5月特集 F1 セナから20年後の世界
中嶋悟インタビュー 後編

 アイルトン・セナは1984年、24歳のときにトールマンからF1デビューを果たした。F1初年度から非凡な才能を示したセナは、翌シーズンには名門ロータスに移籍。その年のポルトガルGPで早くも初優勝をあげた。

 ロータスには中嶋悟氏とコンビを組んだ87年シーズンまで所属し、その後、マクラーレン・ホンダに加入。88年、セナはアラン・プロストとともに全16戦中15勝という快挙を達成し、自身初の世界チャンピオンに輝いた。

 セナは90年、91年にもマクラーレン・ホンダでタイトルを獲得。ウイリアムズに移籍した94年シーズンの第3戦サンマリノGPで事故死するまでに、通算勝利数41(歴代3位)、ポールポジション獲得回数65回(歴代2位)という記録を打ち立てている。

 またセナは攻略がもっとも難しいサーキットと言われるモナコで通算6勝をあげ、「モナコマイスター」と呼ばれていた。

 亡くなって20年経った今でも「史上最速のドライバー」と称されるセナ。その速さの秘密は何なのか? セナとともに戦った中嶋氏に話を聞いた。


 セナは運転がうまかったですが、何か特別なドライビングをしているのかといえば、決してそうではありません。僕の運転の仕方とも変わりありません。ただ、僕が1秒間で5つしかマシンの操作をできないとしたら、彼は同じ時間で8つぐらいの操作ができる。言い換えると、僕にとっての1秒はセナにとって2秒ぐらいに感じているんじゃないか、ということです。

 きっと彼の目には、物事の動きが現実よりもすごくゆったりと見えていたと思います。そうじゃないと、ガードレールに囲まれた狭いモナコの市街地コースをあんなに速いタイムで走ることなどできるわけがありません。理屈が合わないんです。実際にモナコを走ると、次から次へとブラインドコーナーが迫ってきて、それに対応するだけで精いっぱいです。でも、きっとセナは周りがよく見えていて、僕が想像もつかないところまでちゃんと絵を描けているんです。だから、見えない壁の向こうにものすごいスピードで突っ込んでいくことができるのだと思います。

 普通の自動車の運転と、レーシングカーを走らせることは大きく異なります。レーシングカーを運転する時には"時間を削ること"が求められるのです。そのためには、前もって行動するしかないのです。

 よく「レーサーは反射神経がよいので速く走れるんじゃないですか」と言われますが、そうじゃないんです。反射神経は僕もセナもそんなに変わりませんし、F1のレースではパッと目の前の状況を見て、それに反応するのではとても間に合いません。

 たとえば、F1ドライバーはモナコGPが開催される市街地コースのトンネルを280キロ以上のスピードで駆け抜けていきます。トンネルを抜けてパッと視界が明るくなり、次のコーナーの入り口が見えます。でもコーナーが見えたあとに反応しても遅いんです。コンマ数秒で壁にゴンッとぶつかって終わりです。見えてから反応するのではなく、レーシングカーの運転では自分で時間をつくっていくんです。

 モナコのような市街地コースでは、コーナーの先がまったく見えません。見えないけれども、次に起こることを予想して仕掛けていくのです。「コーナーの先は見えないけれども、クルマがこういう動きをしているので、このままで走って行けばカーブをうまくクリアして、壁の10センチ横を通ることができる」とかね。そうやって実際に目に見える前に反応して時間をつくっていくことで、タイムを削り取ることができるのです。

 とはいえ、モナコはでひとつのコーナーをクリアしても、次から次へとコーナーが連続していきます。僕からすれば四六時中綱渡りしているようなものでした(笑)。だから何度も言いますが、セナの目にはよっぽど周りがのんびり見えていたんじゃないかと思うのです。

 きっと他のスポーツでも、セナのようにスーパースターと言われる人たちは、同じような感覚を持ち合わせているのだと想像します。視野が広く、他の選手には見えないものが見えている。さらに言えば、目だけじゃなく、頭の回転や記憶力などもうまくリンクさせながら機能しているのだと思います。

 たとえばサッカーでゴール前にセンタリングを上げる時に、自分のところに来たボールのどの部分を、どれぐらいの量のスピンをかけて蹴れば、味方にとって理想的なパスになるのか。おそらくスーパースターと言われる人たちは、ディフェンダーと味方の動きを全部見ながら、そのベストの答えを瞬時に判断して、プレーすることができるんだと思います。

 下手な人は周りがよく見えていないのでディフェンダーの近くにパスを出してしまったり、あるいはキックのスピンの量が多すぎたり、逆にうまくスピンがからなかったりしてボールがゴールラインを割ってしまう。

 野球でも同じだと思います。超一流のバッターはピッチャーが投げるボールと野手の動きを見て、「このボールの軌道だと、こういうふうにバットを振れば、二遊間があいているので、そこに飛ばせばヒットになる」と瞬間的に判断し、行動に移すことができる。それぐらいグラウンドでの一瞬の出来事がスローに見えていると思います。でも頭の中は普通の選手の何倍ものスピードで回っている。きっとセナも同じような感覚でマシンを運転していたと思います。

 そんなスーパーマンのセナですが、肉体的な能力に関しては、現在のF1ドライバーのほうが遥かに優れています。現役時代のミハエル・シューマッハは、レース後の表彰台で飛びはねていましたが、セナも、僕が88年から2年間チームメイトを組んだネルソン・ピケ(1981年、83年、87年の世界チャンピオン)も、ナイジェル・マンセル(92年の世界チャンピオン)も、レースが終わったあとは疲労困憊でした。表彰台で優勝カップを持つのもやっとということもありました。

 現代のドライバーたちは、マシンを速く走らせるためには肉体的な能力も必要だと分かっているので、若い頃からトレーニングを重ねて身体をつくってきています。だからシューマッハやセバスチャン・ベッテル、僕の息子の一貴(2007年〜09年にウィリアムズに所属)にしてもレースが終わったあとも元気いっぱいです。

 当時は、セナのようなトップクラスのドライバーでさえ肉体的な能力はまだまだ備わっていませんでした。それでも彼は、その卓越した技量で3回も世界チャンピオンになった。やっぱり彼はスーパーマンなんです。

 現役時代、僕はセナのライバルにはなれませんでしたし、チームメイトとして彼と常に比較されながら走るのは本当に大変だった。当時はセナの走りを見て、自分自身に失望したこともありました。でも今にして思えば、セナのような本物のスーパーマンの走りを間近で見ることができて本当に良かった。同じドライバーとして、心からそう思えます。

プロフィール
中嶋悟(なかじま さとる)
1953年 2月23日愛知県生まれ
国内ではトップカテゴリーF2シリーズで5回のチャンピオンを獲得。ホンダエンジンの開発にも参加し、F1テストドライバーも務めた。34歳で念願のF1フル参戦ドライバーとして、名門ロータスよりデビュー。('87-'89 ロータス、'90-'91 ティレル)この年から鈴鹿で日本GPが開催され、日本でのF1人気が一気に高まった。91年にドライバーを引退。ナカジマレーシングの総監督として、活動を開始。国内のトップフォーミュラー、耐久レースなどに参戦するとともに、国内外の若手ドライバーにチャンスを与え、ドライバー育成にも力を注ぐ。現在、日本レースプロモーション会長、鈴鹿サーキットレーシングスクール校長も務める。

川原田剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi