死んだらSNSのアカウントはどうなるのか
自分が死んでもネット上のデータは生き続けるという現実
先週月曜日は私の祖母の誕生日だった。フェイスブックは私に、祖母のウォールへメッセージを送ったり、バーチャルな誕生日ギフトを贈るように促した。但し問題があって、私の祖母はすでに亡くなっているのだ。
ソーシャルメディアによる生活の監視は益々進んでいる。我々はソーシャルメディアから、人生の最も大きなイベント、つまり誕生、卒業、結婚から愛する人の死に至るまでシェアするように促される。しかし自分自身が死んでしまったら、何が起こるのだろうか。
縁起でもない話だが、フェイスブック、ツイッター、Instagram上に残された数々の思い出のおかげで、亡くなってしまった大切な人がまるで生きているかのように感じられるという人も少なくないだろう。今や我々の人生はインターネットの世界に保存されていて、長年かけて投稿されたステータスはタイムラインに焼き付けられ、その人が存在したということを思い出させてくれるのだ。
死後のアカウント管理
答えのない、難しい問題かもしれない。アカウントを管理する本人が亡くなってしまった場合、そのアカウントを一体どうすればいいのだろうか?
フェイスブックは、他のユーザーからそのアカウントの所有者は故人であると申請があった場合にアカウントを「メモリアル化」することで、この問題に対処しようとしている。
2007年4月に起こったバージニア工科大の銃乱射事件で32名もの命が失われた後、フェイスブックは亡くなったユーザーのアカウントを削除せず、無期限にメモリアル化する仕様へとポリシーを変更している。死後30日間しか保管されなかった当時のアカウント設定に対する被害者達の家族や友達による抗議の結果、フェイスブックは故人のプロフィールをサイト上に無期限に残すことにしたのだ。
フェイスブック自身は、どのプロフィールが故人のものであるかを知る術を持たない。そこで友達や家族が故人のアカウントのメモリアル化を依頼することで、誰もそのアカウントにログインすることができなくなる。しかも友達や家族は引き続き、メモリアル化されたアカウントのウォールへ書込みをしたり、メッセージを残すことができる。
ツイッターのポリシーはフェイスブックと少し異なり、故人の肉親や代理人だけがアカウントの無効化を依頼することができる。ツイッターはフェイスブックほどユーザー同士の関係性が親密ではないので、アカウントを「メモリアル化」したとしてもタイムラインをそのままにしておく程度にとどまるだろう。
昨年、人気映画評論家のロジャー・エバートが亡くなった際、彼のツイートは消去されなかった。彼の妻チャズが、ハリウッドの伝説だった夫の代わりにツイートをし、ブログの更新も行ってきた。映画の評論まで本人と同じように続けているのだ。ただ多数のフォロワーをもっていた有名人だけに、彼のアカウントをアンフォローすべきかどうかは多くのTwitterユーザーにとって難しい問題だろう。我々はいつまで彼(彼女)をフォローすべきなのだろうか。
エバートは亡くなる前に自身の編集者と相談し、編集者がエバートのソーシャルメディア・アカウントにアクセスして投稿を続けることを容認していた。これによってエバートがこの世を去った今でも、彼の考えと信条は生き続け、広く友達やフォロワーに共有されている。
このように、友達や愛する家族が故人のアカウントを引き継ぐことは可能だ。ただ私はこの件で一度強い不安を覚えたことがある。亡くなったはずの祖母が、私がフェイスブックに投稿した画像に「いいね」をしたときだ。誰が祖母のアカウントを管理していたのかは知らないが、祖母のフェイスブックを続けることこそが彼女への敬意を表す方法だと考えたのだろう。それが悲しみと向き合う方法であれば私も支持するが、事前に知らせてほしかったとも思うのだ。
自分が死んだ後もツイートを続けたいと考えるユーザーにとって便利なサービスが存在する。「DeadSocial」は、秘密のメッセージと公開時期を設定しておけば、事前に指定した管理者が自分の死後にフェイスブックやツイッターで自分の言葉を配信してくれるというサービスだ。
終わらない対話
「通常、人々はソーシャルメディアを亡くなった人ではなく、生きている人のために使っています。」とウェスト・バージニア大学のエリザベス・コーエン助教授は話す。「亡くなった人のアカウントにも何か動きがあると残された人々は安心するのです」
我々はフェイスブックによって、周囲の人が亡くなった人とどのように繋がり、どのように悲しんでいるかをまざまざと知ることができる。このことが大切な人を失った悲しみを抱える人々に対する共感を生み、彼等を助ける仕組みを作ることになるのだという。
