新社会人に贈る2014[下]〜30代以降「選べる自分」になれるか/村山 昇
→新社会人に贈る2014[上]から続く。 後半は、選択肢をつくり出し、「選べる自分」になっていくことが大事であることをお話しします。

→新社会人に贈る2014[上]から続く。

◆その仕事はどれだけ「自分ごとの仕事」ですか?
「仕事との関わり方」の最後の観点は「仕事のオーナーシップ」です。オーナーシップ(ownership)とは、「所有権」の意味です。「仕事のオーナーシップ」とは、平たく言えば、その仕事をどれだけ自分のものとし、責任感や当事者意識を持ってやっているか、そしてその結果として仕事全体に自分の味わいがどれだけ醸し出されるかということです。「えっ? 自分がやっている仕事は、もちろん自分のものであるはず」と、就労経験の浅いみなさんは思うでしょう。ところが、仕事を「自分ごと」としてやっている度合いは人によってかなり違うのです。

例えば、いま企業内での仕事は高度に分業化され、個々に部分部分の仕事が割り振られます。その部分の仕事が合わさって、チームの仕事となり、会社全体の仕事となります。チームの仕事の最終的な責任はチームリーダーが、会社全体の仕事の最終的な責任は社長が負います。そのような中で、個人は与えられた仕事をするわけですが、「自分は言われたことはやっているんだから」と、あとのことは他人任せ・長任せのような意識の人が実は多いものです。こういう人は、往々にして、粗雑な仕事で後工程の人に迷惑をかけたり、全体の足を引っ張ったりします。あるいは、「全体の成績が上がらないのは上司・組織の問題だから自分には関係ない」「この事業に失敗しても、ま、会社のお金だし、しょうがないか。(自分の給料が出なくなるわけでもなし……)」としてどこか第三者的に傍観する。または批評や愚痴が口をついて出てくる。こうした意識の人は、仕事を「他人ごと」としてやっているのであり、そこには仕事を「自分ごと」として大事にするオーナーシップがありません。

家を考えてみてもそうでしょう。賃貸物件に住んでいる人は、家の扱いがどこか雑になりますね。それは家が他人の持ち物だからです。ところが自分の家を買った人は、家を大事に使おうとします。そして、住まう家主の性格がより濃く家のたたずまいとして表れます。

私は11年前に会社勤めをやめ、独立起業しました。私にとって、日々の仕事や事業は、まぎれもなく“私のもの”です。自分の一挙手一投足が事業に影響を与えますし、コピー用紙1枚を使えば、確実に自分の稼ぎからその分のお金が減ります。だから私はいま、自分の仕事に対し、責任においても、経済的にも、100%オーナーシップを意識しています。と、言いますか意識せざるをえません。個人事業主として世の中に対峙していますから、一つ一つの仕事を決して「他人ごと」として適当にやり過ごすことはできないからです。

「雇われる生き方」を選択している会社員は、「仕事のオーナーシップ」度合いにかなりの開きが出ます。一般的には、役職が上がっていくほどこの度合いは高まるように見受けられます。ただ、管理職クラスでも会社にぶら下がり意識の強い人はいますし、役員クラスでも、仕事を会社の金を使って行うマネーゲームのような感覚で「他人ごと」としてやっている人もいます。逆に、若い社員でも、自分の役割をチーム全体の中で認識し、前工程・後工程のことを考えて、責任と自覚をもって「自分ごと」として仕事を全うしようとする人もいます。

◆「雇われない生き方」を志向すると日々の仕事景色ががらり変わる
私がこの箇所でみなさんにお伝えしたいことは、もちろん「仕事のオーナーシップ」意識を強めていけ、ということではありますが、もっと言えば、人生で一度は「雇われない生き方」をやってみようという気概を持って働き続けてほしい、ということです。「雇われない」とは、ここでは、起業する・自営すると考えてください。

いまの日本では、多くの人が、「職業を持つこと=雇われて給料をもらうこと」であるかのように思っています。ですから生計を立てるために、常に「どこかに雇われなければ」と働き口探しに神経をつかいます。しかし、実際は、専門職として独立したり、会社を興したり、自営で商売を始めたり、誰かに雇われずに生きていく道だってさまざまあるのです。私は米国の大学院に留学したとき、卒業後に起業する人が多いのをみて驚きました。「会社員に戻ろうなんてとんでもない。独立するために、こうして大学院に来て自己投資している」という血の気の多い30代がたくさんいます。米国のしぶとさはこういう「個の独立心」にあるんですね。ひるがえって日本では、みなが「雇われたい病」「雇われなければ不安症」に陥っているかのようです。

結果的に自営業開業や起業するかどうかは別にして、少なくとも、「好機あらば独立してやるぞ」という心の仕掛けを保つことで、日々の働く景色はまったく違ったものになります。

例えば、私は会社員最後の5年間、管理職にありました。もともと職人気質の私は、自分で物事をつくり出すことが好きで、組織を管理する仕事は好きになれませんでした。パソコン画面を前に労務管理や財務数値管理、プロジェクトの進捗管理、部下との面談、組織運営のための会議など。ところが、ある時期から独立しようという思いが立ち上がり、そこから意識ががらりと変わりました。「自分の会社をつくるときのために、この管理業務は不可欠のものだ。だからいまのうちに何でも吸収しておこう」となったのです。日々の仕事が、ヒト・モノ・カネの管理業務のノウハウを学ぶ格好の場に変貌した瞬間でした。そのように管理職であるないにかかわらず、「いつか独立しよう」という意志を持つ者は、毎日を漫然と過ごさなくなるのです。業務の一つ一つが深い意味を帯びてくることを実感するでしょう。

