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スマートウオッチは「安心感」で他の拡張現実ガジェットに差をつけている

技術とは絶え間なく進歩していくものだ。だからこそ我々のような技術愛好家は毎年この季節になると、ついついラスベガスのコンベンションセンター(世界最大の家電見本市CESの会場)へと足を運んでしまう。数ヶ月毎にスマートフォンに送られてくるソフトウェアアップデートも、一歩ずつ前進する技術の象徴だ。SF映画でもない限り、急激な技術革新などまず起こらないのである。

我々の身の回りは既にコンピュータで溢れかえっており、これ以上コンピュータ・システムをインストールする余地はあまり残されていない。そこで最近、ウエアラブル・コンピューターという新たな分野に注目が集まっている。モバイル端末の利用率は非常に高いため、そこまで需要があるならばいっそ身につけてしまおうという考え方である。
昨年はウェアラブルなフィットネス・トラッカーが大ブームになり、スマートウオッチの実用化も始まった。そして人々の興味はいかにも未来的なGoogle Glassの発表によって一気にかきたてられた。しかし、人々の興味と実際の予算というものは必ずしも一致しないことが多い。

現在Google Glassに直接競合する製品は見当たらない。もちろんGlassそのものもまだ開発途中ではあるが、明らかに別格の存在感を醸し出している。ただ消費者にとって、より現実的なウェアラブル端末が他に無い訳でもない。中でも注目すべき商品はPebbleスマートウオッチだ。クラウド・ファンディングのKickstarterから生まれたこの商品は実に適切なタイミングで発売され、相当な人気を集めている。開発中との噂が絶えないAppleのiWatchでも発売されない限り、現在米国では間違いなくナンバー・ワンの製品だ。

思わぬ競合相手

実は私は、Google GlassとPebbleを両方持っている。この二つは着ける場所は違うのだが、同時に装着するとなんとなく機能が重複していると感じる。そしてPebbleが身につけてもあまり目立たない分、Glassを装着するのがばからしく思えてしまうのだ。Glassは本当に素晴らしい商品だし、搭載されているセンサーやプロセッサーのパワーもスマートウオッチよりはるかに優れているというのに、どうしたことだろうか。

つまるところ、機能的にはPebbleで十分なのだ。Galssは確かに素晴らしいが、少々やり過ぎな感じがする。技術界にちょっと問題が発生したからと言って、何もダイナマイトで吹き飛ばそうとすることはないのである。

その技術界の問題とは何を指すのか?Google創設者のセルゲイ・ブリンによれば、スマートフォンはユーザーを社交的に孤立させてしまうのだという。そこでブリンが当初思い描いたのは、人々がGlassを使って周囲から孤立することなくグーグルのサービスを利用したり、ツイートしたり、フェイスブックを更新することができる近未来だった。

そうなれば、我々は視線をスマートフォンの小さな液晶画面に縛られる必要がなくなり、現実の世界を存分に楽しむ事ができるというわけだ。Pebbleもまさにこれと同じような、「スマートフォンをチェックしなくても通知を受けられる」という目的で開発された。GlassもPebbleも、テクノロジーが日常生活の邪魔をしない世界を想定して作られたのである。

PebbleとGlassは外観こそ全然違うが、解決しようとしている問題は同じなのだ。どちらもユーザーの生活を乱すことなく通知を送るティッカーのような存在であり、ユーザーは一瞬通知を確認するだけで済む。なので個別の設定をしないまま両方を身につけると、重複した情報を通知してくる。同じメールに対する通知がそれぞれの端末から届いてしまうのだ。テクノロジーが生活の邪魔をしないために身につけたはずが、完全に逆効果である。ウェアラブル・デバイスは一つで十分なのかもしれない。

Glassは次期尚早か?

GlassとPebbleは共に素晴らしい製品であり、同じ問題にそれぞれ違ったやり方で取り組んでいる。特にGlassは我々の生活を大きく変えようとしている。仕事や遊びにおいてテクノロジーに対する漠然とした不安から人々を解放し、情報をスマートフォンの小さな世界から取り出して現実世界に重ねてくれる。まるでスター・トレックの世界だ。

発表当初は驚きと畏敬をもって迎えられたGlassだが、今では皮肉めいたコメントがよく聞かれる。Glassは時代の先を行き過ぎているのかもしれない。「こんなもの顔につけてられるか。バカだと思われる」ということなのだろうか(これこそが技術なのに!ロマンという概念はないのか?)。今年の後半あたりに一般に向けた販売が始まるだろうが、一般大衆からはまだ相手にされない可能性もある。彼らにとってGlassはまだ次期尚早だからだ。でももしかしたらGoogleは、こんなにも革新的な商品を実用化できただけで満足なのかもしれない。

ウェラブル・テクノロジーの中でも、顔はデリケートな領域だ。ウェアラブル・コンピューティングの父と呼ぶべき存在であるスティーブ・マンは、見た目はよろしくないが進化を続けている自作版Google Glassをもう30年も身につけている。ところが某マクドナルドの店舗でそのGlassが「気味が悪い」とからまれ、暴行を受けると言う悲惨な目にあっている。

Glassの他にも顔や頭に装着するウェアラブル・デバイスは存在しており、例えばバーチャルリアリティー・ゴーグルの「Oculus Rift」は人々に夢と恐怖を与えている。少なくとも消費者は何か新しいものを求めているようで、将来的にはGoogle Glassの思い描く未来に繋がるのかもしれない。

一方、腕時計は何世紀にもわたる開発の歴史を持ち、時間以外のものをほとんど何も提供しないにもかかわらず、数世紀の間人々に愛され続けてきた。ウェアラブル端末は、このように親しみのある形状のほうが成功しやすいのかもしれない。少なくとも、目の上に壊れやすいガラスを装着するやり方よりは。

Glassを装着して外出すると、私はいつも注目の的になってしまう。赤信号では必ずコントのような二度見をされ、交通の妨げになることもしばしばだ。外出する際には人々の驚きと好奇の入り混じった視線にさらされることを覚悟するようにしている。世の中には変なものが好きな人もいるが、彼らからみてもやっぱりこれは変だと思うらしい。

一方Pebbleを身に着けているときはどうかというと、思っていたよりもPebbleに気付く人が多く「使い心地はどうか?」とよく聞かれる。しかしGlassとは違って「自分も試してみたい、貸してくれ」と言われることはない。試さなくても使い勝手を想像しやすいからだろう。確かに、腕に小さいスマートフォンが付いているだけだと考えれば違和感はない。しかしを顏にスマートフォン着けて歩き回ることには色々な問題が付きまとうのだ。「Mass Effect」のようなSFゲームの世界でならヘッドアップディスプレイも馴染み深いだろうが、そんな世界だと今度は地球が滅亡するという別の心配をしなくてはならなくなる。

発売には良いタイミング

人間に例えると、Glassは周囲の友達を質問攻めにして困らせる早熟な子供のようだ。学校に通わせて大丈夫か?と心配になるほどである。一方Pebbleは優等生で、ルールを守るし成績も良い。早熟なGlassは予測不能だ。たまに天才的な一面を見せるが、落第してしまうこともある。落第の理由は「周囲に理解してもらえない」と言ったところだろう。しかし当然、Glassのような子供は将来起業家として成功し、大金持ちになる可能性があるのだ。

実際のところ、Glassはどうなるだろう?その答えは今年見えてくるはずだ。優等生のPebbleがその安定感を示してくれたことだし、ウェアラブル・コンピューティングの未来には期待して良いだろう。

Taylor Hatmaker
[原文]