田んぼにはかつて、5000種以上の生き物が暮らしていたそうです。信じられませんが、すごい数字です。

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以前、コネタでイナゴの話を書いたことがある。

昔、海のない長野では、イナゴなどの虫が貴重なタンパク源として食べられていたのは、よく知られた話。私たちが子どもの頃にはすでに、親世代しか食べない存在になっていたが、食べないまでも「田んぼでのイナゴとり」は大好きな娯楽だった。
また、昔はイナゴだけでなく、畦でセリを採っておひたしにしたり、ヨモギをとって母親にお餅を作ってもらったりもした。ドジョウやフナをとったこともある。
でも、今は田んぼでイナゴがとれなくなってきているし、魚もあまりいない。セリもヨモギもずいぶん減っている。昔の「田んぼの風景」が変わってきているのは、寂しい限りだ。
そんな「田んぼ」の様々な役割を、30年もの年月にわたって調査し、まとめた本が、11月に刊行されたという。

『田んぼの不思議』(小峰書店)。著者は、神奈川大学大学院で民俗学を研究している安室知(やすむろ・さとる)先生だ。
なぜこの本を? 担当編集者に聞いた。

「きっかけは、数年前に、お世話になっていたある研究者の先生から、この本の著者の安室知先生をご紹介いただいたことでした。『田んぼではコメもとれる。コイもドジョウもウナギもとれる。冬にやってくるカモはカモ鍋になる。畦道でつくるダイズは味噌に、アズキは赤飯になる』、こんなお話を最初にうかがったとき、何かとてもおいしそうな話だなぁと感じました」

そんな素朴な思いが先に立っていたものの、編集作業が進むにつれ、「自分がいかに田んぼのことを知らなかったか」を痛感させられたのだと話す。
「とりわけ感じたのは、田んぼをめぐる世代間のギャップの大きさです。わたしも身近な方々に田んぼの思い出を聞いてみたのですが、60代以上の方々、特に地方ご出身の方々は、この本に書かれているようなことをよくご存じでした。なかには、『うちで飼っていた牛には、田んぼの畦道の草や稲ワラを食べさせていた。牛小屋に敷いていたワラを堆肥にすると、そこでまるまると太ったミミズが育つ。それを魚釣りのエサにすると、魚の食いつきが違うんだよね』と、まるで数珠つなぎのように、いろんなことを楽しげに思い出してくださる方もいました」

こうした思い出を語れるのは、「高度経済成長期より前の田んぼを知っている人たち」だそう。
「いっぽうで、わたしはそうした田んぼの姿をまったく知りませんでしたし、田んぼに入ったこともありません。本当に『米をつくる場所』というだけの認識しかなかったのです。毎日、欠かさず米を口にしているのに、です」

農業や食べ物については、「美味しい・不味い」「カロリー」「高いか安いか」「輸入なのか国産なのか」などなど、今、様々なことが語られている。そうしたことも、もちろん大事だが、食べ物が生み出される「場」の大切さは、あまり語られないし、意識が向けられていないと気付いたと言う。
「じつは田んぼは日本最古の人工の施設なのです。『水田は人間が生み出した最高の生産システム』ともいわれるほどで、こんなに長いこと、使い続けられる施設はないですよね」

表紙に使ったのは、佐賀県玄海町の有名な棚田の写真だ。
「けわしい山を切りひらき、1枚1枚、きっちり水平にして田んぼをつくっていくのは、想像を絶するたいへんな作業であったと思います。そこまでして田んぼにこだわってきたのは何故だろう?と、読者の方々が思ってくださったら、うれしいです」

コメを作るだけでなく、魚捕りの場として、狩りの場として、採集の場として、畑として、昔から様々な役割を担ってきた「田んぼ」。田んぼには、豊かな生態系と、昔の人の知恵がギッシリ詰まっているんです。
(田幸和歌子)