それだけでも「雇われない生き方」を志向することには絶大な効果があるのですが、実際に独立してみると、さらに次元の違う深い充実が得られる世界があります。それについてはきょうは割愛しますが、いずれにしても、目の前の仕事を「他人ごと」として処理し、労働力を切り売りして給料に換える生活はどこかさみしい。そこには、仕事を労役と感じている「閉じた自分」がいる。自分の仕事にオーナーシップを感じ、「自分ごと」として、仕事を「自分を開く」機会として持続していく。みなさんにはこれからの職業生活をそう送ってほしいと願うものです。

◆人生とは「“選択”が描く模様」である
みなさんは当面、「仕事の内容」を選べるわけではありません。会社から言い渡される「仕事の内容」をただ引き受けてやっていくだけです。が、これまでみてきたように「仕事との関わり方」は自分がどうにでも決められるものです。ここはとても大事なポイントですから、しっかり頭に入れてください。

入社して1年や2年が経つと、「仕事の内容がつまらない」「仕事の内容が自分の能力とミスマッチである」「希望の仕事内容をさせてもらえない」などの不満がそこかしこで出始めます。転職を考える人も増えてきます。確かに人材紹介会社に登録すれば、「第二新卒の採用」ということで、いろいろな求人案件を紹介してもらえるでしょう。そして実際あなたは転職してもいいのです。しかし、そこで手にする自由は「小さな自由」です。私はもっと「大きな自由」を手に入れなさいと言いたい。

「仕事の内容」を選り好みし、すぐに居場所を変えようとする生き方は、早晩、行き詰まります。まずはどっしり腰を下げて、与えられた仕事と真正面から取り組むことです。そして、「自分の仕事をつくり出す」、「仕事に強い意味を与える」、「仕事を自分のものとして責任を持ち、自分の味わいを醸し出す」ことに専念すべきです。そうした「仕事との関わり方」において、自分らしさを強めていけば、おのずと成果が出、周囲からの信頼を得ることになるでしょう。すると、目の前には予想もしなかった選択肢がいろいろと見えてくるはずです。そのときの選択肢こそ、一段レベルの上がった、自分を確実に発展に導くものであり、そこに「大きな自由」が開けます。

人生は選択の連続です。そのとき人それぞれに「選択する力」の差があります。私はその「選択する力」を次の3つでとらえています。

 ・「選択肢を判断する力」
 ・「選択肢をつくる力」
 ・「選択を(事後的に)正解にする力」

1番目は、眼前にある選択肢のうちどれが最良のものかを分析・判断する力。2番目に、自分が選べる選択肢をつくり出す、増やす、呼び寄せる力。3番目に、自分が選んだ道をその後の努力で「これが正しかった!」と思える状況をつくる力。

ここでみなさんに強調したいのは2番目の力です。目の前の仕事にどんと向き合い、それとの関わり方を深めることが、巡り巡って選択肢を増やすことにつながります。「仕事の内容」を選り好みするだけの「選びにいく自分」は、じり貧になります。ですから、「いま・ここの仕事」をしっかりとやりきり、何かしらの結果を出す習慣をつけることです。日々その繰り返しです。でも、あるとき気づけば、「選べる自分」になっているはずです。そこで初めて、「仕事の内容」も選べるようになるのです。30代後半以降、会社の中で自分のやりたいことを伸び伸びとやっている人は、20代から30代前半にかけて、そうやって「仕事との関わり方」を深め、自分が求める選択肢を呼び寄せてきた人なのです。

◆どんな環境の中にも“正解はつくり出せる”
入社したてのころの「こんな仕事がしてみたい」という思いは大切にしてもいいものですが、その仕事は実は「ほんとうにやりたい仕事」「ほんとうの自分が成すべき仕事」ではないかもしれません。表面的なところをみて、あこがれているだけのことも多いからです。3年、5年、10年と働いて、選択肢を呼び寄せながら自分を発展させていく。その過程で見えてくる「やりたい仕事」がほんとうの仕事だと言えます。だから20代は希望の仕事ができないことで焦らなくていいのです。私自身も、いまでこそ教育の仕事をしていますが、30代半ばまで、まさか自分が教育の道で食っている、ましてやそれを天職と感じているなどとは夢にも思いませんでした。

米・コロンビア大学で哲学の教鞭を執るジョシュア・ハルバースタムは、『仕事と幸福そして人生について』の中でこう書いています。

「私たちは仕事によって、望むものを手に入れるのではなく、
仕事をしていくなかで、何を望むべきかを学んでいく」。

働くこと・仕事は、“正解のない問い”に対する自分なりの答えづくりだと冒頭に申し上げました。あらかじめの“正解がない”ということは、どんな環境の中にも“正解はつくり出せる”ことでもあります。正解とは、仕事をうまく効率的にやることに留まりません。その仕事に自分という存在の味わいを醸し出すこと。その仕事に没頭できる意味を付与すること。そして最後に「ああ、人生いろいろあったけど、結局自分はこの仕事と巡り会うことが必然だったのだ」と振り返られること。これが自分なりの正解をつくり出す戦いに勝利した証です。

ともあれ長く遠い職業人生が始まりました。当面は仕事に振り回されるばかりで大変かもしれません。しかし仕事は、学びの機会であり、成長の機会であり、人とつながる機会であり、社会に貢献できる機会でもあります。それらの機会を、給料をもらいながら体験できるのですからこんないいことはありません。どのみち、仕事は「しんどい」ものです。が、そこを「しんどいけど面白い」「厳しいけど充実している」に持って行けるかが大事です。そのために、きょうお話ししたことが役に立てば幸いです。

では、みなさんのご活躍を期待しています。いつかどこかでお会いしましょう!