佐村河内のものは佐村河内に/純丘曜彰 教授博士
/だれが著作者かは、その発意と責任で決まる。だれが実際に作業しようと、それはただの work for hire で、著作者たりえない。だが、発意そのものがパクリの寄せ集めとなると、そもそも著作物の定義を満たさない。/
この問題、どうもドシロウトたちが引っかき回して、無用にややこしくしてしまっているようだ。新たなワルが、わざわざ「ゴーストライター」だの、「共犯者」だの、世間の誤解を招くようなスキャンダラスな表現で、次の金儲けを狙っているのも気に入らない。
S村氏(生身の人間)が楽譜が書けない、楽器が弾けない、だからうんぬん、などというのなら、大阪城を作ったのは豊臣秀吉じゃない、大工さんだ、みたいな小学生並みのトンチ話になる。石一つ運ばず、釘一本打たずとも、それどころか本人は死んでしまっていても、クフ王のピラミッドはクフ王のものだし、金閣寺を作ったのは足利義満だ。なぜそういうことになるか、というと、著作者の定義は、実際に手を動かしたかどうかではなく、一般に(映画に限らず)、その発意と責任で決まるから。つまり、アイディアを思いついて、かつ、その完成にカネを満額払った人のもの。ペンキ屋のような work for hire (カネで依頼された仕事)は、他人の創作意志に服従するものであり、したがって、その創造性は依頼者の側に帰することになる。(途中で支払を踏み倒した場合は、完成意志の挫折なので、この限りではない。)
でも、実際に作ったのは私だ、だから、私のものだ、というような左翼の労働価値説的な誤解は、しばしば大きな紛争になる。有名なところでは、1999年から争われた『宇宙戦艦ヤマト』を巡る西崎義展と松本零士の裁判。当然、西崎が勝訴。同年には『キャンディ・キャンディ』でも、水木杏子といがらしゆみこで争われ、これまた当然に水木が勝訴。もしも、こんな作業者の理屈を認めたら、あなたが苦労して建てた家まで、大工のものになってしまう。とはいえ、逆に、裁判に依らず、実力行使で左翼が実質的に勝ってしまった例もある。1975年の『フランダースの犬』は、『アルプスの少女ハイジ』と同様、高橋義人の発意で始められたが、本橋浩一、宮崎駿、高畑勲らの主要製作現場スタッフが別会社に移ってしまい、その完成責任を果たせる目途が立たなくなるように高橋を追い込み、まるまる乗っ取りに成功した。
日本では、米国と違って製作現場に口約束が多く、このために、依頼のはっきりしない法人と、実際に動く生身の人間との間で、work for hire を巡る揉め事が起こりやすい。そこで、八手三郎(76〜、東映の特撮シリーズ)、矢立肇(サンライズのアニメ)、東堂いづみ(東映アニメ)のように、持ち株会社のような架空の著作者を明確に立て、これを法人の共同ペンネームとして引き継ぐことが行われている。逆に、近年はかつて実在した生身の人間である長谷川町子や臼井儀人、やなせたかしなども、同じような扱いになってきている。
そもそも、マンガでは、週刊に応じられる量産のプロダクション制によって、かなり初期から著作者が生身の人間を離れてしまっている。マンガの神様、手塚治虫はどうしても自分自身で手を入れないと気が済まなかったそうだが、石ノ森章太郎だの、赤塚不二夫だのともなると、本人抜きでも仕事が進むような仕組みになっていた。いや、古代ギリシアの昔から、絵や彫刻の大作、建築の請負となると、生身の人間の手にあまり、工房制によって、著作者は、発意にすら関わらず、その責任だけ負う、ということがよくある。現代でも、丹下健三も、本人が死んでも事務所は稼働している。安藤忠雄や黒川紀章にしても、自分ですべてのアイディアから出していた、などとは、およそ考えられまい。
さて、話は戻って、今般の佐村河内の一件だが、音楽では、歴史的に事情が異なる部分がある。絵画や彫刻の場合、細部の依頼がしにくく、単純に主題のみが与えられ、ダヴィンチなどですらコンペをさせられている。それゆえ、たとえ注文の売り物であっても、アイディアから画家のもの、ということができる。ところが、音楽の場合、ほとんどの音楽家が、王侯や教会の雇われ使用人の身の上だった。そのうえ、雇い人もヘタながら楽器を嗜むことも多く、けっこう細かい妙な指示を出し、それを天才的な使用人音楽家にパズルのように解かせてパーティで来客に見せびらかす、などということが行われてきた。このため、仕官求職のための献呈でもない限り、実質的には、ほとんどすべての作品が work for hire になってしまう。そこで、これらについては、work for hire であっても、依頼者ではなく、実際の解答者である音楽家を著作者とするという慣例がある。
