■ 私が出会った 上司列伝 第1回■/戸井 雄一朗
〜 無名のおっさん達から学んだ人生〜

第1回 : 礼節の人 大石伸晴氏

私に影響を与えた上司シリーズ、
第一回目は新入社員時代、私が配属された部の部長であった大石伸晴氏だ。

大企業になれば部長というのは、新入社員の仕事のスコープ内において最も高い職位ではないだろうか。 新入社員の私が仕事で直接絡むことはあまりなかったが、 仕事以外のところで多くの指導を受けた。 (やわらかく書いているが、よく怒られたということだ)

この方は気さくな方だが、非常に躾に厳しい方だった、仕事が出来る出来ない以前に、言葉使い、立ち居振る舞い、 電話の出方、お酒の注ぎ方に至るまで指導をされた。 社会人人生で一度しかない新入社員時代にこういう人が上司にいた意味は今思うと非常に大きかった。 私は生来あまり愛想のいいほうではない。 風貌も決して実直というイメージを与えないほうで、 今では立場的に辛辣な発言もしなくてはならないことも多い。 それでもクライアントから特に嫌われるようなこともなく仕事が出来ているのは、最低限の礼節がしっかりと身についているからだと思う。

新入社員時代に行われるビジネスマナー研修は数日で終わるが、 部長が指導教官となるとそうはいかない。 土日以外は気を抜けない日々が私を一気に社会人にした。

よく言われることだが、叱ってくれる上司がいることは貴重なことだ。 思えば、部長ともあろう人が新入社員の指導をする必要性はあまりない。 本当に私のことを心配してくれていたのだと思う。

常に人に見られていることを意識しなくてはならない。 人には礼節を尽くし、気を抜いてはいけない。 そうした社会人としての基本動作を教えていただいた。

彼のお客さんに対する立ち居振る舞い、日本人が苦手とする外国の方への接し方、どれをとってもスマートだった。 ブリティッシュジョークを交えながら、海外からの要人と会話をする姿は外交官さながら。 タクシーを捕まえて、お客さんを送り出す一連の動作などは芸術的だ。

私と妻にフレンチをご馳走していただいたことがあったが、 「あんなにスマートにフォークとナイフを使って綺麗に食べる日本人はいない」 といまだに妻は話題にする。

実家に届いた手紙の丁寧さと達筆さに母は感涙していた。

忘れられないのは私たちの結婚披露宴で仲人をお願いした時のスピーチだ。 なんと、あんちょこもなしに、両家の家族のプロフィールを詳細に、 兄弟姉妹の誕生日まで暗記して、紹介してくれたのだ。 話をしている姿は汗だくだったが、いつも通りスマートで完璧だった。 歳を重ねるほど、それがいかに大変でありがたいことかが良く分かる。 暗記するには相当の時間を費やしたに違いない。

ご紹介したエピソードはどれも直接仕事に関わりのないことだ。 たかだか入社2年目の部下の披露宴のスピーチに労力を費やしたところで、 出世するわけでも、お金が儲かるわけでもない。 それでも、多大な労力を費やしてくれたのは、彼が損得とは関係なく持っている基本的なマインドによるのではないか。 それは私は以下のようなものだと理解しており、仕事はもちろん、人間として本来培っておかなくてはならないものだと思う。

どんなに小さなことでも引き受けたからには責任を全うする

自分の損得よりも相手を喜ばせたいという気持ちが勝る
恰好悪いところはみせたくない。 何事も他人よりも上手くやりたいとい う欲求

優れたビジネスマンというのはスキル以前にこうした基本的なマインドを当然のように高いレベルで持っている。 大石さんはそれを新人の私にもわかる形で手本を示し、しかも労を惜しまずにそれを指導をしてくれた。 ビジネスマンである前に人として基本的な素養を身に着けること、 これが社会人としての第一歩であると。
新入社員であれば、多かれ少なかれビジネスマナー研修的なものがあるであろう。覚えておいてほしい。ビジネスマナーとは決して名刺の渡し方や電話の出方といったスキルではなく、責任感と他愛と美学を重んじるマインドの上にあるものだと。

ちなみに大石さんは私が新人当時の部長だったので、当時ですでに50歳を過ぎていたが、いまだにフランスのサプライヤーの日本支部で第一線で活躍されているそうだ。 立派な土台があれば、会社に依存せずにどこでも活躍できるということだ。

30歳を過ぎれば、誰も基本的なことを指導してくれなくなる。
日々の業務をこなすのに必死で、基礎的なものを忘れないようにしたいものだ。

戸井 雄一朗

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