2017年にレトルトカレーの売り上げは461億円に達し、カレールウの売り上げ(456億円)を初めて上回った(市場調査会社「インテージ」調べ)。その15年前の2002年時点ではルウの売り上げがレトルトを200億円以上も上回っていただけに、その後のレトルトカレーの躍進ぶりは際立っている(撮影:梅谷秀司)

「レトルトカレーがかなりおいしくなっている気がする」――。最近こんな話を聞くことが少なくない。かつてレトルトカレーと言えば、食事を作るのが面倒なときや急いでいるときなどに仕方なく食べる感があったが、ご当地カレーや名店カレー、エスニックカレーとその種類は増え続けており、インテージの調べによると、2017年にはレトルトの販売額がついにルウを上回った。

果たしてここ数年でレトルトカレーにどんな進化が起きたのだろうか。

レトルトの多様化が大きく進んだ

まず、近年のレトルトカレーの目立った進化として挙げられるのが、商品の多様化だ。エスビー食品・広報ユニットマネジャーで、前部署時代にレトルトカレーの企画開発に長年携わった中島康介氏はこう話す。

「私が商品企画担当に着任した12年前は、レトルトカレーといえばじゃがいも・たまねぎ・にんじんが入る“家のカレー”的な商品が圧倒的主流。一方でタイやインドなど現地の味わいを追求したコアな商品も一部存在しました。その両者がかなり離れていて、間に位置するものがほぼなかったんです。


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でも本当は、その間にも自分たちが食べたいカレーがたくさんあるはずでした。そこで、そのすき間を埋めるさまざまなバリエーションの商品を開発していこうと考えました」

こうして同社は、それまでレトルトではほとんど例がなかった濃厚なキーマカレーや、チーズをトッピングした欧風カレー、本格派だがほどよく日本人向けにアレンジしたグリーンカレーなどを続々とリリース。同じように他社からも、家のカレーとは違ったテイストの商品が次々発売された。こうした多様化により、ユーザーは自分好みのものに出会いやすくなった。

多様化の背景には家族構成の変化があると言うのは、食品専門店「北野エース」を運営するエースの商品統括事業部・斉藤太一氏だ。同社といえば、数百種類ものレトルトカレーを本のように並べた「カレーなる本棚」が有名だ。 

「近年特に需要が伸びているのが、年配のひとり暮らしや、ふたり暮らしのご夫婦といった層です。少人数なのでわざわざカレーを作る気にはならないけど、たまには食べたい。かといって安いもの、普通のものはあまり食べたくない。どうせ食べるなら、ちょっといいものや、特別なものが食べたい。そんなニーズに応える形で、レトルトカレーの多様化や高級化が近年進んできました」(斉藤氏)

これに伴って、必然的に技術面での進化も起こった。前出の中島氏はこう話す。

「これまでにはない素材や、さまざまな粘度のカレーを扱うたびに、『こんな素材がレトルトに向いている』『ここまでの粘度であれば製造ライン内の配管を滞りなく通る』といった多くの知見が蓄えられていきました。時には工場設備の一部を改良することもありました」(中島氏)

高級化で使えるスパイスの種類増えた

さらには、レトルトカレーの高級化が、あるもう1つの進化をもたらす。「レトルト臭」の改善だ。

レトルト食品は、内容物をパウチに詰めた後、殺菌のため中心温度120度・4分相当の加熱処理を行うことが食品衛生法で義務付けられている。これはレトルト殺菌とも呼ばれ、高圧釜によって120度という高温が実現する。「レトルト」は、加圧釜を表すオランダ語が語源だ。

そのレトルト殺菌で食品が高温にさらされる際に、独特の蒸れたような・こもったようなにおいが発生する。これがいわゆるレトルト臭だ。業界では“レトルト焼け”“焦げが移る”と言ったりもする。レトルト臭をあまり感じない人も多いが、逆にこのにおいによって「レトルトはまずい」と感じる人もいる。

「レトルト臭は、例えば豊かなバター感やスパイスの香りといった特定の原料の風味でにおいを包み込むマスキングという方法で、かなり改善できます。ただしそれも、使える原料が制限される低価格帯の商品では限界がありました。ところがここ数年で、原料をリッチに使える中価格帯・高価格帯の商品を増強してきたことにより、レトルト臭をあまり感じさせない商品が店頭に多く並ぶようになりました」(中島氏)

