中学生になったはるかぜちゃんが問う「正しいって何だろう?」
最近、ニュースを騒がせているトピックの一つが、有名人によるSNS(特にツイッター)での対応だ。ツイッターによって芸能人と一般ユーザーが直でつながれるようになったが、その反面、少数の一般ユーザーによる悪意のある言葉もダイレクトに届くようになった。そして、芸能人の中には、そういった心ないつぶやきに“反応”し、“炎上”騒ぎになってしまう人もいる。
春名風花さん、アカウント名は「はるかぜちゃん」、現在中学生。ツイッターを日常的に使う人で、この女の子の名前を一度も見たことがないという人は少ないはずだ。9歳のときにツイッターをはじめた彼女を一躍有名にしたのが、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(都条例)に対する批判ツイートだった。
自分が好きな作品が「不健全図書」の中に含まれるかもしれない。そんな不安から、叫んだ声だった。
「・・・子どもから、いっさいの汚いものや怖いものを隠してしまうと、ぼくたちは本当に人を傷つけないとわからなかったり、傷つけてしまってもその大きさがわからなかったりする大人になるかもしれないと思う・・・」(本書p20より)
春名さんによる、一連の都条例に関するツイートは、メディアなどにも取り上げられ、大きな波紋を呼んだ。もちろん応援してくれる人もいた。その一方で、「子どもが意見を言う」ことを好ましく思わない人もいた。「いろんなことがそこから広まっていったように思います」と春名さんは回想する。
『少女と傷とあっためミルク 心ない言葉に傷ついた君へ』(春名風花/著、扶桑社/刊)は、春名さんが、これまでのツイッターでの様々なやりとりを通して、春名さんが「正しさ」を考えていく一冊だ。いじめ、炎上、差別…彼女の周囲では様々なことが起こっている。子どもから大人になるその過渡期、最も「正義」や「悪」やその中間にあるものに対してセンシティブになる年頃だからこその言葉がつまっている。
■心ない言葉を投げかけてくる人について
現在も春名さんはツイッターを続けている。フォロワー数は約17万人。日常のことや仕事のこと、そして考えたことを中学生らしくつぶやいている。しかし、そんな春名さんに対してひどい言葉を投げつける人はいっこうに減らない。
しかし、春名さんにとって最悪なのは、直接言葉を投げつけてくる人だけではない。それよりも最悪だと思うのが、ひどい言葉をつぶやく人たちをかばう人たちのことだ。
彼らは、春名さんが注意すると、口をそろえてこんなことを言い出すそうだ。
「死ねなんて、ネットの世界では単なる挨拶のようなもの」
「軽い気持ちで死ねと言っただけなのに」
「公共の場で、影響力のある芸能人に注意を受けて恥をかかされた。これはいじめだ」(p140より)
軽い気持ちだろうが、「死ね」という言葉に変わりはない。言われた側にしてみれば、自分に「死ね」という言葉を向けられているという事実を受け取らなければいけない。そもそも、賢明な人間であれば、「死ね」という言葉を軽い気持ちで使うこと自体が、おかしいと思うはずだ。しかし、春名さんに向けられたそれは、膨大な数になる。
それでも、春名さんは「死ね」とは言い返さないようにしているという。それはなぜだろうか。
春名さんは本を読んで、「人間としての尊厳を他人にひどく傷つけられた者は、自分を守るため、生き延びるため、ほかを傷つけることにためらいがなくなる」ことを知った。匿名で活動できるインターネットは、日常の“弱い自分”から離れられる場所だから相手に対して強く出ることができる。それは弱い自分を守りたいから。
「悲しい暴力の連鎖は、誰かがとめないといけない」。春名さんはそんな信念を持ってユーザーたちと会話をしている。
「正しいって何なんだろう」という本書の帯の言葉通り、この本には正しさについて考える上でのきっかけがつまっている。もちろん、春名さんの言葉が100%正しいと受け取る必要はない。そもそも、正しさというのは定義のしようがないものだ。
