混迷の時代を表すキーワードは“透明な迷宮”平野啓一郎インタビュー(1)

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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
 第63回の今回は、6月に発売された新刊『透明な迷宮』(新潮社/刊)が好評の、平野啓一郎さんが登場してくださいました。
 ここ数年、『ドーン』、『空白を満たしなさい』など、長編の刊行が続いた平野さんですが、『透明な迷宮』は短編集。ある男女に起こった悲劇を描いた表題作に加えて、山陰地方の村で起こった不思議な出来事の顛末が語られる「消えた蜜蜂」、事故によって時間感覚が狂ってしまった男を描いた「Re:依田氏からの依頼」など、思わず日常を忘れて読みふけってしまう物語が連なっています。
 今回は、この作品集の構想と執筆について、そして異色のデビュー歴について、平野さんにたっぷりとうかがいました。

■「透明になったからこそ、“先行き不透明”になっている」
―『透明な迷宮』は、コンセプチュアルでとても美しい作品集です。この本がどのように構想され、書き上げられていったのかというところからまずお聞きできればと思います。


平野:僕は自分の創作の時期を「第1期」「第2期」というように分けて考えているのですが、『決壊』(2008年、新潮社)から『空白を満たしなさい』(2012年、講談社)までの「第3期」でかなりボリュームのある長編を書いてきました。そこに取り組んでいる中で、「そろそろ短編を書きたいな」という気持ちが湧いてきたというのがまず一つあります。
それと、「第3期」は、「分人(一個人の中にはいくつもの顔があり、場面や相手によって使い分けているが、“本当の自分”や“偽物の自分”という区別はなくどれも“本当の自分”とする考え方)」という概念をキーコンセプトになっている、人間のアイデンティティについての考え方や、自他の在り方についての考えを根本的に変えるような話が多かったので、読者を説得するような仕上げ方をする必要がありました。それもあって緻密に作り込んでいくような書き方をしていたのですが、『空白を満たしなさい』で「第3期」に一区切りついたことで、もう少し文学的なイマジネーションを自由に膨らませて、読者がつかのま非日常を体験できるような作品を書いてみたいと思うようになりました。
ただ、そういう非日常性ですとか幻想性というのを長編で扱おうとすると大掛かりになってしまいます。短編集という形をとったのはそういう理由もあります。

―それぞれの作品に核になるアイデアがあり、魅力的です。長編ではないにしても、構想にはかなり時間をかけられたのではないでしょうか。

平野:さきほどの話でいうところの「第2期」に、短編をたくさん書いていたのですが、思いついたアイデアをとにかくすぐに書いて、書いたさきから短編集にしていくというような感じで、一冊の短編集でも各短編の内容はばらばらでした。
今回の本は、そうではなく「一冊の本」としてのまとまりを重視しています。一つのテーマがいくつかの作品にまたがっていることもありますし、二つの作品にそれぞれ環境も関係性も違う別の姉妹を登場させて、「じゃあ姉妹って何なのかな?」と考えてもらったり、一冊を通して何かを感じてもらえるように意識していますね。
構想にかけた時間についてですが、僕はだいたいひとつの作品を書いていると別の作品のアイデアが浮かんでくるんです。この本はそういった形で、ここ数年執筆の過程で出てきたアイデアが形になったものです。

―『透明な迷宮』とは、すごくイメージが膨らむタイトルです。このタイトルにはどんな思いが込められているのでしょうか。

平野:やはり「混迷の時代」という今の世の中への意識が根底にはあります。
「先行き不透明」という言葉がよく使われますが、インターネットが登場したことで、人の心の中のことから地球の裏側で起こった戦争のことまで情報が入ってくるようになって、何もかもが「透明になった」とも言えると思うんです。ただ、透明になったからこそ、余計に先行きが不透明になっている、今の世の中はそういう不思議な時代だと思いますね。
迷宮って、普通なら視野が限られているから脱け出しにくいものなのですが、透明で壁がまったく見えない迷宮もまた脱け出すことができません。今回の本はそういう「透明がゆえに不透明」という逆説的なイメージを使って、今の時代の雰囲気を反映させたものになったかなと思っています。

―今おっしゃった意味合いとは別に、表題作の「透明な迷宮」で、登場人物の男女が、彼らを襲った悲劇の翌朝、たった数時間を別々に過ごしたばかりに、「透明な壁」によって決定的に隔てられてしまうという場面は非常に印象的でした。

平野:男女関係に限らず、人間関係全般にいえることですが、「あの人とはもっと仲良くなっていてもよかったはずなのに、結局そうはならずに終わってしまったな」ということがありますよね。もっと親しい関係になりたかったのに、ちょっとした回り道をしている間に全然違うところまで隔てられてしまったり。
自分では相手と近いところにいると思っていたけど、実際は透明な壁が間にあったんじゃないか、というところから発想した場面です。

―「ハワイに捜しに来た男」は他の作品とは少し毛色が違い、アクセントになっていました。こちらは文芸誌に発表した作品ではないんですね。

平野:「タカ・イシイギャラリー」っていう大きな写真ギャラリーが、写真家の森山大道さんの『ハワイ』という写真集とコラボレーションした企画があって、「ハワイに捜しに来た男」はその企画向けに書いた作品ですね。
『ハワイ』の写真は色々な場所で撮られているんですけど、どれも視点が一人称で、それって撮影している森山さんが被写体を探している視点のように思えました。そしてそれだけではなく、被写体を探しつつ、その被写体に反応する自分を探しているようなところもある。写真というのはある意味で自分探しみたいなところもあるんだなと、写真集を眺めながら考えていたらこの作品のアイデアが思い浮かんだ記憶があります。

第二回 なぜ、あの瞬間だったのか?震災という「不条理」 につづく