テネシー州のナッシュヴィルに拠点を置くRaven Toolsのコミュニティー・マネージャー、コートニー・セイタは二人の友達を失った際、フェイスブックが彼女や他の友人たちの気持の整理を助けてくれたと語っている。セイタは最初、亡くなった友達のウォールに寄せられるたくさんの生々しい嘆きの声に戸惑っていた。
「見てはいけなプライベートなものを覗いているように感じました」と、彼女はReadWriteとの電子メールでのインタビューで語った。「しかし感情を共有することは、人々が自分の気持ちを整理し、実際に起こっていることを理解するのを助けてくれます。それは不健康な行為ではないと思います。ただ、感情を整理するためのプロセスがこれまでとは少し違っているだけです」
データが消えてしまう可能性
2012年にバーナード・マイズラーが指摘しているように、我々がソーシャルサービスでのデータ共有を止めたとしても、企業は依然としてそのデータを所有し続ける。この暗い現実に気付いたマイズラーは当時、「なぜ死んだ人がフェイスブックで『いいね』を続けているのだ?」と疑問を投げかけている。
当然だが、フェイスブックやツイッターはそのユーザーが既に亡くなっていることを認識しない限り、自分達の利益のために故人の情報を使い続けるだろう。
ソーシャルメディアとは、企業が広告を通じて商品やサービスを販売する場所だ。例えば、フェイスブックでは「Selenaは[企業名]をいいねしている」という広告を、ツイッターでは「@selenalarsonが[企業名]をフォローしている」という広告をよく見かけるだろう。しかし亡くなった友達が同じような形で広告に登場すると、さすがに驚いてしまう。これが、ソーシャルネットワークに集まった個人情報が、ただ友達や家族とつながること以上の目的で使われ続けてしまっている、注意すべき現実なのである。
「我々はソーシャルネットワーク上の情報をあまりコントロールできていないのです。」と、コーエン助教授は話している。
こんな疑問が残る。ソーシャルネットワーク自体が消滅してしまったら、そのデータはどうなってしまうのだろうか?
昨年MySpaceのユーザーは、自分のブログが削除されてしまうという痛い経験をしている。ユーザーはMySpaceに自分の投稿をアップロードするためにたくさんの時間やエネルギーを捧げていたが、それらの投稿がMySpaceのサービス停止によって全て消去されてしまったのだ。
フェイスブックでは、自分が投稿した内容を保存しておくために、設定画面から自分のデータをパーソナル・アーカイブへ一括してダウンロードすることが可能だ。しかしユーザーが亡くなってしまうと当然本人が自分の投稿を保存することはできず、さらにアカウントがメモリアル化されてしまうと、誰もその作業をすることができなくなってしまう。
コーエン助教授は定期的にソーシャルネット-ワークの全データ(特に写真)を、自分のコンピュータやフラッシュ・ドライブに保存することを薦めている。仮にフェイスブックがMySpaceと同じ道を辿った場合、長年かけて蓄積してきた自分のデータにアクセスできなくなるからだ。
しかし、亡くなった人を追悼するためにソーシャルネットワークを利用している人々にとって、データが削除されるかもしれないという可能性は恐ろしいものだろう。
「フェイスブックがなくなったらどう思うでしょう?」とコーエン助教授は考える。「ソーシャルメディアを気持ちの整理に使っている人にとっては、とてもつらいことでしょう。」
おばあちゃん、お誕生日おめでとう
私はフェイスブックでは数人の家族としか繋がっていないので、祖母の誕生日を知らせる通知と共に、普段目にすることのない、祖母を懐かしむ知人からの多くの投稿を見ることができたのは嬉しかった。日常のくだらない自分撮り写真やスポーツ・ニュースに混ざっていたとはいえ、自分のタイムラインで心に響く祖母への思いを見られたことに喜びを感じた。
私はいつか自分が死んだとき(すぐには起きてほしくないが)、自分のデジタル・ライフがどう在ってほしいかを考え始めていた。自分の人生がソーシャルメディア上でメモリアル化されているのを想像するのは妙な気分だが、我々がこれまで繰り返し経験してきた習慣が、ただオンライン版になっただけなのかもしれないとも思う。
私の友達に伝えたい。くだらない写真に私が写っていればタグを付け続けてくれて構わない。ただ私がこの世を去った時は、フェイスブックに知らせて欲しい。さすがにあの世に行ってまで、広告に使われたくはないからだ。
画像提供
トップ画像:Kevin Dooley
pinky promise画像:gcfarish(Flickrより)
私の祖母(と某有名人)の画像:Mariane Maffeo(私のおば)
Selena Larson
[原文]