AKB48峯岸みなみを坊主頭にさせたのは誰か

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今回は柴 那典さんのブログ『日々の音色とことば:』からご寄稿いただきました。
■AKB48峯岸みなみを坊主頭にさせたのは誰か
●恋愛禁止という「校則」
AKB48の峯岸みなみが恋愛報道を機に坊主頭になって謝罪をした。もう昨日からいろんなところで言われていることだと思うけれど、この動画の持っている衝撃性はすさまじくて、目にした人の感情を(悪い意味で)揺さぶるものになっている。

ファンも、ファンじゃない人も、これには、さすがに多くの人が不快感を抱いたと思う。僕もそう。AKBも含め女性アイドル全般を「夢を実現させる少女たちの物語」として追っかけていた人にとっては「こんなものは見たくない」という気持ちがあっただろうし、遠巻きにブームを見ていた人はただ単にドン引きしただろうし。どちらにしろ、なにか胸がつかえるような気持ち悪さがあった。古くはシネイド・オコナーとか最近ではICONIQとか、坊主姿の美しい女性というのはいるので、ルックス自体の話じゃない(インパクトあるけど)。少しでもメディアリテラシーを持っている人ならば、この動画が反省の証として「公式チャンネルに」「高画質で」公開されたことの意味はわかるはずで、そこがやはり気持ち悪さの原因になっていた。

僕のツイッターのタイムラインを見ていても、場末の茶番だと皮肉っている人も含めて「何か言いたくてたまらない」人たちが沢山いた。おそらく胸をざわつかせる何かがあの動画にあるんだろうと思う。

ただ、「気持ち悪い」「不快だ」とだけツイッターでつぶやいて、「だからAKBはバカバカしい」とか「アイドルブームはもう終わりだ」とか切断処理して片付ける人も沢山いて、それはそれでいいんだけど、僕はそんなつもりにもなれなかったので、深夜にいろいろと考えた。で、僕にとって改めて印象的だった、考えを深めていく発端になったのは、動画の中でふと出てくる「秋元先生」という言葉だった。

AKB48は「学校」のメタファで動いている。

それは改めて僕が指摘することでもなく、普通に界隈で使われる用語を見ていればわかる。卒業、◯期生、研究生――。まあAKB48だけじゃなくてハロプロやスターダスト系もそうなのかもしれないけど、一方でジャニーズ系にそういう用語がないことを考えると、やはり女性アイドルグループ特有の文化なんだと思う。で、秋元康自身がAKB48を「学校」のメタファで捉えていることは、たとえば以下の対談の中でも語られている。

『GQ JAPAN』
http://gqjapan.jp/

「2013年、“推しメン”は彼女だ!──あっちゃんなきAKBの未来、10の予言」 2013年01月25日 『GQ JAPAN』
http://gqjapan.jp/2013/01/25/2013akb48/

そのメタファに乗っかってあの動画の意味合いを捉えると、あれは「校則を破ってしまったけれど退学にしないでください」という峯岸みなみの涙ながらの訴え、ということになる。で、研究生に降格という処分は「停学」にあたる。

「週刊誌に恋愛をスクープされた」というのは恋愛禁止というグループのローカルルール(=校則)を破ったことに過ぎないわけで、その“罪”と、20歳の女性が髪を剃り上げるという見た目のインパクトを含めた“罰”の、あまりに釣り合わないバランスが、まず感情をざわつかせている要因の一つなんだと思う。

●AKB48と『桐島』がメディア空間を「学校化」した?
で、興味深いのは、沢山の人がこの動画を、桜宮高校の自殺事件を発端にした体育会系部活に存在する体罰やパワハラの問題とからめて語っていること。もちろんタイミングってのはあると思う。坊主頭ってまさに「部活」の文化だし。

桜宮高校の事件は大きくメディアを賑わせた。さらに女子柔道の日本代表における暴力行為の告発がそれに拍車をかけた。振り返ると、大津の高校生自殺を発端にしたいじめ問題へのクローズアップもあった。