『徘徊タクシー』坂口恭平さんインタビュー(2)
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
昨日からお送りしている第62回は、『徘徊タクシー』を刊行した坂口恭平さんです。
『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『独立国家のつくりかた』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』など、フィールドワークや実際の体験・活動に基づいた本とはまた違った、「フィクション」という手法で物語が描かれています。
この物語を通して、坂口さんが描こうとしたこととは一体なんだったのでしょうか? 今回はインタビュー中編をお届けします。
(新刊JP編集部/金井元貴)
中編:坂口恭平が熊本で書き続ける理由
―この作品の前に出版された『幻年時代』という小説でも、痴呆症の祖母が少しばかり出てきます。『徘徊タクシー』と『幻年時代』のつながりは意識しましたか?
坂口恭平さん:『幻年時代』は、ノンフィクションと呼ばれている世界と、小説と呼ばれている世界の境目にあるドアのような本でした。もともとは「幼少期の思い出を書いて下さい」と言われて書いたもので、なかなか幼稚園に行けなかった自分の話なのですが、自分の日々の粒を見ていたら、ノンフィクションとして書けなくなってしまったんです。時間という概念を入れてしまうとどうしても世界が嘘くさく思えるようになるし、記憶は形があるものではないから、どうしてもフィクション的な要素が入ってくる。つまり、文章でしか表現できないものになってしまうんです。このときに、ノンフィクションや小説といった概念を自分の中で飛び越えることができたように思います。
だから、『幻年時代』は自分にとってすごく大きな本で、いわば人が立った瞬間です。この『徘徊タクシー』は立った後、今度は前を見て歩くという段階になります。ハンナ・アレントはヴァルター・ベンヤミンを「文の人」だと言いましたが、この「文の人」という表現が僕はすごく好きで、10年間原稿を書き続けてきて、自分が「文の人」、つまり作文家として立ちあがったのが『幻年時代』で、歩き始める第一歩が『徘徊タクシー』になると思っています。
―この小説をつくる上で、大事にしたことはなんですか?
坂口:「これはLPであろう」ということです。LP(レコード)は片面で40分ほどしか入らないので、次の一曲にいかせたくなるように限定的な時間をどうつくるかというのが大事になります。自分の中で体験した風景を見せて、読み手の日々の粒とリンクさせる必要があるので、音楽のアルバムをつくるイメージで全体の構想を練りました。また、好きな音楽を聴きながら書いていたので、実はこの本の裏にはファラオ・サンダースのサックスの音とかが入っています(笑)
あと、僕は小説を書こうと思って小説を書いているわけではありません。自分が今まで体験してきた日々の粒を文字として定着することで、写真にも撮れない、録音もできない、ビデオでも捉えられないような感覚を、人間が無意識の状態で共有できて、なおかつ行動に促すための装置として小説を選んでいるんですね。
―『徘徊タクシー』は坂口さんがお住まいの熊本が舞台になっています。もともと坂口さんは熊本のご出身でもありますが、熊本という街について特別な想いはありますか?
