「一番大きな不条理は震災」平野啓一郎インタビュー(2)
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第63回の今回は、6月に発売された新刊『透明な迷宮』(新潮社/刊)が好評の、平野啓一郎さんが登場してくださいました。
ここ数年、『ドーン』、『空白を満たしなさい』など、長編の刊行が続いた平野さんですが、『透明な迷宮』は短編集。ある男女に起こった悲劇を描いた表題作に加えて、山陰地方の村で起こった不思議な出来事の顛末が語られる「消えた蜜蜂」、事故によって時間感覚が狂ってしまった男を描いた「Re:依田氏からの依頼」など、思わず日常を忘れて読みふけってしまう物語が連なっています。
今回は、この作品集の構想と執筆について、そして異色のデビュー歴について、平野さんにたっぷりとうかがいました。
■なぜ、あの瞬間だったのか?震災という「不条理」
―どの作品からも、ある種の不条理さが見て取れたのですが、そのあたりについてはいかがでしょうか。
平野:半分は今の自分の心境が反映されている気がします。一番大きな不条理といいますか、うまく自分の中で納得できないことといったら、やはり震災です。震災が来るということ自体は、科学的にはわかっていたわけですが、なぜあの瞬間だったのか?たとえば一時間ずれていればある人は死ななかったでしょうし、逆に今生きている人は死んでいたかもしれません。永遠に答えの出ない問いではあるのですが、そういう部分は最後まで自分の中に残るひっかかりでした。
それと、テクノロジーの分野を中心に、進展のスピードが速すぎて、人生のなかで一個人がコントロールできない部分が大きくなっている気がするというのもありますね。
かつての不条理ものの小説のように、持っている情報量が少なすぎて起きていることがわからないというのではなくて、情報はきちんと持っていて起きていることもわかっているんだけど、それにどう対処すればいいかというと結局何もできない。こういうタイプの不条理さの感覚がこの数年ずっとあって、それぞれの作品に形は違えど反映されていると思います。
―そういった感覚が一番よくあらわれているのは、主人公の時間感覚が周りからどんどんずれていってしまうという「Re:依田氏からの依頼」ではないでしょうか。
平野:そうですね。楽しい時間はすぐに過ぎてしまい、嫌な時間は長く感じるというのはどんな人も同じだと思うのですが、そういう体感している時間の違いが人間同士のコミュニケーションで大きなストレスになりうるんじゃないかと考えたことがこの作品につながりました。
また震災の話になりますが、東京の新聞記者の方が被災地の仮設住宅に行って、そこに住んでいる人に取材をする場面を見ても、普段東京で仕事をしていて、その日だけ取材でやってきてすぐに帰っていく人の時間感覚と、仮設住宅で生活している人とそれとでは明らかにズレがあります。決してコミュニケーションがうまくいっていないということではなくて、会話の間だとか結論にいたるまでの道のりといったところに見られるズレです。
こういうところに目をつけたのですが、リアリズムのやり方で繊細に書いてもわかりにくいので、この作品では幻想的に誇張して書いています。
―震災のお話の後ではごく小さなことですが、地元から東京に出てきた時にそういった時間感覚の違いに戸惑うことがありました。
平野:東京は異常だと思います。僕は京都が長かったのですが、京都から東京に移ってきた時は本当に疲れました。何か見えないものに巻き込まれている感覚といいますか、それは地方よりも東京の方がはるかに強いです。
―地方のお話が出ましたが、「family affair」は方言が鮮烈ですね。『決壊』もそうなのですが、平野さんの方言の文章からは、地元への愛着が感じられます。
平野:これは僕が育った北九州の方言ですね。登場人物も僕の地元にいるような人ばかりです。最近、この作品みたいに拳銃が見つかる事件があったりもしました。
アンビバレントなんですけど、住んでいた当時は北九州が本当に嫌いだったんですよ。でも、自分の「分人」の一つとして、北九州を故郷としている面も確かにあります。時々、批評家がヤンキー文化の話をしているのを見ると、ヤンキーだらけの土地で育った僕としては「オリエンタリズムじゃないのか?」と言いたくなったりしますしね。「フィールドワークが足らんな」と(笑)。
