のびしろを持つということ/野町 直弘
人生や物事にとって「のびしろ」や「のりしろ」はとても大切なことなのです。
私は小学生の頃定期的に購読していた雑誌等に付録されている紙製の簡単な組立て工作を作るのがとても好きでした。特に記憶に残っているのが「のりしろ」という言葉です。言うまでもなくこの「のりしろ」部分に接着剤や糊をつけて組立てをするのです。場合によってはこの「のりしろ」に番号が書いてあって同じ番号どうしを貼りつけると工作ができるようになっていて子供心に「のりしろ」というのはとても便利なものだな、と感じていました。
「のりしろ」に似た言葉で「のびしろ」という言葉があります。私はこの言葉も大好きです。
「のびしろ」とは、「伸び代」と書き、“まだ成長する余地があること”を意味します。昔から若手の社員や後輩に対して「のびしろ」を持ちなさいと言ってきました。
「のびしろ」の「しろ」とは「のりしろ」の「しろ」と同様に“ある目的のために余分に必要な余白部分”という意味なのだそうです。どちらの言葉にも共通するこの「余分なしろ」という意味合いがとても大事なことなのです。
本当に必要かと言われるとそうでもないけれど、その「しろ」があることで便利さや成長につながるという意味合いが含まれているからです。
特に今すぐ必要でなくても、将来仕事や人生の肥しになるということがとても大切です。
「のりしろ」にしても「のびしろ」にしても共通しているのは、自分が意識をしなければ(自分が持とうとしなければ)それに気づくことはありません。
私は調達購買人材向けの研修を日々やっていますが、研修をやっていて(もしくは研修の引合いを受けた時に)良く言われることがあります。それは「この研修は私の業務に役に立つのでしょうか?」とか「当社は独特な業種なのだがこの研修は当社にあっているのでしょうか?」ということです。
ある程度のカスタマイズは否定しませんが、そもそも研修とは一般化された体系的な知識を教えるものです。ですから「これは私の仕事とは違うから・・・」「これはうちの会社とは状況が違うから・・・」というのは単に応用力や創造力が欠如していると言わざるを得ません。
一般化された体系的な知識を如何に自分の業務や自分が今直面している課題を解決する手法として応用できるか、これが正に「のびしろ」がある人なのではないでしょうか。
それでは「のびしろ」を持つためにはどうすればよいでしょうか。
私と坂口孝則氏が2005年に立上げた購買ネットワーク会に参加されている多くの方々はとても自主性に富んだ方が多く、また気づきが鋭い方も多く、ある意味「のびしろ」が大きな方ばかりがいらっしゃいます。これらの「のびしろ」を持つ多くの方に共通する思考法は「面白い」とか「興味深い」と感じる感受性が強いことです。
何か事象があった時に、もしくは情報に触れた時に、もしくは話を聞いた時に、それに感受性強く接することで「面白さ」や「興味」を感じる、ここから次に自分の仕事や人生に落とし込み考える、ことができるという思考法を知らず知らずのうちに身に付けているのです。
「考えるのでなく、感じなさい。」これは私が中学生の頃に尊敬する恩師から教わったことです。何かを見た時、触れた時の最初の印象、これを大切にしなさいということです。
恩師はこの時こう教えてくれました。人間は考えることよりも感じることの方が難しいと。
実際に「感じる」ということはとても難しいことです。何故ならかなり意識しないと
「何も気づいたりしない」からです。日頃と同じ景色や日常生活の中で何かを感じること、これはいつもの繰り返しだから、となったら何も感じたり気づいたりしないからです。
今回このようなことを書くきっかけになったは昨年秋に実施した研修のアンケート結果をお客様から教えていただいたからです。
この研修(時間的には2時間程度であり講演的な内容ですが)は政府関連の独立行政法人の若手会計事務職員向けの研修会です。この研修は財務省から依頼を受けて『民間企業における調達の取組み』を伝えるプログラムを立上げたい、ということから依頼を受けたものでした。私はこの研修について依頼は受けたものの、若手会計事務職員が対象であり、契約担当職員ではいこと、また、そもそも公共調達の仕組みを教える傍らで民間の話をしたところで、チンプンカンプンでは、ということを依頼元にはお伝えしました。また、公共調達は様々な法的な制約もあり、「民間がこうやっている」という話をしても、自分達の仕事や業務に落とし込んで考えられる人は殆どいず結局『だから、何なの?』で終わってしまうのではないか、という危惧も持っていました。ですから是非とも今回の研修後の声を聞いて、どのような内容を聞きたいのか、フィードバックして欲しいとお伝えしていたのです。
結果的にはたいへん好評だったようです。
『民間調達がどのようにしているか、現状やその手法を知ることができて、視野が広がり大変勉強になった。大変わかりやすく参考となる講義だった。』
『民間調達は、得意先の業者から物品等を調達していると思ったが、複数業者に競争させて調達していることを初めて知った。また、調達することにあたって、量・コストなどプロセスの透明化を図る指標や目標をしっかり立てて、そこに重きを置いているということが興味深かった。』
『公共調達と民間調達についても共通の課題があることに驚いた。』
『公的部門でも進んでいる点があるというとらえ方は、そうした見方もあるものだと勉強になった。』
等々
このフィードバックを受けて私はとても嬉しく感じました。何が嬉しいかと言いますと「感じ」たり「気づい」たりがそこにはあったからです。
今回の研修の参加者には「のびしろ」を持つ方が多くいらっしゃったのでしょう。
「のびしろ」を持たなければ私の話はきっと退屈な遠くの世界の話で終わってしまったことでしょう。