佐村河内の一件をさらにややこしくしているのが、その作品とされているものが、結果としてポストモダニズムであるということ。ひとことで言うと、米国ラスヴェガス、日本のパチンコ屋街、ラブホテル街なんかと同様、ドシロウト受けしやすい下品で通俗的でキャッチーなモティーフの寄せ集め。自由の女神とルクソール宮殿、ホワイトハウスが、ネオンきらびやかに乱立しているような状態。ごった煮ほどにも、相互に溶け込んでいないものが継ぎ接ぎになっており、朝の新宿の街を掃除する髭面のオカマ並みに興ざめするような生臭いシロモノ。こういうポストモダニズムの作風は、古くは後期標題音楽としてワグナーやチャイコフスキーなどに見られ、二十世紀のミュージカルで一般化。いろいろな作風を操れるという音楽エンジニアの腕の見せ所。さらには、一曲の中に、ある時代の雑多なパターンをポストモダニズム的にぶち込むのも、日本の歌謡曲では鉄板。たとえば、佐々木勉の『夏のお嬢さん』から、奥田民生の『これが私の生きる道』や大友良英の『あまちゃん』などなど。歌詞でも、山口洋子の『ヨコハマたそがれ』が典型。
S村氏は、自覚があってか無くてか、この手法を、停滞する日本のクラシック界に持ち込むことで、ドシロウトにまでCDを売ることに成功した。このスジで先行するものとしては、宮川泰の『ヤマト組曲』(「20世紀の白鳥の湖」だと!)だの、ジョン・ウィリアムズの『スターウォーズ組曲』(『野生のエルザ』の上下反転型!)だのがあり、これに「現代のベートーベン」などという作曲家のヴィジュアル、ヘレン・ケラー並みの「多重障害の感動」まで着けたのだから、売れないわけがあるまい。いまさら、このS村氏は曲が書けない、などと言われて、どうして驚く必要があるのか。作り物のキャラで売っているDーモン小暮だの、K姉妹だのと、どこが違う? まともに歌の歌えないアイドル歌手など珍しくもなく、ネット時代のいまなら最初からパクリとして排除されていたはずの大物アーティストや有名漫画家が利権に守られ、大量に跋扈しているのが日本の現実。
N垣氏にしても、いまさら「お金が欲しいのではなかった」などと言っても、曲がりなりにも依頼書があり、カネを受け取ってしまっている以上、典型的な work for hire で、著作権を放棄するもなにも、彼にはもともと著作権は無い。なら、S村氏のものか、というと、商売のやり方に独創性はあっても、依頼書がパクリの指示ばかりでは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」とは言えず、著作者たる独創性が認められない。
佐村河内は、まさに日本文化の現状とコンプレックスを象徴する。そのふざけた悲劇の虚像の存在そのものが、生身のS村氏でもN垣でもなく、現代日本のマスゴミと大衆が共謀共同正犯として捏造してきてしまった化け物であって、「佐村河内守」は、我々の時代の恥ずべき共同ペンネームともいうべきものだ。それは、東京の街などと同じく、ヨーロッパなのか、アジアなのか、よくわからない。やたらとキャッチーだが、借りものの寄せ集めで、独創性のかけらもない。全体としての統一感もないくせに、むやみに壮大。こういう妙ちくりんな、汚らわしいものは、伝佐村河内守作とでもして、正倉院かどこかに、数百年、塩漬けにしておけ。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)
この問題、どうもドシロウトたちが引っかき回して、無用にややこしくしてしまっているようだ。新たなワルが、わざわざ「ゴーストライター」だの、「共犯者」だの、世間の誤解を招くようなスキャンダラスな表現で、次の金儲けを狙っているのも気に入らない。
でも、実際に作ったのは私だ、だから、私のものだ、というような左翼の労働価値説的な誤解は、しばしば大きな紛争になる。有名なところでは、1999年から争われた『宇宙戦艦ヤマト』を巡る西崎義展と松本零士の裁判。当然、西崎が勝訴。同年には『キャンディ・キャンディ』でも、水木杏子といがらしゆみこで争われ、これまた当然に水木が勝訴。もしも、こんな作業者の理屈を認めたら、あなたが苦労して建てた家まで、大工のものになってしまう。とはいえ、逆に、裁判に依らず、実力行使で左翼が実質的に勝ってしまった例もある。1975年の『フランダースの犬』は、『アルプスの少女ハイジ』と同様、高橋義人の発意で始められたが、本橋浩一、宮崎駿、高畑勲らの主要製作現場スタッフが別会社に移ってしまい、その完成責任を果たせる目途が立たなくなるように高橋を追い込み、まるまる乗っ取りに成功した。
日本では、米国と違って製作現場に口約束が多く、このために、依頼のはっきりしない法人と、実際に動く生身の人間との間で、work for hire を巡る揉め事が起こりやすい。そこで、八手三郎(76〜、東映の特撮シリーズ)、矢立肇(サンライズのアニメ)、東堂いづみ(東映アニメ)のように、持ち株会社のような架空の著作者を明確に立て、これを法人の共同ペンネームとして引き継ぐことが行われている。逆に、近年はかつて実在した生身の人間である長谷川町子や臼井儀人、やなせたかしなども、同じような扱いになってきている。
