菅野智之

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3月31日放送、テレビ東京「追跡LIVE! Sports ウォッチャー」では、読売巨人軍の菅野智之を特集。約半年にわたる取材でうかがえたエースの大きな転機を伝えた。

デビューした1年目に開幕から3連勝を飾った菅野は当初、「オレどんだけ勝てるのかな」「全然楽勝じゃん」と思ったこともあったという。だが、徐々に自分のボールを打つようになるプロの世界に「このままじゃ絶対シーズン勝てない」と、聞きづらいことでも先輩たちに尋ねて改善していった。

進化を続けようとする姿勢は、圧巻のパフォーマンスで沢村賞を受賞した昨年の出来を経ても変わらない。新球種シンカーに挑戦した菅野は「自分が進化しないとやられてしまう世界」「変化をおそれずやっていきたい」と語る。

「目標を達成したって思うときは絶対に来ないと思う」という菅野は、伸びしろがなくなれば逃げ道もなくなるとし、「自分の中で伸びしろを感じられなくなったら」野球を辞めるとまで口にした。

それだけ冷静に自分を客観視し、向上していけるのは、少年時代から菅野を取り巻いていた環境にある。祖父はアマチュア球界の名将。おじはあの原辰徳と、華麗なる野球一家に育ったからだ。

小さなころから何をしても、どこに行っても「原監督のおい」と呼ばれ、菅野は「おかしくなりそうだった。本当にグレそうだった」と明かした。「この子、原監督のおいなんだよ」と紹介されることに、「いや、オレ菅野智之って名前だし、菅野智之って人間だし」と怒りを覚えていたのだ。

自分は果たして何者なのか。そんな“影”は、プロになってからも消えなかったという。だが、昨年11月に大きな転機が訪れた。球場以外で一度も並ばなかったおじ・原辰徳とゴルフを一緒にラウンドしたときのことだ。

中学時代の投げ方から「もしかしたらすごい」と菅野を評価していたと明かした原辰徳氏は、自身の退任後も菅野が「一人で自立しながらよくやっている」と称賛。最後に、「君は超えるよ、僕を。間違いなく」と、太鼓判を押した。

カメラが回っていないところでもほめられたことがなかったという菅野は、偉大なおじに初めて認められて「ビックリ」と驚き、「いつか超えるぞ」と思っていたおじから「少しは認めてもらえたのかな」とうれしそうな表情を見せた。

これまでは「原監督のおい」という肩書が嫌だったという菅野だが、開幕直前には「そういうのはもうなくなりました」とコメント。「原辰徳のおいであることは変わらないですし、原辰徳のおいとしてやっぱりここまで頑張ってこれた」と、心境の変化を明かした。

「いつか菅野のおじさんが原監督だったって言われるようになりたい」と、反骨心を原動力に戦ってきた菅野。だが、今は「ちゃんと菅野智之として戦っている」と語った。