第三回 異例の「投稿デビュー」 そのいきさつとは につづく
第63回の今回は、6月に発売された新刊『透明な迷宮』(新潮社/刊)が好評の、平野啓一郎さんが登場してくださいました。
ここ数年、『ドーン』、『空白を満たしなさい』など、長編の刊行が続いた平野さんですが、『透明な迷宮』は短編集。ある男女に起こった悲劇を描いた表題作に加えて、山陰地方の村で起こった不思議な出来事の顛末が語られる「消えた蜜蜂」、事故によって時間感覚が狂ってしまった男を描いた「Re:依田氏からの依頼」など、思わず日常を忘れて読みふけってしまう物語が連なっています。
今回は、この作品集の構想と執筆について、そして異色のデビュー歴について、平野さんにたっぷりとうかがいました。
―どの作品からも、ある種の不条理さが見て取れたのですが、そのあたりについてはいかがでしょうか。
平野:半分は今の自分の心境が反映されている気がします。一番大きな不条理といいますか、うまく自分の中で納得できないことといったら、やはり震災です。震災が来るということ自体は、科学的にはわかっていたわけですが、なぜあの瞬間だったのか?たとえば一時間ずれていればある人は死ななかったでしょうし、逆に今生きている人は死んでいたかもしれません。永遠に答えの出ない問いではあるのですが、そういう部分は最後まで自分の中に残るひっかかりでした。
それと、テクノロジーの分野を中心に、進展のスピードが速すぎて、人生のなかで一個人がコントロールできない部分が大きくなっている気がするというのもありますね。
かつての不条理ものの小説のように、持っている情報量が少なすぎて起きていることがわからないというのではなくて、情報はきちんと持っていて起きていることもわかっているんだけど、それにどう対処すればいいかというと結局何もできない。こういうタイプの不条理さの感覚がこの数年ずっとあって、それぞれの作品に形は違えど反映されていると思います。
―そういった感覚が一番よくあらわれているのは、主人公の時間感覚が周りからどんどんずれていってしまうという「Re:依田氏からの依頼」ではないでしょうか。
平野:そうですね。楽しい時間はすぐに過ぎてしまい、嫌な時間は長く感じるというのはどんな人も同じだと思うのですが、そういう体感している時間の違いが人間同士のコミュニケーションで大きなストレスになりうるんじゃないかと考えたことがこの作品につながりました。
また震災の話になりますが、東京の新聞記者の方が被災地の仮設住宅に行って、そこに住んでいる人に取材をする場面を見ても、普段東京で仕事をしていて、その日だけ取材でやってきてすぐに帰っていく人の時間感覚と、仮設住宅で生活している人とそれとでは明らかにズレがあります。決してコミュニケーションがうまくいっていないということではなくて、会話の間だとか結論にいたるまでの道のりといったところに見られるズレです。
こういうところに目をつけたのですが、リアリズムのやり方で繊細に書いてもわかりにくいので、この作品では幻想的に誇張して書いています。
―震災のお話の後ではごく小さなことですが、地元から東京に出てきた時にそういった時間感覚の違いに戸惑うことがありました。
平野:東京は異常だと思います。僕は京都が長かったのですが、京都から東京に移ってきた時は本当に疲れました。何か見えないものに巻き込まれている感覚といいますか、それは地方よりも東京の方がはるかに強いです。
―地方のお話が出ましたが、「family affair」は方言が鮮烈ですね。『決壊』もそうなのですが、平野さんの方言の文章からは、地元への愛着が感じられます。
平野:これは僕が育った北九州の方言ですね。登場人物も僕の地元にいるような人ばかりです。最近、この作品みたいに拳銃が見つかる事件があったりもしました。
アンビバレントなんですけど、住んでいた当時は北九州が本当に嫌いだったんですよ。でも、自分の「分人」の一つとして、北九州を故郷としている面も確かにあります。時々、批評家がヤンキー文化の話をしているのを見ると、ヤンキーだらけの土地で育った僕としては「オリエンタリズムじゃないのか?」と言いたくなったりしますしね。「フィールドワークが足らんな」と(笑)。
第三回 異例の「投稿デビュー」 そのいきさつとは につづく