坂口:実はまったくなかったのですが(笑)熊本に帰って“新政府”を立ち上げると言ったとき、まず親から言われたのが、僕はどうやらアルベルト・フジモリ(ペルー元大統領、両親が熊本市河内町出身)の遠い親戚らしいということでした。また、この『徘徊タクシー』にも出てきますが、曾祖父が山口県の宇部炭鉱の労働組合長だった。
そんなエピソードがあるのですが、親はそれを僕にちょっとだけ隠していた気がするんですね。親は僕が口に出したこと全部実行することを知っていたから、なるべくその力を出さないでいてほしいという願いがあったようなんです(笑)
そういった血縁的な話もありますし、熊本という土地柄のエピソードがあります。僕は東日本大震災のあと、原発事故からの一時避難施設である「ゼロセンター」というスペースを作ったのですが、その場所は築90年にもなる木造の建物で、目の前が夏目漱石の旧居だったんです。まさにそこは『三四郎』の熊本での舞台のようなところで、小川三四郎はそこから東京に上京するわけですね。さらに、その(夏目漱石の旧居)の横が、維新の十傑の一人である横井小楠の生家で、さらにその真横が宮部鼎蔵(熊本藩士)の旧居なんです。
また、僕はそこから少し離れたところでポアンカレ書店という本屋を開いているのですが、目の前は宮本武蔵の旧居で、さらにその横は林桜園という幕末の思想家が開いた「原道館」という私塾だったんです。林桜園の思想は後の士族たちにも影響を与えていて、それが1876年に熊本で起きた「神風連の乱」につながり、西南戦争へと続いていきます。
そういうようなことが少しずつ分かってきて、近代以前の文化というのが熊本にはまだ息づいているように感じました。これは僕にとってすごく重要で、ようやく根を張るための土壌を見つけた。だから、熊本で書くということが大切なんです。
―『徘徊タクシー』にはそんな裏もあるわけですね。
坂口:実は『徘徊タクシー』の裏にはそういうことがたくさん流れています。
そういえば、グーグルマップで地名を調べながら小説を読んだという方もいましたね(笑)
―お話を聞いていて、坂口さんが知ってきた熊本の歴史は、いわゆる血液みたいなもので、外側からは見えないけれど内側にだくだくと流れているのだなと感じました。
坂口:小説ならば、そういうことを表現することができるんですね。個人それぞれにも、そういう歴史や物語が内包されていて、現実以外のもう一つのリアリティのある空間が広がっている。それを描くために、小説という装置を選んだということなんです。
― 『独立国家のつくりかた』などで、坂口さんが「レイヤー」という言葉を使って表現されていた概念でしょうか。
坂口:そうです。あの本では、それを「レイヤー」と呼ばないといけなかったけど、小説ではそう呼ぶ必要がありません。
9月に『現実脱出論』という、『独立国家のつくりかた』の続編が講談社現代新書から出版されるのですが(現在発売中)、これは無意識世界をダイブするという、『徘徊タクシー』の元になった考え方をまとめた本です。だから、実は僕の中では『徘徊タクシー』と『現実脱出論』は上下巻のつもりなんです(笑)版元も書き方も違うけれど同時期に書かれた本で、もし『徘徊タクシー』を読んで「短い」と感じたら、『現実脱出論』も読んでほしいです。
(次回へ続く)
昨日からお送りしている第62回は、『徘徊タクシー』を刊行した坂口恭平さんです。
『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『独立国家のつくりかた』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』など、フィールドワークや実際の体験・活動に基づいた本とはまた違った、「フィクション」という手法で物語が描かれています。
この物語を通して、坂口さんが描こうとしたこととは一体なんだったのでしょうか? 今回はインタビュー中編をお届けします。
(新刊JP編集部/金井元貴)
―この作品の前に出版された『幻年時代』という小説でも、痴呆症の祖母が少しばかり出てきます。『徘徊タクシー』と『幻年時代』のつながりは意識しましたか?
坂口恭平さん:『幻年時代』は、ノンフィクションと呼ばれている世界と、小説と呼ばれている世界の境目にあるドアのような本でした。もともとは「幼少期の思い出を書いて下さい」と言われて書いたもので、なかなか幼稚園に行けなかった自分の話なのですが、自分の日々の粒を見ていたら、ノンフィクションとして書けなくなってしまったんです。時間という概念を入れてしまうとどうしても世界が嘘くさく思えるようになるし、記憶は形があるものではないから、どうしてもフィクション的な要素が入ってくる。つまり、文章でしか表現できないものになってしまうんです。このときに、ノンフィクションや小説といった概念を自分の中で飛び越えることができたように思います。
だから、『幻年時代』は自分にとってすごく大きな本で、いわば人が立った瞬間です。この『徘徊タクシー』は立った後、今度は前を見て歩くという段階になります。ハンナ・アレントはヴァルター・ベンヤミンを「文の人」だと言いましたが、この「文の人」という表現が僕はすごく好きで、10年間原稿を書き続けてきて、自分が「文の人」、つまり作文家として立ちあがったのが『幻年時代』で、歩き始める第一歩が『徘徊タクシー』になると思っています。
―この小説をつくる上で、大事にしたことはなんですか?
