衝突と膠着が続いていたタイ首都での反政府デモに新しい動きが出てきましたが、これは妥協を模索するというより、デモ隊側の内部事情によるもの。今回のデモの2つの原因(恩赦法、民主党幹部の訴追)の両方に関する政治的妥協がない限り、この騒動は収拾には向かわないでしょう。そして「赤シャツ派 vs 黄シャツ派」の対立の根本問題は根が深すぎて、簡単に解けるものではないようです。

(参考)「タイのビジネスパーソン達よ、目を醒ませ」http://www.insightnow.jp/article/8037

反政府デモ隊は「バンコク封鎖」と称して首都中心部を1月中旬から占拠し続けてきたのですが、ようやくこれを解除し(ただし反政府デモ自体は今後も継続し)、バンコク中心部のルンピニ公園内に拠点を移動したところです。

日本人には信じ難い話ですが、反政府グループ(黄シャツ派)が、日本でいえば大手町の交差点を不法占拠して、「政府はけしからん」と毎日大騒ぎしていたのです。警察官や機動隊は遠巻きに見守るだけで、手出しをしません(これは2010年の赤シャツ派のデモを当時の民主党政権が弾圧して日本人カメラマンを含む死傷者が出た挙句、政権がひっくり返った経緯があるため)。

デモ隊の連中だけでなく、彼らを応援する家族や友人・知人・赤の他人、ステージに登場する有名人を見に来た野次馬、そうした連中をあてにして露店も多く出ていたようです。長期化する占拠の間、非常事態宣言の発令、そして下院総選挙の実施がありましたが、全国の投票所のうち約1割で投票ができずに再選挙の実施が模索されています。

反発するタクシン派(赤シャツ派)の連中がその集会を狙って爆発物を投げ込んだり、互いに発砲したりして、子供を含む死傷者も出ていました。さすがに物騒なので、日本を含む諸外国は渡航者にその一帯には近づかないよう、警告を出していました。周辺のビジネス街の人たちも交通が遮断されて、不便さには閉口していましたし、周辺の店舗も客足がめっきり減ってしまっていたようです。小生が以前に指摘したように、明らかにビジネス上の影響が無視できなくなっていたのです。

多分、有力な支持者の一部が「そろそろ収束させないとマズい」と、デモ隊指導者とその背後にいる野党・民主党を説得したのでしょう。実際、バンコク・ポストなど、政権批判派だったはずの幾つかのメディアですら、デモ隊を主導するステープ元副首相の強硬姿勢に対し批判的な論調が目立っていました。それに加え、さすがに最近はデモへの参加者が減少しており(彼らも仕事を放り出してデモに繰り出す限界が近づいたのでしょう)、デモの主催者としても変化点を求めたようです。

しかしこれが政治的な妥協を模索するメッセージかというと、彼らはそんな淡泊ではありません。そもそも今回のデモのきっかけとなった出来事は2つあります。与党・タイ貢献党が、訴追されて国外亡命中のタクシン元首相の帰国を狙って恩赦法を国会に上程したこと(日本ではこちらだけが主に報道されています)。もう一つは、先に述べた2010年のデモ弾圧事件で国軍に発砲を許可したことで、アピシット前首相と治安担当のステープ前副首相が昨年10月に殺人罪などで起訴されたことです。前者の恩赦法は政権が既に取り下げていますが、後者に関しても政治的妥協が成立しない限り、反政府デモ隊が鉾を収めることはなさそうです。

でも仮にこうした妥協が達成されたとしても、この2派の対立の根は深く、この国の社会が和解に至る道は長いものになると思われます。何故か。「タクシン派」対「反タクシン派」とだけいわれると、まるで日本の「小沢vs反小沢」のように個人的好き嫌いがベースにあるように勘違いしかねませんが、根は地域の対立と社会層の対立の複合なのです。まずは構造を整理してみましょう。