「『近年、レトルトカレーが美味しくなった』と感じていただいているのは、製造技術の進歩をはじめ複合的な理由が挙げられますが、このレトルト臭の改善が実はかなり効いているのかなとも思います」(中島氏)

こうしたレトルトカレーの世界で起こったさまざまな進化を体現する商品群がある。有名カレー店の監修のもとでメーカーが開発を進める、いわゆる名店系のレトルトカレーだ。開発に際しては相当な”熱量”が投じられると中島氏は言う。

名店のレシピに近づける知識と技術

「多くの場合、最初は社員が普通にお客として何度もお店に通います。そして顔を覚えていただいた頃に『実は私はこういうものなんですが、この味に惚れ込んでしまいまして……』とレトルト化を打診します。もちろん、ここでお断りされることもあります。

興味を持ってもらえた場合は、その後試作品を作り、お店にお持ちします。いい仕上がりだと言っていただくこともありますが、逆にこんなの持ってくるんじゃねえとお叱りを受けることも。こうしたやり取りを何度も繰り返し、店主さまが納得する味となって、ようやく商品化にこぎつけます。開発期間は、お店に通うところから含めると1年は優に超えることが多いです」(中島氏)

店側としても店名が付く以上、その商品が“看板”ともなるわけで、並々ならぬこだわりを注ぐ。メーカー側は技術や熱意でそれに応える。こうして、店が持つ無二のレシピやセンス、そしてメーカーに蓄積された知見や設備を最大限に生かしたハイレベルなレトルトカレーが出来上がるわけだ。

エスビー食品では、2013年に名店の味わいを再現した『噂の名店』シリーズの販売を開始。「おかげさまで現在のレトルト市場を牽引していると言ってもいいほど、売り上げは好調」と中島氏は胸を張る。

同シリーズの中でも、カレーマニアの間で話題になったのが、大阪の人気店、コロンビアエイト監修の「大阪スパイスキーマカレー」という商品である。カルダモンなどのスパイスの香りが驚くほど際立っていて、カレーは出汁や苦味も利いた繊細な味。レトルトカレーでここまで本格的な味わいのスパイスカレーが食べられるのか!と、筆者も文字通り舌を巻いた。

2019年はエポックメイキングな年に

本格志向や多様化志向といったニーズを反映し、今や百花繚乱とばかりに各メーカーから名店系のレトルトカレーが発売されている。主だったところをざっと以下に挙げてみた(カッコ内は監修した店の名前)。

エスビー食品「噂の名店」シリーズ(プティフ・ア・ラ・カンパーニュ、マンダラ、珊瑚礁、白銀亭、コロンビアエイト、エリックサウス)、神田カレーグランプリ」シリーズ(ボンディ、マンダラ、日乃屋カレー、100時間カレーB&R、お茶の水大勝軒)
ハウス食品「選ばれし人気店」シリーズ(旧ヤム邸、印度料理シタール、アルペンジロー、魯珈)
エム・シーシー食品「名店」シリーズ(エチオピア、トプカ、インドカレーカーマ、ゲイロード、ガヴィアルなど)
36チャンバーズ・オブ・スパイス(馬来風光美食、ネゴンボ33、パンニャ、ピワンなど)

【2019年4月15日17時45分追記】初出時、レトルトカレーを監修している店舗に誤りがありましたので、表現を一部見直し、表記のように修正しました。

とりわけ2019年はすでに魯珈、ピワンという大行列店や、エリックサウス、ネゴンボ33、パンニャなどの屈指の人気店が監修した商品や、吉田カレーによる自社製造品などが続々登場しており、カレー好きの間で話題となっている。上記以外でも、無印良品の本格レトルトシリーズや、新宿中村屋が手がける本格インドカレーシリーズなど、ハイレベルなレトルトカレーは他にもいろいろある。

好きなときに、家にいながらにして、お店に行ったかのような満足感が得られる。つくづくいい時代になったなと感じる。ぜひ、これまでの観念を覆す、新たなレトルト体験を味わってみては。もしかするとそれが逆に、街のカレー名店巡りや、本格的なスパイスカレー作りといった“別世界”の入り口になるかもしれない。