坂口:「これはLPであろう」ということです。LP(レコード)は片面で40分ほどしか入らないので、次の一曲にいかせたくなるように限定的な時間をどうつくるかというのが大事になります。自分の中で体験した風景を見せて、読み手の日々の粒とリンクさせる必要があるので、音楽のアルバムをつくるイメージで全体の構想を練りました。また、好きな音楽を聴きながら書いていたので、実はこの本の裏にはファラオ・サンダースのサックスの音とかが入っています(笑)
あと、僕は小説を書こうと思って小説を書いているわけではありません。自分が今まで体験してきた日々の粒を文字として定着することで、写真にも撮れない、録音もできない、ビデオでも捉えられないような感覚を、人間が無意識の状態で共有できて、なおかつ行動に促すための装置として小説を選んでいるんですね。
―『徘徊タクシー』は坂口さんがお住まいの熊本が舞台になっています。もともと坂口さんは熊本のご出身でもありますが、熊本という街について特別な想いはありますか?
坂口:実はまったくなかったのですが(笑)熊本に帰って“新政府”を立ち上げると言ったとき、まず親から言われたのが、僕はどうやらアルベルト・フジモリ(ペルー元大統領、両親が熊本市河内町出身)の遠い親戚らしいということでした。また、この『徘徊タクシー』にも出てきますが、曾祖父が山口県の宇部炭鉱の労働組合長だった。
そんなエピソードがあるのですが、親はそれを僕にちょっとだけ隠していた気がするんですね。親は僕が口に出したこと全部実行することを知っていたから、なるべくその力を出さないでいてほしいという願いがあったようなんです(笑)
そういった血縁的な話もありますし、熊本という土地柄のエピソードがあります。僕は東日本大震災のあと、原発事故からの一時避難施設である「ゼロセンター」というスペースを作ったのですが、その場所は築90年にもなる木造の建物で、目の前が夏目漱石の旧居だったんです。まさにそこは『三四郎』の熊本での舞台のようなところで、小川三四郎はそこから東京に上京するわけですね。さらに、その(夏目漱石の旧居)の横が、維新の十傑の一人である横井小楠の生家で、さらにその真横が宮部鼎蔵(熊本藩士)の旧居なんです。
また、僕はそこから少し離れたところでポアンカレ書店という本屋を開いているのですが、目の前は宮本武蔵の旧居で、さらにその横は林桜園という幕末の思想家が開いた「原道館」という私塾だったんです。林桜園の思想は後の士族たちにも影響を与えていて、それが1876年に熊本で起きた「神風連の乱」につながり、西南戦争へと続いていきます。
そういうようなことが少しずつ分かってきて、近代以前の文化というのが熊本にはまだ息づいているように感じました。これは僕にとってすごく重要で、ようやく根を張るための土壌を見つけた。だから、熊本で書くということが大切なんです。
―『徘徊タクシー』にはそんな裏もあるわけですね。
坂口:実は『徘徊タクシー』の裏にはそういうことがたくさん流れています。
そういえば、グーグルマップで地名を調べながら小説を読んだという方もいましたね(笑)
―お話を聞いていて、坂口さんが知ってきた熊本の歴史は、いわゆる血液みたいなもので、外側からは見えないけれど内側にだくだくと流れているのだなと感じました。
坂口:小説ならば、そういうことを表現することができるんですね。個人それぞれにも、そういう歴史や物語が内包されていて、現実以外のもう一つのリアリティのある空間が広がっている。それを描くために、小説という装置を選んだということなんです。
― 『独立国家のつくりかた』などで、坂口さんが「レイヤー」という言葉を使って表現されていた概念でしょうか。
坂口:そうです。あの本では、それを「レイヤー」と呼ばないといけなかったけど、小説ではそう呼ぶ必要がありません。
9月に『現実脱出論』という、『独立国家のつくりかた』の続編が講談社現代新書から出版されるのですが(現在発売中)、これは無意識世界をダイブするという、『徘徊タクシー』の元になった考え方をまとめた本です。だから、実は僕の中では『徘徊タクシー』と『現実脱出論』は上下巻のつもりなんです(笑)版元も書き方も違うけれど同時期に書かれた本で、もし『徘徊タクシー』を読んで「短い」と感じたら、『現実脱出論』も読んでほしいです。
(次回へ続く)