そもそも、マンガでは、週刊に応じられる量産のプロダクション制によって、かなり初期から著作者が生身の人間を離れてしまっている。マンガの神様、手塚治虫はどうしても自分自身で手を入れないと気が済まなかったそうだが、石ノ森章太郎だの、赤塚不二夫だのともなると、本人抜きでも仕事が進むような仕組みになっていた。いや、古代ギリシアの昔から、絵や彫刻の大作、建築の請負となると、生身の人間の手にあまり、工房制によって、著作者は、発意にすら関わらず、その責任だけ負う、ということがよくある。現代でも、丹下健三も、本人が死んでも事務所は稼働している。安藤忠雄や黒川紀章にしても、自分ですべてのアイディアから出していた、などとは、およそ考えられまい。
さて、話は戻って、今般の佐村河内の一件だが、音楽では、歴史的に事情が異なる部分がある。絵画や彫刻の場合、細部の依頼がしにくく、単純に主題のみが与えられ、ダヴィンチなどですらコンペをさせられている。それゆえ、たとえ注文の売り物であっても、アイディアから画家のもの、ということができる。ところが、音楽の場合、ほとんどの音楽家が、王侯や教会の雇われ使用人の身の上だった。そのうえ、雇い人もヘタながら楽器を嗜むことも多く、けっこう細かい妙な指示を出し、それを天才的な使用人音楽家にパズルのように解かせてパーティで来客に見せびらかす、などということが行われてきた。このため、仕官求職のための献呈でもない限り、実質的には、ほとんどすべての作品が work for hire になってしまう。そこで、これらについては、work for hire であっても、依頼者ではなく、実際の解答者である音楽家を著作者とするという慣例がある。
佐村河内の一件をさらにややこしくしているのが、その作品とされているものが、結果としてポストモダニズムであるということ。ひとことで言うと、米国ラスヴェガス、日本のパチンコ屋街、ラブホテル街なんかと同様、ドシロウト受けしやすい下品で通俗的でキャッチーなモティーフの寄せ集め。自由の女神とルクソール宮殿、ホワイトハウスが、ネオンきらびやかに乱立しているような状態。ごった煮ほどにも、相互に溶け込んでいないものが継ぎ接ぎになっており、朝の新宿の街を掃除する髭面のオカマ並みに興ざめするような生臭いシロモノ。こういうポストモダニズムの作風は、古くは後期標題音楽としてワグナーやチャイコフスキーなどに見られ、二十世紀のミュージカルで一般化。いろいろな作風を操れるという音楽エンジニアの腕の見せ所。さらには、一曲の中に、ある時代の雑多なパターンをポストモダニズム的にぶち込むのも、日本の歌謡曲では鉄板。たとえば、佐々木勉の『夏のお嬢さん』から、奥田民生の『これが私の生きる道』や大友良英の『あまちゃん』などなど。歌詞でも、山口洋子の『ヨコハマたそがれ』が典型。
S村氏は、自覚があってか無くてか、この手法を、停滞する日本のクラシック界に持ち込むことで、ドシロウトにまでCDを売ることに成功した。このスジで先行するものとしては、宮川泰の『ヤマト組曲』(「20世紀の白鳥の湖」だと!)だの、ジョン・ウィリアムズの『スターウォーズ組曲』(『野生のエルザ』の上下反転型!)だのがあり、これに「現代のベートーベン」などという作曲家のヴィジュアル、ヘレン・ケラー並みの「多重障害の感動」まで着けたのだから、売れないわけがあるまい。いまさら、このS村氏は曲が書けない、などと言われて、どうして驚く必要があるのか。作り物のキャラで売っているDーモン小暮だの、K姉妹だのと、どこが違う? まともに歌の歌えないアイドル歌手など珍しくもなく、ネット時代のいまなら最初からパクリとして排除されていたはずの大物アーティストや有名漫画家が利権に守られ、大量に跋扈しているのが日本の現実。
N垣氏にしても、いまさら「お金が欲しいのではなかった」などと言っても、曲がりなりにも依頼書があり、カネを受け取ってしまっている以上、典型的な work for hire で、著作権を放棄するもなにも、彼にはもともと著作権は無い。なら、S村氏のものか、というと、商売のやり方に独創性はあっても、依頼書がパクリの指示ばかりでは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」とは言えず、著作者たる独創性が認められない。
佐村河内は、まさに日本文化の現状とコンプレックスを象徴する。そのふざけた悲劇の虚像の存在そのものが、生身のS村氏でもN垣でもなく、現代日本のマスゴミと大衆が共謀共同正犯として捏造してきてしまった化け物であって、「佐村河内守」は、我々の時代の恥ずべき共同ペンネームともいうべきものだ。それは、東京の街などと同じく、ヨーロッパなのか、アジアなのか、よくわからない。やたらとキャッチーだが、借りものの寄せ集めで、独創性のかけらもない。全体としての統一感もないくせに、むやみに壮大。こういう妙ちくりんな、汚らわしいものは、伝佐村河内守作とでもして、正倉院かどこかに、数百年、塩漬けにしておけ。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)