昨年12月29日に元F1世界チャンピオンのミハエル・シューマッハがフランスでスキー中に転倒。頭部の外傷で意識不明の重体に陥ってから、早いもので1カ月が経とうしている......。

 現在、脳の損傷を抑えるため人工的な昏睡状態と低体温状態に置かれているシューマッハの容体は、とりあえず生命の危機を脱したと言われているが、今後、意識が戻るという保証はなく、また、仮に意識が戻ったとしても重篤な後遺症を抱える可能性もあるため、依然として予断を許さない状況が続いているようだ。

 偉大なチャンピオンを襲った突然の悲劇はF1関係者やファンのみならず、多くの人に衝撃を与えた。日本を含め、世界各国の主要メディアもシューマッハの事故を連日トップニュースとして報道。彼の存在の大きさを再認識した人も多いのではないだろうか。

「ミハエル・シューマッハは最も偉大なF1ドライバーか?」と問われれば、議論の分かれるところはあるかもしれない。だが、世界チャンピオン7回、通算91勝、予選ポールポジション69回、ファステストラップ77回、通算獲得ポイント1566点(いずれもF1歴代1位)という圧倒的な記録を前にすれば、彼が「史上最強のF1ドライバー」であることに疑いの余地はない。

 多くの偉大なチャンピオンたちがそうであるように、彼もまた、強靭な肉体と天賦の才能に恵まれていた。勝利に対する貪欲なまでのこだわりや驚異的な集中力、強烈なリーダーシップと求心力――。そして何より、すべての物事に対するたゆまぬ努力によって、シューマッハはかつて誰も手が届かなかった領域に到達したドライバーだった。

 その意味で、彼が残した数々の記録は、勝利のために自らの100%を捧げ続けてきた圧倒的な情熱の「軌跡」であり、彼の人生そのものの投影図と言ってもいい。決して裕福ではなかった家庭に生まれ、14歳で本格的にレーシングカートに乗り始めて以来、彼は常にコース上でライバルを打ち負かし、ただひたすら勝利を重ねる事によって自らの人生を切り拓いてきた。

 彼の人生は常に「サーキット」という戦場にあり、彼は最強にして最高の戦士だった。「皇帝」が時に「悪魔」の顔を覗(のぞ)かせ、その勝利への貪欲さが強引なドライビングにつながって批判されることもあった。「ターミネーター」とも呼ばれたのは、そうした勝利へのこだわりやドライビングから、戦士としての性(さが)や、強烈なオーラが彼の全身から放たれていたからだろう。

 もうひとつ忘れてはならないことがある。それは1994年、95年とベネトン(現在のロータスF1)で2度の世界チャンピオンとなったシューマッハが、96年にフェラーリに移籍し、当時低迷していたイタリアの名門を最強チームへと再生させたことだ。

 2000年以降、2004年まで5連覇を達成したシューマッハとフェラーリが築き上げた黄金時代(コンストラクターズは99年から6年連続で優勝)の印象があまりに鮮烈なので、少し意外に感じるかもしれないが、96年時点でフェラーリは深刻な低迷期にあった。ドライバーズ選手権では79年のジョディ・シェクターを最後に、コンストラクターズ選手権でも83年を最後にタイトルから遠ざかり、名門ならではの重圧の下で、「お家騒動」と呼ばれる内紛と組織改編を繰り返していた。

 現代のF1では、勝つための要因として、マシンの性能やチーム力が大きな比重を占める。どんなに才能に恵まれたドライバーでも、「勝てるマシン」や「勝てるチーム」抜きに成功を収めることはできない。逆に、適切なタイミングで勝てるチームに自らの身を置くことができれば、トップクラスのドライバーでなくても勝利に手が届く場合もある。つまり、F1ドライバーの運命は、「いつ、どこのチームに在籍するか?」で決まる部分もあるのだ。

 それを理解しながらも、シューマッハは不振続きだったフェラーリに飛び込み、さまざまな困難に直面しながらも粘り強く再建に取り組み続けた。シューマッハという最高のドライバーと共に戦うために、テクニカル・ディレクターのロス・ブラウンやデザイナーのローリー・バーンなど、優秀な人材が続々とフェラーリに集まり、勝利するためにチーム一丸となって100%の力を注ぎ続けた。

 シューマッハがフェラーリに16年ぶりのコンストラクターズタイトルをもたらしたのは、移籍から4年後の1999年のこと。そして、翌2000年にはフェラーリにとって実に21年ぶりとなる念願のドライバーズタイトルを獲得。自らの力で「名門復活の道」を切り拓いてみせた。

 その後のフェラーリの黄金時代は、シューマッハの持つ圧倒的なカリスマ性と求心力が、多くの才能を惹きつけ、チームとしてひとつにまとまることで築かれた。そしてそれは、彼にしか成しえない「奇跡」だったと思う。

 通算7度のドライバーズタイトルや、その他の華々しい記録と同様、あるいは、それ以上に、フェラーリを再生させることに成功したこの5年間が、シューマッハというドライバーの本当の凄さ、偉大さを象徴しているように思う。

 シューマッハはその後、2006年末に一度は引退を表明したものの、3年のブランクを経て、2010年にF1にカムバック。メルセデスのエースとして再び頂点を目指す戦いを始めた。しかし、2012年までの3シーズンに及んだメルセデスでのF1再挑戦は、1度も勝利の美酒を味わうことなく、予選ポールポジション1回、3位表彰台1回という、期待していたものとは違う形でその幕を閉じることになった。

 メルセデスのマシンがトップクラスの戦闘力を備えていなかったことが、不本意な結果の最大の要因であることは確かだが、シューマッハ自身の衰えもまた、隠しようのない事実だった。今思い起こせば、メルセデスでの3年間は、史上最強のドライバーとしてF1に君臨し続けた彼が、自らの衰えを直視し、納得するために必要な時間だったように思う。決して「有終の美」とはいえない幕切れだったかもしれないが、生粋の「戦士」らしい最後であり、彼が成し遂げてきた数々の偉業が色あせるわけではない。

 今、病院のベッドの上で眠り続けるシューマッハは、どんな夢を見ているのだろう――。コース上で戦う自分か、それとも、愛する家族と過ごす穏やかな時間か......。長い間、厳しい戦いに明け暮れてきた彼が、この試練を乗り越えて目を覚まし、再び「第2の人生」を歩み始めることを、今はただ祈るのみだ。

川喜田研●文 text by Kawakita Ken