経済破綻はなぜ起こったか?(1)タイ編
「金融危機」または「世界的不況」と聞いて、まっさきに思い浮かぶのは、2008年のリーマン・ショックが引き金となって起こった世界同時不況だろう。しかし、その約10年前にも「このままでは世界が破綻する」とまで叫ばれた大規模な金融危機があったのを覚えているだろうか?
“ハイパーメディアクリエイター”として知られる高城剛氏は、これまで世界中を渡り歩いてきたなかで「経済破綻した国」を生で見てきた。その経験をつづったのが、著書『世界はすでに破綻しているのか?』(集英社/刊)である。
■訪れるごとに物価が下がっていく……
1997年頃、CGアーティストを探すという目的で、高城氏は何度もタイを訪れていた。
もともと物価の安いタイだが、当時はそれがさらに50%オフになった感覚で、訪れるたびに物価が下がっていたという。
この時、タイは「アジア通貨危機」のまっただなか。自国通貨であるバーツの価値が急落していたのだ。高城氏の定宿の宿泊費の表記が、ある日を境にバーツではなくドル表記になったというエピソードが何とも象徴的だが、この事態は一体なぜ起こったのだろうか?
■「アジア通貨危機」はなぜ起きたか?
1986年から1996年の10年間、タイ経済は年平均約10%という驚異的なペースで成長し、空前の好況に沸いていた。海外からの投資は増え、その資金を糧にしてさらなる成長を目指すという循環が生まれていた。
唯一の懸念点は、輸入超過で経常収支が長期的に赤字だった点だ。しかし、海外からの投資マネーがそのマイナスをはるかに上回っていたために、国全体としての収支はプラスになっている、というのが当時のタイ経済だった。
ただ、実は1995年4月から風向きは変わっていた。「プラザ合意」以降の急激なドル安による自国のインフレを問題視したアメリカが、その抑止のために「ドル高政策」に転換。これが、結果的に「アジア通貨危機」の始まりとなった。
■ヘッジファンドの「空売り」で決定的な危機に
タイ国内でも歯車が狂いはじめていた。
海外からの投資資金は不動産や株式市場へと向かい、いわゆる“バブル”の状態になっていたが、タイ政府がこれをコントロールできなかったのだ。供給過剰になった不動産市場は悪化し、株式市場は低迷した。経済基盤の弱さがあからさまに露呈した形となり、バーツはその信用を急激に失っていく。
ヘッジファンドはここに目をつけた。
「1ドル=25バーツ」に固定されていた為替レートが、実態経済に比べて高く評価されすぎている点を突いて、バーツに対して空売り(銀行や金融機関から株や通貨を借りて、値が高いうちに売却、値下がりしてから買い戻して返却することで利ざやを稼ぐ方法)を仕掛けたのである。このタイミングでタイ政府は財政収支の赤字化予想を発表したことが決定打となって、多くの投資家やファンドが一気にバーツ売りに動いたため、バーツの価値は急落。タイは実質的な経済破綻に追い込まれ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど複数の国を巻き込む大規模な経済危機に発展した。
ことの発端がアメリカの経済政策の転換であったと考えると、どんなに順調に思えたとしても小国の経済は大国の小さな身じろぎで一変するという不条理さを感じずにはいられない。その意味では、タイの例は日本にとっても他人事とは言えないだろう。
本書で語られている事例は、そのどれもが日本経済への示唆を含む。いざという時にも慌てず対処するためにも、世界の経済危機、経済破綻がなぜ起こり、どのように表面化したかを知っておくことは必須だろう。
(新刊JP編集部)
“ハイパーメディアクリエイター”として知られる高城剛氏は、これまで世界中を渡り歩いてきたなかで「経済破綻した国」を生で見てきた。その経験をつづったのが、著書『世界はすでに破綻しているのか?』(集英社/刊)である。
1997年頃、CGアーティストを探すという目的で、高城氏は何度もタイを訪れていた。
もともと物価の安いタイだが、当時はそれがさらに50%オフになった感覚で、訪れるたびに物価が下がっていたという。
この時、タイは「アジア通貨危機」のまっただなか。自国通貨であるバーツの価値が急落していたのだ。高城氏の定宿の宿泊費の表記が、ある日を境にバーツではなくドル表記になったというエピソードが何とも象徴的だが、この事態は一体なぜ起こったのだろうか?
■「アジア通貨危機」はなぜ起きたか?
1986年から1996年の10年間、タイ経済は年平均約10%という驚異的なペースで成長し、空前の好況に沸いていた。海外からの投資は増え、その資金を糧にしてさらなる成長を目指すという循環が生まれていた。
唯一の懸念点は、輸入超過で経常収支が長期的に赤字だった点だ。しかし、海外からの投資マネーがそのマイナスをはるかに上回っていたために、国全体としての収支はプラスになっている、というのが当時のタイ経済だった。
ただ、実は1995年4月から風向きは変わっていた。「プラザ合意」以降の急激なドル安による自国のインフレを問題視したアメリカが、その抑止のために「ドル高政策」に転換。これが、結果的に「アジア通貨危機」の始まりとなった。
■ヘッジファンドの「空売り」で決定的な危機に
タイ国内でも歯車が狂いはじめていた。
海外からの投資資金は不動産や株式市場へと向かい、いわゆる“バブル”の状態になっていたが、タイ政府がこれをコントロールできなかったのだ。供給過剰になった不動産市場は悪化し、株式市場は低迷した。経済基盤の弱さがあからさまに露呈した形となり、バーツはその信用を急激に失っていく。
ヘッジファンドはここに目をつけた。
「1ドル=25バーツ」に固定されていた為替レートが、実態経済に比べて高く評価されすぎている点を突いて、バーツに対して空売り(銀行や金融機関から株や通貨を借りて、値が高いうちに売却、値下がりしてから買い戻して返却することで利ざやを稼ぐ方法)を仕掛けたのである。このタイミングでタイ政府は財政収支の赤字化予想を発表したことが決定打となって、多くの投資家やファンドが一気にバーツ売りに動いたため、バーツの価値は急落。タイは実質的な経済破綻に追い込まれ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど複数の国を巻き込む大規模な経済危機に発展した。
ことの発端がアメリカの経済政策の転換であったと考えると、どんなに順調に思えたとしても小国の経済は大国の小さな身じろぎで一変するという不条理さを感じずにはいられない。その意味では、タイの例は日本にとっても他人事とは言えないだろう。
本書で語られている事例は、そのどれもが日本経済への示唆を含む。いざという時にも慌てず対処するためにも、世界の経済危機、経済破綻がなぜ起こり、どのように表面化したかを知っておくことは必須だろう。
(新刊JP編集部)