ASKAが証人出廷「衣替えしたらポケットから覚せい剤が…」
覚せい剤などの違法薬物を所持、使用したとして昨年9月に東京地裁で懲役3年執行猶予4年の判決を受け確定した、人気歌手のASKA。彼を巡る薬物騒動はこれで収束した訳ではない。
ともに覚せい剤を使用した元会社員、栩内(とちない)香澄美(37)にも今年1月、懲役2年執行猶予3年の判決が下されたほか、ASKAに薬物を売っていたとして指定暴力団住吉会系組幹部、安成貴彦(47)と、ASKAの知人で無職の、柳生雅由(64)も逮捕され、現在、東京地裁で審理が行われている。
3月19日、この安成被告の裁判にASKAが証人として出廷した。東京地裁425号法廷で開かれた審理は傍聴券交付となり、約250人もの傍聴希望者が列を作った。ASKAは安成被告が否認している薬物譲渡を立証するために呼ばれた検察側証人である。
証言台の前には衝立てが置かれ、全く姿は見えないが、テレビなどで聞き覚えのあるASKAの声が、衝立ての奥から聞こえてくる。早口な女性検察官からの質問に、次々と答えていった。
検察官「あなたは平成26年5月17日、目黒区の自宅で覚せい剤とMDMAを所持、使用したとして刑事裁判を受けましたね。自宅から見つかったMDMAと覚せい剤はどのようにして手に入れましたか?」
ASKA「えー、柳生氏を介して手にいれました」
検察官「MDMAはいつ手に入れましたか?」
ASKA「おととし……あっ、去年ですね。3月24日です。柳生氏に連絡して持ってきてもらいました。自宅ガレージでMDMAを手に入れました。お菓子の袋の中に入っていました。この時50万円で100錠買いました」
国民的歌手だったASKAの羽振りの良い違法薬物の買いっぷりが、ここから次々と明らかにされていく。
ASKA「柳生氏には5錠から10錠と言っていたんですが、昼間、柳生氏がウチに来た時、手ぶらで来て『50じゃないと売らないと言ってる』と。仕方ないと言うと、柳生氏はどっかに電話して、その後『100じゃないと売らない』と。仕方ないなと買いました」
検察官「100錠と、自分で数えたんですか?」
ASKA「数えてないです。袋に入ってる量で大体そのくらいかなという意識です。手に入れた後は小分けにして保管したものと、電子タバコのケースに入れてました。軍手の中に入れてました」
購入から逮捕まで週1ペースでMDMAを使用し、逮捕時には87錠、自宅から発見された。
ASKA「この日は覚せい剤も一緒に買いました。3グラムだったと思います。合わせて80万円です。柳生氏には6万円渡しました。合計86万円です」
ASKAはほぼ10日に1回のペースで3グラムずつ、柳生氏から覚せい剤を購入していたことも語った。「今日、会えませんか」という電話をかけることが注文の合図。チップスターの袋に入れて持ってきてくれる柳生氏への報酬は毎回6万円。1度の覚せい剤取引で毎回36万円、渡していた。
「ガラスパイプをパケに突っ込み、ねじりこんでその中に覚せい剤を直接入れてました。アブリと呼ばれる方法で使用していました。リラックスしてとても落ち着く感じがします」
と、具体的な使用方法や、キメたときの感想も語っている。また、「柳生氏」を介した安成被告との取引は、7年前の夏から1年ほど続けた後一旦途絶え、平成25年の11月頃、再開した。取引が途絶えている間は1年ほど吉田という別の人物から覚せい剤を購入していたというが、ここで揉め事が起こり、吉田との取引は止めたという。
検察官「いつ頃、吉田から購入していましたか?」
ASKA「一昨年1月から1年ほどです」
検察官「平成25年じゃなかったですか?」
ASKA「……だと思いますが……」
検察官「2012年では? 平成24年じゃないですか?」
ASKA「あっ24年かもしれません」
冒頭からもそうだったが終始、「年」を間違えることが目立った。吉田からの取引は1年でやめたが「使用してるとこを隠し撮りされて、5000万円を要求されるようになったからです。週刊文春に載りました」と文春のスクープにより一時使用を止めていたことも明かした。ところが再び覚せい剤に手を染めるようになったキッカケは、ある秋の深まった日のこんな些細な出来事からだった。
ASKA「吉田から入手したときの覚せい剤を袋に小分けにしていたのが、冬物と夏物の服を入れ替える時、ポケットから出てきたからです。この時出てきた覚せい剤は使用しました」
こうして2年前の11月から覚せい剤を再開したという。大物歌手だったASKAが自ら衣替えをすることに地味に驚かされる。1回の取引で36万、これを10日ごとに、と考えると単純計算で1年間の覚せい剤代金は1296万円。実際は半年ほどで逮捕をむかえ、取引が続くことはなかったが、すごい金額である。
ASKA「逮捕当初の取調べでは柳生氏の名は出さず、吉田の名を出していた。……隠し撮りされた上に、金を要求されて許せないという気持ちがあって、最初は吉田の名前を出してました」
と吉田の裏切りを逮捕当時も根に持っていたようだ。「覚せい剤ではなく3CPPという当時違法でないものを買っていた時期がある」「あまりにもニセモノのMDMAを売られたんで返した」「アンナカと覚せい剤は見れば全然別だと分かります」など、経験に裏打ちされた薬物への深い造詣を垣間見える供述もチラホラと聞かれた。
ASKAは吉田に一度、「裏切られた」身でありながら、再び違法薬物に手を出した。柳生被告が安成被告に、“取引の相手はASKA”であることを伝えていることも薄々勘付いていたという。「立腹しました。名前を出さないことが最低必要条件だったからです」と、これに怒りを示しながらも「取引は続きました。他に方法がなかった」と、語っている。
破滅を予感しながら、それでも覚せい剤を続けていたのである。
著者プロフィールライター
高橋ユキ
福岡県生まれ。2005年、女性4人の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成。著作『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)などを発表。近著に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)