赤シャツ派:いわゆるタクシン派で、タクシン支持者が赤をシンボルカラーとして揃いの赤シャツを着ることから名づけられました。現在政権与党であるタイ貢献党が中心機関で、名目上はタクシン氏の妹であるインラック首相がトップですが、もちろん国外亡命中のタクシン氏が実質的トップです。

黄シャツ派:いわゆる反タクシン派で、シンボルカラーが黄色です。野党である民主党が中心で、アピシット党首(前首相)がナンバー1、デモ隊の指導者のステープ元副首相がナンバー2です。この党の主な支持層は首都・バンコクと周辺に住む富裕層と中間層、そしてタイ南部に済む貧しい人々です。

携帯電話事業で莫大な富を築いたタクシン氏が政権を握り、2001〜2006年にかけて自己の出身地であるタイ北部を開発する政策を色々と執りました。そのお陰でその地域では、彼は今も教祖のような絶対的人気を誇ります。いわば「日本列島改造論」のタイ版を実行したのです。この一代で成り上がった「タイの田中角栄」に猛烈に反発したのが、既得権益者である都市住民です。とりわけ中華系を中心とする商業的な成功者などの既存エリート層であり、その代表がアピシット氏なのです。タクシン氏を追放した後、同国経済の一層の発展に寄与しながら、先の総選挙ではあっさりと足元をすくわれています。

今回のデモ騒動の原因と収拾イメージに関し、双方の言い分は対立し、全く相入れません。

先週話したタイ人の友人(バンコク市民で大企業経営者ゆえ、もちろん民主党支持者)によると、タクシン政権と同様、今のインラック政権も腐敗し切っており、投票と動員をカネで買っていると主張していました(一緒に聞いていた日本人の友人は多分、全部信じたでしょう)。価格維持のため、実質的補助金として北部の農民の米を買い上げたまま無駄に在庫しているなどの例を挙げ、それに対し都市部は渋滞対策などまだまだインフラ投資が不足していると批判。そしてバンコク市民やビジネスパーソン達は自分達の商売上の不利益を我慢しながら、タイの「真の民主化」のために多少の不法行為には目をつむって(これもタイらしいところです)、デモ隊を支持しているのだと強調していました。事実、デモ隊に対し、周辺の商店街の人やビジネスパーソンたちからは支援のための寄付が毎日寄せられているとのことでした。

一方、タイの政府関係者と親しい人の話では相当ニュアンスが違ってきます。北部の農村に多いタクシン派の人たちはもちろん投票ではタイ貢献党を支持していますが、それは賄賂によるのではなく、とにかく農村にインフラ投資をして農業の生産性を上げ、特産物を作るための仕掛けを施してくれたタクシン政権の政策を復活させて(地域によっては維持して)欲しいとの思いだそうです。取材した日本のTV番組で証言していた農家の主婦も、「私たちがまともな生活をできるようになったのはタクシンさんのお陰」と語り、「(黄シャツ派の連中は)私たち田舎者を馬鹿にしており、政府の金をつぎ込むことは全く無駄使いだと思っている」と怒っていました。

どうも日本での自民党による地方への無駄な公共投資とはインパクトや真剣さのレベルが違うと、小生には感じられます。そして対立の根本には、地方に公共投資をして経済的底上げをすることへの費用対効果の見方の違いがあるように思えます。言い換えれば、「今まで通り、バンコク中心に富めるものをより富ませれば、そのおこぼれで地方は十分食べていける」と考える黄シャツ派と、「バンコクの連中はもう十分に稼げるようになったのだから、次は農村を豊かにする番だ」と考える赤シャツ派の対立です(ただし黄シャツ派のうち南部の人たちは、いずれにせよ置いてけぼりなのですが…)。

利害関係の対立なのでこの根は1〜2年で解けるものではなく、今後何度も噴き出すと懸念されます。でも折角上昇気流に乗っているタイ経済が失速しないよう、ましてや深刻な内乱などに発展しないよう、双方には冷静な対応を期待したいものです。