が出てこないと。
カズ:最後まで諦めないし、最後までなんか本当にやりますよね。もしかしたら、僕らが一番ブラジル人選手から学んだことかもしれない。
中山氏の「はじめまして」という挨拶に、「はじめまして、田原俊彦です」と切り替えしたカズ。思い出話に花が咲いた3人の対談は以下の通り(要約)。
カズ:僕が(日本に)帰ってきたのが90年ですから、本当に変わりましたよね。最初に日本代表にいたころと全く環境が全然違うし。
澤登:僕たち、荷物運んでましたよね。
カズ:当然、自分たちで洗濯するし、サッカー用具も自分たちで持って。グラウンドも荒れ果てたところでやってたしね。日本サッカー協会がアメリカW杯を目指すっていう意思を、ハッキリと、Jリーグとともに行こうという意思が出たじゃないですか。それで注目を浴びましたよね。
■Jリーグのオープニングセレモニーについて
澤登:オープニング派手でしたね。とにかく凄かった。
カズ:自分は中にいたから観れなくて、映像でしか知らなくて。
中山:僕もビックリしましたよ。カズさんの髪型に。いきなり変わってましたもん。サラサラだったのに、もじゃもじゃになってましたよね。ビックリしました。
カズ:あの時、僕26歳でしたから、この年齢までやってるって想像しなかったですからね。やっぱ30歳そこそこが常識だった。まさかここまで自分がやってるとは思わなかったし。
■Jリーグで活躍した海外の選手たちについて
カズ:やっぱ、ビスマルク。一緒にやったヴェルディ時代は、ビスマルクが印象に残ってます。周りもうまくしてくれる選手って少ないじゃないですか。一緒にやっている周りの選手もレベルがアップする。
中山:僕はドゥンガですよね。ドゥンガは酷い。
澤登:怒鳴ってますもんね。
中山:身振り手振りで、あれだけ言い続けるのも相当なエネルギーを使ってるわけですよ。それを続けていくことによって強さになっている。
澤登:うまさの部分だけでは勝てないってことですよ。強さの部分が出てこないと。
カズ:最後まで諦めないし、最後までなんか本当にやりますよね。もしかしたら、僕らが一番ブラジル人選手から学んだことかもしれない。