先週のユーロ予選プレーオフ、ボスニアはポルトガルと引き分け、クロアチアはトルコ
にアウェイで大勝したことは、お伝えしましたが、その後、南部の都市モスタル(北
朝鮮の金総書記の孫息子が留学していることで有名になった町)では、このプレーオフ
結果が引き金となり、サッカーのサポーター同士の乱闘が起きたもようです。

どちらが先に手を出したかは不明ですが、歓喜にわくクロアチア人と、ちょっと残念、
不完全燃焼だったボシュニャック人(ボスニア人・ムスリム人)の集団が、かなり派手
にやり合ったらしい。サッカーがらみの民族問題が続いているなかで、ボスニアはこの
先どうなるのだろう、これじゃあ、オシムさんの仕事(サッカー連盟会長代行)がます
ます大変になるじゃないか、と心配になります。(詳細は続報)

さて、先週の日本代表とタジキスタンの試合のあった11月11日。イギリスなどコモン
ウェルス(英連邦)の国ぐにでは、第1次大戦の戦没者を追悼する「リメンブランス・
デイ」(追憶の日。その日に近い週末に記念行事がある)として、お墓や祈念碑に
ポピー(ひなげし)の花を飾る習慣があります。

イングランド代表ファンの方はご存じでしょうが、この翌日(12日のリメンブランス・
サタデー)にスペイン代表と対戦したイングランドのユニフォームに、この「ポピーの
花」のワッペンを付けてもいいかどうか、ひと騒動がありました。


FIFA(国際サッカー連盟)は「政治・宗教的ないかなるシンボルも禁止」と、この
戦没者追悼のワッペンはまかりならん、という態度。これに反発したイギリス国会議員
たちがFIFA(とブラッター会長)を非難する演説をするなど、一時は険悪なムード
になりました。まあ、イギリスとFIFAは昔から仲がよくないし、最近ではワールド
カップ開催地の選定でイングランドが落選したり、英国メディアがFIFA理事を
「おとり取材」した問題がありましたから、ひょっとしてスペイン戦は中止(延期)か
と心配されるほどでした。

結局、「ユニフォームにじかに付けるのはダメだが、ポピーのワッペンをアームバンド
(腕章)に付けるのはよい」という妥協が成立し、スペイン戦は無事開催。スペインの
セスクに「イングランドは守ってばかりだった」と批判されはしましたが、なんとか
イングランド1−0スペイン
で、イングランドは勝利。得点はアームバンドを2つ付けた(主将)ランパードでした。

今年は、一説によると「リメンブランス・デイ」にポピーを飾るようになってから90年
ということで、第1次大戦のことをふり返る記事が目立った気がします。そのひとつが、
英紙インディペンデントのボスニア代表にかんする記事。

「若い共和国がサッカーで団結」という見出しで、第1次大戦の勃発したボスニアが
1990年代の戦争を経て、今どうなっているかをサッカーを通じて書いています。記事
には、オシムさんも「サラエボの家族が爆撃にさらされたために辞任した、ユーゴス
ラビア最後の代表監督」「現在は正常化委員会の責任者」として登場します。

現在のボスニア代表は3つの主要民族すべてが含まれる多民族チームで、ボシュニャッ
ク人のジェコ(マンC)、セルビア人のミシモビッチ(ディナモ・モスクワ)、クロ
アチア人のパパツ(グラスゴー・レンジャーズ)などがポルトガルとのプレーオフに
のぞんでいる。20世紀末に大量虐殺などを含む「バルカン戦争」を経て独立を達成し
た、この若い共和国の団結にとって「重要なステップ」だと見なされている、と、
紹介されています。

ジェコは、ふだん政治的な発言はしないのですが、戦争のことを話しています。