「のびしろ」が大切なことを再認識する良いきっかけとなりました。
私は小学生の頃定期的に購読していた雑誌等に付録されている紙製の簡単な組立て工作を作るのがとても好きでした。特に記憶に残っているのが「のりしろ」という言葉です。言うまでもなくこの「のりしろ」部分に接着剤や糊をつけて組立てをするのです。場合によってはこの「のりしろ」に番号が書いてあって同じ番号どうしを貼りつけると工作ができるようになっていて子供心に「のりしろ」というのはとても便利なものだな、と感じていました。
「のびしろ」とは、「伸び代」と書き、“まだ成長する余地があること”を意味します。昔から若手の社員や後輩に対して「のびしろ」を持ちなさいと言ってきました。
「のびしろ」の「しろ」とは「のりしろ」の「しろ」と同様に“ある目的のために余分に必要な余白部分”という意味なのだそうです。どちらの言葉にも共通するこの「余分なしろ」という意味合いがとても大事なことなのです。
本当に必要かと言われるとそうでもないけれど、その「しろ」があることで便利さや成長につながるという意味合いが含まれているからです。
特に今すぐ必要でなくても、将来仕事や人生の肥しになるということがとても大切です。
「のりしろ」にしても「のびしろ」にしても共通しているのは、自分が意識をしなければ(自分が持とうとしなければ)それに気づくことはありません。
私は調達購買人材向けの研修を日々やっていますが、研修をやっていて(もしくは研修の引合いを受けた時に)良く言われることがあります。それは「この研修は私の業務に役に立つのでしょうか?」とか「当社は独特な業種なのだがこの研修は当社にあっているのでしょうか?」ということです。
ある程度のカスタマイズは否定しませんが、そもそも研修とは一般化された体系的な知識を教えるものです。ですから「これは私の仕事とは違うから・・・」「これはうちの会社とは状況が違うから・・・」というのは単に応用力や創造力が欠如していると言わざるを得ません。
一般化された体系的な知識を如何に自分の業務や自分が今直面している課題を解決する手法として応用できるか、これが正に「のびしろ」がある人なのではないでしょうか。
それでは「のびしろ」を持つためにはどうすればよいでしょうか。
私と坂口孝則氏が2005年に立上げた購買ネットワーク会に参加されている多くの方々はとても自主性に富んだ方が多く、また気づきが鋭い方も多く、ある意味「のびしろ」が大きな方ばかりがいらっしゃいます。これらの「のびしろ」を持つ多くの方に共通する思考法は「面白い」とか「興味深い」と感じる感受性が強いことです。
何か事象があった時に、もしくは情報に触れた時に、もしくは話を聞いた時に、それに感受性強く接することで「面白さ」や「興味」を感じる、ここから次に自分の仕事や人生に落とし込み考える、ことができるという思考法を知らず知らずのうちに身に付けているのです。
「考えるのでなく、感じなさい。」これは私が中学生の頃に尊敬する恩師から教わったことです。何かを見た時、触れた時の最初の印象、これを大切にしなさいということです。
恩師はこの時こう教えてくれました。人間は考えることよりも感じることの方が難しいと。
実際に「感じる」ということはとても難しいことです。何故ならかなり意識しないと
「何も気づいたりしない」からです。日頃と同じ景色や日常生活の中で何かを感じること、これはいつもの繰り返しだから、となったら何も感じたり気づいたりしないからです。
今回このようなことを書くきっかけになったは昨年秋に実施した研修のアンケート結果をお客様から教えていただいたからです。
この研修(時間的には2時間程度であり講演的な内容ですが)は政府関連の独立行政法人の若手会計事務職員向けの研修会です。この研修は財務省から依頼を受けて『民間企業における調達の取組み』を伝えるプログラムを立上げたい、ということから依頼を受けたものでした。私はこの研修について依頼は受けたものの、若手会計事務職員が対象であり、契約担当職員ではいこと、また、そもそも公共調達の仕組みを教える傍らで民間の話をしたところで、チンプンカンプンでは、ということを依頼元にはお伝えしました。また、公共調達は様々な法的な制約もあり、「民間がこうやっている」という話をしても、自分達の仕事や業務に落とし込んで考えられる人は殆どいず結局『だから、何なの?』で終わってしまうのではないか、という危惧も持っていました。ですから是非とも今回の研修後の声を聞いて、どのような内容を聞きたいのか、フィードバックして欲しいとお伝えしていたのです。
結果的にはたいへん好評だったようです。
『民間調達がどのようにしているか、現状やその手法を知ることができて、視野が広がり大変勉強になった。大変わかりやすく参考となる講義だった。』
『民間調達は、得意先の業者から物品等を調達していると思ったが、複数業者に競争させて調達していることを初めて知った。また、調達することにあたって、量・コストなどプロセスの透明化を図る指標や目標をしっかり立てて、そこに重きを置いているということが興味深かった。』
『公共調達と民間調達についても共通の課題があることに驚いた。』
『公的部門でも進んでいる点があるというとらえ方は、そうした見方もあるものだと勉強になった。』
等々
このフィードバックを受けて私はとても嬉しく感じました。何が嬉しいかと言いますと「感じ」たり「気づい」たりがそこにはあったからです。
今回の研修の参加者には「のびしろ」を持つ方が多くいらっしゃったのでしょう。
「のびしろ」を持たなければ私の話はきっと退屈な遠くの世界の話で終わってしまったことでしょう。
「のびしろ」が大切なことを再認識する良いきっかけとなりました。