しかし、正しさについて考え直すことは誰にでもできる。ふとツイッターに書いた言葉が誰かを傷つけているかもしれないし、嫌な気持ちにさせているかもしれない。想像力をもって考えてみよう。そんな、当たり前だけど忘れがちなことを思い出させてくれる一冊だ。
(新刊JP編集部)
春名風花さん、アカウント名は「はるかぜちゃん」、現在中学生。ツイッターを日常的に使う人で、この女の子の名前を一度も見たことがないという人は少ないはずだ。9歳のときにツイッターをはじめた彼女を一躍有名にしたのが、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(都条例)に対する批判ツイートだった。
「・・・子どもから、いっさいの汚いものや怖いものを隠してしまうと、ぼくたちは本当に人を傷つけないとわからなかったり、傷つけてしまってもその大きさがわからなかったりする大人になるかもしれないと思う・・・」(本書p20より)
春名さんによる、一連の都条例に関するツイートは、メディアなどにも取り上げられ、大きな波紋を呼んだ。もちろん応援してくれる人もいた。その一方で、「子どもが意見を言う」ことを好ましく思わない人もいた。「いろんなことがそこから広まっていったように思います」と春名さんは回想する。
『少女と傷とあっためミルク 心ない言葉に傷ついた君へ』(春名風花/著、扶桑社/刊)は、春名さんが、これまでのツイッターでの様々なやりとりを通して、春名さんが「正しさ」を考えていく一冊だ。いじめ、炎上、差別…彼女の周囲では様々なことが起こっている。子どもから大人になるその過渡期、最も「正義」や「悪」やその中間にあるものに対してセンシティブになる年頃だからこその言葉がつまっている。
■心ない言葉を投げかけてくる人について
現在も春名さんはツイッターを続けている。フォロワー数は約17万人。日常のことや仕事のこと、そして考えたことを中学生らしくつぶやいている。しかし、そんな春名さんに対してひどい言葉を投げつける人はいっこうに減らない。
しかし、春名さんにとって最悪なのは、直接言葉を投げつけてくる人だけではない。それよりも最悪だと思うのが、ひどい言葉をつぶやく人たちをかばう人たちのことだ。
彼らは、春名さんが注意すると、口をそろえてこんなことを言い出すそうだ。
「死ねなんて、ネットの世界では単なる挨拶のようなもの」
「軽い気持ちで死ねと言っただけなのに」
「公共の場で、影響力のある芸能人に注意を受けて恥をかかされた。これはいじめだ」(p140より)
軽い気持ちだろうが、「死ね」という言葉に変わりはない。言われた側にしてみれば、自分に「死ね」という言葉を向けられているという事実を受け取らなければいけない。そもそも、賢明な人間であれば、「死ね」という言葉を軽い気持ちで使うこと自体が、おかしいと思うはずだ。しかし、春名さんに向けられたそれは、膨大な数になる。
それでも、春名さんは「死ね」とは言い返さないようにしているという。それはなぜだろうか。
春名さんは本を読んで、「人間としての尊厳を他人にひどく傷つけられた者は、自分を守るため、生き延びるため、ほかを傷つけることにためらいがなくなる」ことを知った。匿名で活動できるインターネットは、日常の“弱い自分”から離れられる場所だから相手に対して強く出ることができる。それは弱い自分を守りたいから。
「悲しい暴力の連鎖は、誰かがとめないといけない」。春名さんはそんな信念を持ってユーザーたちと会話をしている。
「正しいって何なんだろう」という本書の帯の言葉通り、この本には正しさについて考える上でのきっかけがつまっている。もちろん、春名さんの言葉が100%正しいと受け取る必要はない。そもそも、正しさというのは定義のしようがないものだ。
しかし、正しさについて考え直すことは誰にでもできる。ふとツイッターに書いた言葉が誰かを傷つけているかもしれないし、嫌な気持ちにさせているかもしれない。想像力をもって考えてみよう。そんな、当たり前だけど忘れがちなことを思い出させてくれる一冊だ。
(新刊JP編集部)