3月14日、決算の再延期で会見した東芝の綱川智社長。(写真=時事通信フォト)

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2015年に粉飾決算が発覚した東芝が、今度は米国での原発事業において7000億円以上もの巨額損失を抱え、経営危機に陥っています。なぜ、経営再建を進めてきながら、このような事態に至ってしまったのでしょうか。その背景として、2つのポイントを挙げることができます。

1つは、人の注意力には限りがある、ということです。ノースウェスタン大学のウィリアム・オカシューによる「アテンション・ベースト・ビュー」という理論では、限られた資源である経営者の注意(アテンション)をどこに向けるかが、企業の業績を左右すると指摘しています。心理学の有名なコンセプトにも「マジックナンバー7±2」があります。人が同時に対処できるのは7つ前後という意味です。

経営資源の中で最も貴重なものはトップの時間です。例えば、多角的にビジネスを展開している企業の経営者が、自分の出身のビジネスのことはよくわかるが、ほかのビジネスのことはよくわからない、という話はよく聞かれることです。

東芝の場合、米国の原子力会社であるウエスチングハウス(以下WH)における巨額損失が明るみに出たのは、15年に粉飾決算が発覚して、しばらくしてからのことでした。粉飾決算の発覚と同じ年にWHが現地の建設会社の買収に際して無理な契約を交わしていたことに対して、十分な注意が払われていなかったということです。自分の足元に火がついていたので、海外のことまで目が向かなかった。その間に、海外でとてつもない爆弾を抱えてしまっていたのではないでしょうか。

確かに、粉飾決算が明らかになってドタバタしていたときであり、対応するには難しい状況だったとは思います。

スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』(キングベアー出版)に、緊急度と重要度による時間管理のマトリックスの話が出てきます。緊急度の高いものと重要度の高いものがあった場合、人は緊急度の高いものに引っ張られがちで、重要度の高いものになかなか手がつけられず、その結果、後からそれが大きな問題として浮上してきます。東芝の今回のケースは、まさにそういうことだろうと思います。会計不祥事の後に、このような問題が出てきたことは、ある意味必然だったのかもしれません。

よくよく考えてみると、粉飾決算を招いた「チャレンジ」と称した過剰な業務目標の要求も、今回のWHの件も、根は同じかもしれません。どちらも、短期的な目的に注意が集中したために、本当に重要なことは何かを見失い、結果として粉飾決算と巨額損失を招いたと言えます。

■『きのうの専門家』でも『あすの専門家』ではない

もう1つのポイントは、経営の意思決定を専門家に委ねてしまっていたように見えることです。WHの買収に携わった佐々木則夫元社長は原発の専門家でした。しかし、その後の社長には原子力事業に詳しくない人が続きました。そのため、専門家に「これは大丈夫です」と言われると、「専門家がそう言うなら」と、専門家に判断を任せてしまっていたのではないかと思います。

経営者は、専門家に任せることも大事ですが、すべてを任せてしまうことは、経営者としての役割を果たしていないことと同じです。よく、失敗すると「任せた専門家が悪い」「コンサルタントのせいだ」などと言う経営者がいますが、その専門家やコンサルタントを選んだのも、任せたのも、すべては経営者の責任です。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文春文庫)に、専門家をめぐって次のような話が出てきます。日露戦争の旅順攻略で、司令官の乃木希典は、砲兵の専門家の立てた作戦をそのまま用いたために、戦死者の山を築きます。戦況を立て直すために乗り込んできた総参謀長の児玉源太郎は、そんな乃木を「専門家に呑まれた」と見ます。

児玉の考えでは、敵の要塞を粉砕するには、重砲を集めて間断なく撃ち続けることでした。しかし、専門家は無理だと否定します。その理由は、今までやったことがないから、というものでした。次の文章に、児玉の専門家に対する見方がよく表れています。

児玉は過去に何度も経験したが、専門家にきくと、十中八、九、

「それはできません」

という答えを受けた。かれらの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。児玉はかつて参謀本部で、「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」とどなったことがある。専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。児玉は、そのことをよく知っていた。(『坂の上の雲 5』より)

もし、児玉が「きのうの専門家」に従っていたら、旅順を攻略することはできなかったでしょう。原子力もそうですが、最近はAIやフィンテックなど、専門知識がないと判断が難しくなってきているのは事実です。しかし、だからといって、経営者が専門家に判断を委ね、「専門家でないからわからない」とか、「専門家に任せていたのに失敗したのは、その専門家が悪い」と言うのは、経営者の役割や価値を自己否定することと同じです。

東芝のWHのケースも、「専門家に任せておけば大丈夫」、あるいは「自分は詳しくないから口出ししてはいけない」という気持ちがあったのではないでしょうか。

専門的な領域であっても、経営的に見れば、おかしいと気づけた部分はどこかにあったはずです。あるいは、そのことに気づけたとしても、専門家に「大丈夫です」と言われて、その判断に頼ろうという、無意識の責任逃れが起きていたのかもしれません。

■ジャック・ウェルチの「2つの目」とは

経営者に求められるのは、「自分が最終的な責任を取る」という覚悟です。専門家に任せることは必要ですが、誰に任せるかの見極め、そしてその説明が納得のいくものかどうかは経営判断です。

そうした1つ1つの「関所」をきちんと考え抜き、責任を持って任せることができれば、うまくいかなかった場合でも、どこが間違っていたのかをしっかりと振り返り、そこから学べることがあるはずです。

「専門家の言う通りにする」という誘惑は結構大きいものです。しかし、その誘惑に惑わされないことが必要です。恐らく、東芝クラスの経営者であれば、「おかしいのでは」と思っていたのではないでしょうか。問題は、その次です。専門家、先輩経営者の言うことが違うと気づいたときに、しっかりと指摘することができるかどうか。もしそこで、「そんなことを言えば、あの人が怒りそうだから、まあいいか」と思ってしまうようでは、経営者としての資格はありません。

東芝と同じように、事業を多角的に展開しながらも、うまく経営されているのがGEです。前CEOのジャック・ウェルチもそれぞれの事業を専門家に任せながら、同時に厳しい目でチェックをしていました。経営の視点からさまざまな質問をし、CEOとして納得できるような説明を求めます。ウェルチは、「専門家には専門知識がある。だが、私には2つの目がある」と述べています。

経営者とは、最後に責任を負わなければならない、非常に厳しい仕事です。しかし、東芝を見ていると、その部分で無意識かもしれませんが逃げてしまったように見えるのです。経営者にとって能力は必要条件です。十分条件は、その能力や注意力の配分、そして最終責任者としての自覚と行動です。

(増田忠英=構成 時事通信フォト=写真)